私、こちらのサイトについてめったに「管理」をしない人でm(_ _)m

相互にしていないのに「お気に入り」に入れて頂いている方を
数名発見してしまいました。
「リンクされました」はメール報告受けていないので、気づきませんでした。

「あしあと」もあまり観察していないのですが、
でも今みたところ、上記の方のお名前での「あしあと」はないようです。

機能をご利用になっていないのか、
ログインしないで読みにこられているのか、
リンクしてみたものの、もう興味がまーったくなくなっちゃったのか、
こちらでは判断をしかねます。

もしまだこちらを読んでいらっしゃるのでしたら、
リンク相互させて頂きますので(長い間気づかず大変失礼をいたしました)
申し訳ございませんが、コメにてご一報頂けないでしょうか?

よろしくお願いいたします。


ないしょのはなしは「あのねのね♪」
えーと、フェアじゃないので。

今朝がた書いた「ひみつの日記」まるっと転載しますね。

自分が凹んだ話なんて、あまり公にしたいものじゃないしねぇ、
だから「一部公開」の形で書いたんですけれども。
興味を持ってあちらからこられるかたがもしおられるのなら、
誤解受けるのも本位じゃないモン。



以下。転載。一切加筆修正なしです。


ひみつ日記
 
某所で叱られちゃった。

流石に一瞬凹んだわ。
あれを面と向かっていう人間がいるかな?
相手の人格真っ向卑下するようなあれ。

文章だけで対峙しているからこそ、
言葉選びには慎重にならなくちゃいけないなぁ、って思っているけれど、
そう思っていてさえいても、間違っちゃうのに・・・。

まぁ、相手にとって私はどーでもいい存在だからこそ、そういう返答になったんでしょう。
相手が自分をどういう扱いしようと、相手の勝手っちゃぁそうだし、
ま、それならそれでよいのかな、と精神を立て直す(笑)

バーチャルな知り合いでも、その人の文章を長年読んでいれば
どんな考え方をする人かどんな生活なのか全く知らないわけじゃない。
もちろんリアルな知り合いとは異なるけれど、
それなりに人となりを想像できるし「親近感」とか持っていて接しているつもり。
その積み重ねを真っ向否定するんだなぁって。
一方通行って寂しいね。

でもね、バーチャルからリアルへのとても素敵な出会いをいくつかいただいた身としては
うーん、と思ったのです。
これもまた一種の「出会い」だと、やっぱりそこを否定はしたくない。
今ここでつながっている人たちの中にも、
直接お目にかかってお話し覗えたら、意見を交わしあえたら、
いっぱい何かを与えて下さるだろうなぁという素敵な人たちがいっぱい。
その方がどこか自分と違うご見識をお持ちだろうと、その気持ちは変わらない。
文は人を表すものだと思っているから。

違うよ、といえば、いや、そうじゃなくて、と返され
そうか、それならココはどうなの? それはこうだよ、と戻ってき
そうして自分が深まるっていうのは人付き合いの基本形。


その方の私にない考え方や、自分の考えで相手をバッサバッサと断ち切る潔さは面白いと思う、ブロガーとしての在り方は本文上にはなーんにも問題を感じない。
今回は意見の相違を感じたからコメで指摘した、そこにかなり私個人の感情が入ってはいるけれども、意見には個人差があるというのは当然のコトとサラリと流してほしかったなぁ。
本文のクレバーさと比べて、コメ欄のやりとりはまるで子どもの喧嘩状態。
人の意見もしっかり読んで理解しようよ?あんな面白い読書感想書ける人がどうして全文を読み取れないのかなぁ・・・不思議で仕方がない。

そして、すまん、私もみっともなかった、と後で反省しちゃった。よほど私の言い分が伝わりにくい文章だったんだな、ってことだ。(だって送信しちゃったら私から消すことできないんだもーん)

相手がこれで拒絶してリンク外したとしても、自分が面白いと思えば覗きに行くし、
ここダイアリィにおいてブログを「公開する」ということは訪問者の限定という拒否権を放棄しているのだから、それこそ私の勝手もまた認められるのね。
言葉を吐くと一方的に噛みつくのが前提の人だというなら吐かねばお互い問題なしってこと。
ま、一読者に戻りましょう。刺激しなけりゃお互い害なく面白い文が読めるのなら。

 本日おもったこと。 
 「人のふり見て我がふり直せ」は金言、
 ネチケット(死語?)だってやっぱり大切(苦笑)


いちじほうへん

2017年1月26日 日常
一字褒貶

あぁ、日本語って難しいわー。
年齢重ねるごと、読み解く力が失われていってる気がする。
・・・ここは人生経験を積み上げたら向上してほしかったのだけれどなぁ、私、辛抱足らんのかな。

ことだま、っていうものを信じているわけではないけれど、
できるだけポジティブな言葉を選びたいものです。
外向き、というか、対 相手がある言葉に関しては特に。

人を下げずむと、自分も下がる。
どんな相手の意見にもそれなりにうなづける場所を探せるような
間尺の広さが欲しい、そうあろうと努力をしたい。

・・・とか言いながら、愚痴りたいときはネガティブだけれども。
でもその愚痴を吐き出すことで、文章にすることで冷静になって、
自分の至らなさなんかを整頓できて
あぁ、だからもう少しこう考えればって、変化のきっかけになったり、
複数の自分と環境も年齢も違う方からのご意見に、
あぁそんな考え方もあるんだって気づきを頂いたり、
そういうのも大事だと思うから、匿名ブログにぶつけてる。
 
物事の考え方は人それぞれで、
タテ・ヨコ・ナナメ いろんな読み取り方があるなぁと・・・。
年輪を重ねた方の言葉がすべてよいわけではなく、
幼稚園児の何気ない発言にハッとすることだってある。
自分の知識の足りなさ、自分自身の考え方の歪み、
指摘がなければなかなか気づけないところがある、少なくとも私は。

匿名だからこそ。
吐き出す言葉に「美辞麗句」がさほど必要ない場所だからこそ。
その人の本音が見つけやすい、と思っているのは私だけでしょうか?
だから考え方の違う人の文章を読むことも大切。
自分と異なることを受け入れることによって、自分の考え方にも幅ができるはずだから。
・・・異論であるなら、異論がある、という認識を持つだけでも、それは進歩。

それらの気づきが、自分自身を少しでも上に押し上げる力になるんじゃないかって
そんな気はするんだよね。


とはいえ、こんな辺境の場所で、
ご意見下さる方ももう決まった方ばかりの状況の下で、
ぬくぬくとさせて頂いていることもまた心地よかったりするんですよね(笑)

まだまだ、修行が足らん、と言葉の神様には怒られ続けるんでしょうねぇ(^^;

安歩当車
タクシーに乗るとお高くつくから、歩きましょ♪という意味(笑)


車いす利用者と少なくともあと5年は一緒に暮らすと決意をしているから、
住まいについてはバリアフリーにできるだけ近いものを求めてしまいます。

そうすると・・・
改装工事費、どんだけいるねーーーん!という状況に(汗)


自力歩行がないので、廊下などにバーをつける、なんていうのは不要ですが、
あの重たいのをお風呂にいれる重労働ができるだけ負担少なくできるように・・・

風呂の入り口はドアでなく引き戸に
浴槽の縁は低くまたぎやすいものに

最近のユニットバスはそういう選択肢も多くなっていて助かるとはいえ、
ぜーんぶ入れ替えたらそれなりに金額がかかりますわな。


でも希望はそれだけじゃないのよ。

車いすの動線、車いすで過ごす場所は、拭き掃除ができるような素材に変更 とか
(外から泥を持ち込むこともあるから)

少しばかりある段差をできるだけ軽減するために洋室の床に底上げをしてもらう とか
(これは断熱・防音効果も大きくなるので、音楽をやりたい私には一挙両得な改装♪)

あとは目の弱い自分のために、恐らく自室となるはずのリビングの掃き出し窓は
紫外線cut率の高いものに変えてもらう とか

台所とリビングの間は今、一面ぜんぶ壁なんだけれど、
リビングにいる車いすの状態が分かりやすいように、壁に窓をあけてもらう とか

言い出したらキリがありませんね。
あぁ、打ち出の小づちみたいに、
ぽんと叩いたらお金が二倍になるお財布が欲しいです(笑)


まぁ。

介護者というもの、気軽に旅行にいったりすることはできません。
他の友人たちがそうであるように、外に娯楽を求めるのはかなり難しいのです。
つまり、家にいる状況で楽しめる自分になるのが一番GOODなのだから。

「おうち天国」づくりに投資するのはありだと思う。
しかも介護疲労っていうのは、段差が1cm違うだけでずいぶんと少なくなるはず。
そこの解消は、介護が続く限り延々と恩恵を受けられるわけで。

やるなら「今でしょ?」
家具を入れてしまうとなかなか思いきれない改装も多々あるので、頑張りどころ。
 
車いす用の改装工事ですから、今まで使ったことがない障害者枠の住宅改装用の給付金を申請することにしました。
あと、床や窓の断熱をする改装にも、エコなんちゃらの給付があるらしい。

住人の快適さがUPして、環境にも優しくなるのなら、いうことなし、ですし、
ここは遠慮なく利用させてもらいます。



で。
これだけ車いす介護者の目線でリノベーションしますが、ふと思うわけです。

それはこの先、部屋を転売するときも「売り言葉」にならないでしょうかね?
これから「高年齢社会」になってゆくのだから
次に買う人は、若年層じゃなくて、二階建てのおうちの階段が辛くなってきたシニア世代かもしれないよ?
そうなると、バリアフリーに近いマンションって意外と需要が高くなりそう・・・な気もする。


出さなくちゃいけない改装費分は、
スーパーまで歩いて買い物に行くことで少しずつ補てんしていきましょうか。
・・・そのほうが健康のためにも、環境のためにもよいのだし(^^♪


 
ところで、
引っ越ししてから「よろしくお願いします」は当然ですが、
改装工事する前に、
騒音等でご迷惑かけるであろう上下左右の住民サマにはご挨拶するべき?
 

後悔噬臍 難しい文字ですねぇ、一発で変換できなかったわ。


もっと「行かないでぇ」とすがられるかと思っていましたが、
どうやら、
「家を出る」
ことについては、すんなりと飲み込んでいただけた様子。

少しばかり、ほっとしています。

ただ、
とにもかくにも「孫と離れるのが辛い」を連発されます。

それは本心と理解できるのですが、
もっと「情」だけではなくて「実」を考えなくてもよいの? とも思います・・・。


 
泣かれました。

最大限、義弟に悪者になってもらいました。


今朝はあまりにも義父の機嫌がよくニコニコだったので
いいそびれてしまいました(苦笑)
なんかよーわかりませんが、

私はどうやらいらん子らしいので、
たとえ不在になったとしても、誰も困らないんだと思えてきました。

堂々と「出てゆく宣言」しようと思います。


夫方の「祖母」がお亡くなりになったので、
「長男の嫁」活動展開中(の息抜きにこれを書いております)

大正一桁生まれ、100歳越えの大往生。
スゴイよなぁ・・・。

この方、いろいろと優しくしてくださった方なので。
今、無事にお送りできるのは、よかったんだと思う。

すべて、すべてが「ぬかりなく」進んでいる気が致します。
運気の流れ、ってヤツですね、きっと。



ただ・・・

今日、長男成人式。
明日、末っ子誕生日。

・・・どっちもお祝いどころじゃないのが、
なんだかとっても残念です。

・・・まぁ、明日のケーキは買いますけれどねっ!


原点・・・減点、じゃなくて。

おめでとうございます、というのも少々恥ずかしいような、もうあけて3日目の本日です。
穏やかで暖かな日よりに恵まれた三が日、
皆さま健やかにお過ごしだとよいなーと思っております。

私は・・・年末からあまり体調がよくないなー、と思っていて
頭痛薬と胃薬と風邪薬を駆使?してなんとか乗り切ったものの、
元旦早々からは頭痛で丸一日ダウンしておりました。
まぁそれでも昨年のように救急外来のお世話にならなかった分だけましだったサ(^^;
(比べる対象が酷すぎるってか(汗))

で、そろそろようやくPCに向かえる体調に戻ってきたので
ご挨拶にのそのそと出てきました。

今年もよろしくお願いいたします。


お正月の風物詩は数々ありますが、年賀状というもの、
ダンナの分もなくなりましたし、相当に少ないやり取りになりました。
とはいえ、今やメールやらSNSやらラインやらという媒体もあって、
ハガキで挨拶しなくても通じちゃう人も増えましたからね。
実際のところ、居住区地域関連の方とはほとんど年賀状のやり取りがありません。
ランチしたり仲良ししている人も数々おられるのですけれども。
ってことは、賀状が「友情」や「絆」や「繋がり」を測るバロメータではないなぁと思います。

それでも、相手から賀状が届こうと届くまいと、彼・彼女がそこにいることがうれしい相手には私は賀状を送ります。
存在をアピール?し続ける私はうっとうしいヤツと思われているかもしれないですね。
でも、大好きな人は大好きだから。

賀状じゃ温度は届かない。
でもちゃんと元旦に届く人からのものでも、
同じような文言で「お元気ですか?」だけの添え書きで、
あぁ形だけだよね、って伝わってくる一枚もあるのですよねぇ、不思議。

そんな賀状の中で、友人からのものにあった一文、
「昔の仲間と逢うと、原点に戻った気持ちで元気をもらえます」
ってあって、あぁ、まさにその通りだと感じています。

形骸化した繋がりなんてもう辞めちまおう。
「昔の仲間」ではなくともそういう「原点」を思い出させてくれる友人たちとの交流を大事にしよう。
そして原点回帰も大切だけれども、継往開来とでもいうのかな、
今までの自分の上に何かを重ねていけるような、
そう気づかせてくれるような出会いがあるといいなぁって思います。

でも、その出会いをはぐくむのはやはり自分自身が相手に相手してもらえるだけの
魅力を持たないとダメなんですよね、きっと。

自分の何かに自信を持たなくちゃ。
そのためには磨かなくちゃ。

ならば、自分らしくあれ、ってことですよ。
自分らしくあることはわがままとイコールではないのだから。
もう縮こまるのはやめて。
たぶん、その方が私自身が私の人生を楽しめるはずだし、
そうしたいと気づいたのだから、
やりたいこと、やり直したいことをやろう。


素晴らしく吹っ切れてます。
とてもとても、気持ちの軽い年明けです。

・・・まだ、ラスボス対決が待っていますが!(笑)
でも、逃げ切ればこちらの勝ちですもん、
私、足は速いのよ。負ける気せんよ。


なんだかんだと今年が終わります。
みなさまお世話になりました。

来年は酉の年。

こけっこーと飛躍できますかどうか。



・・・どーせ近々に掃除するんだしー、と
大掃除もいい加減、お節もいい加減な
いいんだか悪いんだか、力の抜けた年末です(笑)

どうぞよいお年をお迎えくださいませ!
また来年!


朝ドラ、ダメかも~と言っていた割にはずっと見てます(苦笑)

先ほど初めて、他の方の評判をざらっと見たのですが、
「暗い」とか「もたつく主人公にいらいら」なんて言葉があって、

うーん、私はそれほどでもない。
後ろ向きグジグジ一方というのではないから、気にならないみたい。
逆に、ん、まぁ確かにこういうコはいるわね、みたいな感じで見守っている風です。

ただ、主人公の夫には多少イラつく(苦笑)
家に帰って子どもと嫁がいなかったら「まず怒鳴る」ってあぁた・・・。
うっわー、こんな人間、絶対キライって思っちゃったもんなぁ。

まぁ、あの年代のダンナ様ってああいう人も多かったのかもとも思えますが、
好意的に感情移入はできないなぁ。


けれど、意外と「ほぉ」と思ってしまうのは、
エキストラだとか、主役たち以外が動く画面の作り方、ですね。
闇市であったり、市中商店街のお店の中であったり、
そういうところでの主役級のアップの後ろに
窓越しにちゃんと通行人がいたり、しゃがみこんでいる靴磨きの少年がいたり、
さもありなんという風景がキチンと写り込んでいるんです。
安物のTVドラマだと割愛されちゃう、
相当に細かい画面作りをしているなぁという印象があります。


脚本に関しても、展開がトロいと不評な方もおられるようでしたが、
私、実は逆の印象を持ったんですよねぇ。

というのは、前作「とと姉」のときの脚本はとにもかくにも、
一週間という期間に縛られすぎていたような気がするんです。
妹の恋愛事が起きた週はその恋愛事に終始してた、月曜から土曜まで。
でも「べっぴんさん」では、主人公友人Aが主役になって子育て悩みが始まったと思ったら
翌日にはある程度の解決を見て、水曜には主役が友人Bに代わっていたりする。
確かにその週は「子育て」という軸があるのだけれども、視点が違うものだから、
同じストーリーを水増しして見せられている感があまりない。

TV視聴をしそうな子育て中主婦だとか、子育て卒業後の主婦だとか
どちらからも「ああ、そういうのありがち!」と思いそうな
雰囲気や状態の違う家庭3つ+明美さんという独身女性、
バリキャリ風のゆりさん、と5種類の女性が主役級なので
子育て・嫁姑、家庭のありかたの悩みも、いろんなパターンを網羅できる
それは脚本家的には美味しいところなんじゃない?って感じがします。
・・・夫族のパターンについても、ね。


というわけで、比較的に好意的に見てはいるのですが。
関西言葉ネイティブなのでね、やはり、言葉遣いにはムズがゆさを感じています。

主人公じゃないけれど、毎朝見る都度、

「なんかなぁ・・・なんかなぁ・・・」

って感じがしております、違うねんって、言葉のニュアンスが。


まず語りの菅野美穂。
あれにも・・・方言の指導、入ってるのですよねぇ?
何を指導しているんだろ??何語だ、あれ?

あれはね、関西弁とはまったく違いすぎる。
大阪コトバでもないし、神戸コトバでもない。
いっそ標準語で語ったほうがすっきりとしていてよいのに、と思ってしまうほど。
てか、玉緒サンに代わったらどうかな、京都弁ネイティブで絶対的な安定感(笑)


あと、主人公とそのご友人たち3人。
そちらの台詞は、まぁそれなりに頑張ってるわね、と許容範囲なのですが、
しかしあれは、台本が悪い、脚本家と、それを修正する方言指導が
神戸弁を知らなさすぎるのだと思うのですよ。

「だから、キアリス辞めさせて下さい」

・・・神戸っ子ならそう言わないってば。

「せやから。キアリス、辞めさせてください」

辞めさせてんか(これは大阪コトバ 神戸だと「辞めさせて欲しいねん」かな) だと、
相手を見下してる雰囲気の言葉遣いになっちゃうけれど、
せやから、は話し言葉とはいえ、砕け過ぎたコトバではないから、
相手に対してへりくだるときに会話に出てきてもおかしい語句ではないのですよ。

方言には方言の敬語と常語があるのだから、
そのポイントになる地方言葉を一つ使うだけで、雰囲気がグンとそれっぽくなるのに。
しかし、そういう細かいニュアンスがわかってないんだよなー、って思う。

とはいえ、あまりにも忠実に方言再現しちゃうと、
「え?今の何言ってるんだかわからない??」と
字幕スーパーが必要になっちゃうのかもしれないですけれども。


今日の放映分でも、谷村美月さんといしのようこさんだけが、
あぁ、関西やね、
という雰囲気を纏ってる言葉遣い。
・・・と思ったらお二方は大阪・兵庫のご出身だったのですね、なるほど。
生まれたときから10代半ばまで耳にしているイントネーションっていうのは
その後どこで生活しようと無くしようがないのだな、とナットクいたしました。

いっそのこと、三倉茉奈ちゃんに「生きた関西弁」で口述してもらって
台本をそれっぽく変えてもらったらどうかしらね?
出演者なんだし年齢も近いから、わかりやすく、女性が使う神戸コトバに変換してくれそうに思うのだけれど?

(紅葉さんのも関西弁だけれども京都よりで神戸コトバという印象が低い。
 他の地域の人にはわかりにくいかもしれないけれど、
 京都・神戸・大阪の関西弁は同じ関西弁というくくりにされても、
 地元民には全然別物だし、敬語の種類も違っていたりするんです。
 近江地方は京都弁よりなので、紅葉さんや玉緒さんの言葉はまったく違和感ありません)




ターニングポイント。

人生って、あれ?と思うほど、
流されてしまう時点ってないですか?

もちろんその奔流へ向かうように仕向けてきたのは自分なのだけれど
でも、まったく動かない穏やかな溜まり水にたゆっている時期もあるくせに、

え?
・・・えっえっ?

っていうほどに飲み込まれ、
気づけば準備した覚えもない要件さえもがすべて同じベクトルを指していて、
そっちの方向に行きなよ・・・って耳の奥へ甘いささやきをしてくるような
そんな時点。


いや、大丈夫かよ、おい、って、
流されかけた中で、立ち止まって振り返って、足元じっと見て、
泥沼じゃないかも確認しなくちゃいけないの、分かっているんですけれどもね?


流れのままに、流されるという選択も、ありなのかもしれない、と
大げさにいえば
「運気」
なんて言葉はやはりどこかにあるのだと、
そんな気もしたりして。



ちなみに某数子先生の占いだと、来年の私は「達成」らしいです(笑)



覚醒、ではなく、鶴声。

思えば、一人で物事を決めたことなんて今までなかったのかもしれません。

もちろん、進学のことだとか、
就職のことだとか、
そういうのは自分が決めたのだけれども、

その前に「入学・就職のテスト」だとか
「進路指導」だとかいうチェックポイントがあって、
あれも、これもと思う気持ちはかなりの焦点に絞られていて、
その中から・・・そしてほぼ一点しかなかったそれを選んだわけで

それはきっと「一人で選び取った」とはいえないような気がします。


迷うことなんてないよ、と
心では強く思っているけれども、

どこかで、本当にこれでいいの?大丈夫?って
疑う自分もいて、

・・・いや、
疑うというより、「現状」を手放すことが怖くて仕方がない自分がいて、

だって「先」が「現状」よりも良いだなんて誰もわからないことだし、
いやいや、「先」がないから「現状」であってはいけないのだけれども、

とまぁ、どうしても思いきれないこんなときに。

背を押す、パワーをくれる、
そんな役目をしてくれたのは、やっぱり、母でした。


きっと母はこれも知っているとは思うんだ。
そんな愚鈍な娘ではあっても
最初のローギアの部分だけ、少しだけ力を借せばよいのだってことを。
このコは背を押されて一旦飛び出したら最後、
腹さえ据わればたぶん、他の誰よりもずっと
何事でも自力で乗り越えるだけの馬力はあるってことを。

だからね、もう大丈夫。



不惑も過ぎて幾年もたつというのに。
いつまでも頼るばかりの愚娘で申し訳ないと思いつつ
そんな役目をお願いできる人はもう、母しかいない。
まだ、今は甘えさせてもらおう、今は、まだ。





自己保身のために、しらんぷりをするのは罪なことなのかな。

罪なのかもしれないけれど、
同じことをずっと私にしてきたでしょ、そんな相手に、
親身になる気持ちがなかなかおきなくて。

あー、ぢぶん、ちっせぇ。

でも小さい自分に抱えられるコトなんて
そんなに大きくないんだ、って。

それに気づかない相手だって、
こちらのこと見てもいないんだって思うから、
悪いけれど、優先順位のままに
大事なものだけでも守れるように頑張るのが精一杯。

そこを責められたってね。


・・・大事なのは、あなたではない、というそれだけのことでしょ?


どうやら私には、感染性胃腸炎というヤツに耐性がないらしい。

去年もこの病に毎月のように罹患して、
その辛さに、今年は絶対かからないぞ、と
流行の声を聴いた端から、手洗いうがい励行してきたつもりだったのに。

この病気、私の場合は、消化不良気味だな、という胃の不調から始まり、
首筋の異様なこりを感じたらもうアウト。
その次には激しい頭痛がきて、立っているのが辛くなり、
その後に吐き気。
ひとしきり体の中身が全部でたら、1日すればほぼ回復・・・
がパターンのようです。


今回は土曜日、首筋に重みを感じて寒気を感じたらもうダメだった。
その晩は這うようにしながらなんとか晩御飯を作ったけれど、
日曜日はもう床から出ることもツライ有様。

中高生に指示してなんとか晩御飯を作らせて、
長男の食事介助もやってもらい
(もう、なんと感謝してよいかわからない、息子たちありがとう!)
月曜日にやや回復。
ようやく本日火曜日の朝うどん半玉食べられた。
あぁ、もう大丈夫だ。

土曜日お昼からこっちまったくの絶食状態でした、2日半。
今回は水分を吐くことはなかったからまだましだったとはいえ、
決して楽ではなかった、

そんな私が、洗濯物を干していたら、たまたま居合わせた義母。

まずは「もう体大丈夫なのか?」と聞く。
これはまぁ普通ですよね。

でもその次の台詞が・・・

「一昨日の晩の鍋になぁ、お出し用の昆布入ってたやろ?
 あれを甘辛に炊いてん、鷹の爪入れて。
 おいしかったわ、上手にできて」


・・・

こんな、思いやりのない言葉ってあります?

鍋を作ったのはうちの息子たちです。
慣れない息子の作った、そして私が吐き気をこらえながら作ったごはんを
何日もへろりと食べたうえで。
ご自分は佃煮を炊いていたわけだ。

あなた方はご自分たちで晩御飯を作るだけの
いろいろな意味の余裕や技術がないというから
ずっとこちらが作って差し上げているというのに?

ではなぜできないの?
嫁が病で寝付いているときくらい、
「自分たちの分くらい自分で作る」
ってことが。

佃煮炊けるんだもの、1日2日、できないはずがないよね?
確か、炊飯器も持っていたよね?

別に、こちらの分はこちらでなんとかします。
あなた方の分がないだけでも私はとても助かる。
作る量も減る、調理時間も減る、取り分けてそちらに届ける手間もかからない。
恐ろしくたくさんあるあなた方の好き嫌いに対応しないだけでも
どれだけ作れるメニューが増えるでしょう。
それがなければどれだけ楽でしょう。
そうしてあげよう、という自発的な意志はまったくない、ととらえてもよいでしょうか?

もう私ムリです、お願いします、自分でやってください、
と嫁が頭まで下げないと、
助ける行動をとる気はまったくない、ということなんでしょうね。

そうやって、頭下げたり、甘えたりしない私も悪いのでしょう。

でも、私はこれができちゃったんだー、スゴいでしょ、的言い方で、
この件を嫁に賛同を求める、っていうのは、やっぱりどこか違うしズレてるし。
受け入れかねる自分がおります。

弱っているときに「やってもらったこと」はいつも以上に感謝したくなるし、
弱っているときに「やられたこと」は忘れ難いもの。

「大変やなぁ」「大丈夫か?」
言葉だけなんて、誰だってかけられるの。
本当の思いやりは、言葉だけの上っ面なものではないのは当たり前で、
こういうときに、相手に対する「想いの深さ」が出てくる気がして仕方がない。



まぁ・・・

佃煮作れるくらいなのだもの。
私がいなくなっても晩御飯困らないよね、
ってことはよーくわかったから、

だからもしも彼らと離別する場面ができたとしても、
罪悪感を少し軽くしてもいいかな、と前向きにとらえましょう。



私、ポジティブシンキングができる人間なのだと気づきました、最近ww
そういや昔から、ねこっては能天気娘♪ってよく言われてたわ(笑)
でもいいの、そうでもないとやってらんないし
そうであったら、きっと、何かが報われてゆくと思うんだ。









早朝の地震・・・お見舞い申し上げます。
どうか何事もない・・・ことはないでしょうが、被害が最小で収まりますように。


今日は朝起きてからTVなしでバタバタ用意をしていました。
我が家のTVは朝は民放、晩はNHKを見ているパターンが多い。
ですから朝いちばんにつけたときはNHK表示です。

6時すぎにつけたら画面が「避難してください」の言葉ばかりでびっくり。

で、いつものように民放に変えたのですよ。
そうしたら、そちらも「避難してください」ばかり。

・・・んー?
この時間帯のこの放送局は「地方ローカル発」の番組だったハズなんだけれども。

もちろん、警報発令されている地域であれば
「避難してください!おちついて!高台に、すこしでも高いところに避難してください!」
の連呼は必要だと思うの。
見ているチャンネルが違うから知らなかったでは済まないことですもんね。

でも・・・揺れさえも感じなかった地方ローカルで、この連呼画面を表示しなくてはならない理由がわからない。
わざわざ、自局からキー局へ画面を回してまでして。
こんな緊急時にのどかな番組するんじゃない!っていうお叱りでも来るんですかねぇ?


台風の報道は、興味もって見るんです。
だって台風は移動するものですから。

今どこだろう、自分の地域が身構えなくてはならないのはどのくらいの時間帯だろう。
どのくらいの強さだろう、ここではどうだ?という判断材料にする。

でも、津波、地震の情報について「避難してください」の連呼、
ごめんなさい、ここまで津波はこないです、警報も注意報も出ていません、
地震の振動すら感じませんでした。
この「避難してください」の連呼が逆に、心臓に悪いんです。

・・・必要なんでしょうか。
警報が出ている場所近辺以外に、この連呼の画面の放映は。

もちろん被害状況ですとか、そういうものはね、
ちゃんと報道してほしいわけです、
手を差し伸べることができるのなら動きたいと思うし。

でも、「緊急に避難してください」連呼はねぇ・・・。
必要外のところでこの自分自身には関係がないアナウンスによって、
被災地から転居してきた人なんかの心の傷がフラッシュバックするんじゃないかと、
逆にそっちのほうが心配です。



しかも、です。
この、単純な連呼で、澱んだり、言い間違えたりを多発する民放のアナウンサー。

なんですか、あれは。
反省しなはれ!
キー局のアナウンサーとして、恥ずかしいと思わなくてはならないです。


わかるんです、単純な文言を延々と言い続けると、
ゲシュタルト崩壊?といっていいのでしょうか、
自分が何を言っているのかわからなくなったりすることがあるってことは。
(私、広報車に3~4時間ぶっ通しで乗った経験があって体感しております)

でも、そこを抑えて、淡々と、でもわかりやすく伝える、
それがアナウンサーという職種の一番大事な技術でしょう?

活舌は初期にしっかり身に着ければ、そこそこできるようになり、
自転車に乗るのと同様、急にできなくなるということはない。
でもこういう緊急時の報道っていうのは、それなりに定期的に訓練しないと対応できない。

それをやっていないでしょう?
それは職務の怠慢か意識不足だ。

図抜けて安定していたのは、やはりNHKのアナウンサーでした。

現地周辺とNHKは注意喚起、ガッツリすればいい。

でも現地に流れる以外の民放はもう、連呼するのやめたらどうでしょう。
どうせまっとうにできないのだったら。






野菜が高ぁい・・・
毎日のようにもやしか豆苗買ってます(笑)

で、たまたま「あさいち」見ていたら「冷凍野菜」の特集。
なるほどなぁ、そういうモノを使うという手もあるなぁ、と思いつつみていたら・・・

農家という方からのFAXが読まれる。

「高いからといって生鮮野菜を購入してもらえないと
 生産農家は立ち行かない。できれば買って欲しい」

・・・気持ちはわかるんだけれど、聞いた時点では、なるほどそうかとも思ったけれど。
しかし、じっくり考えてみると、ちょっとばかり首をかしげる。


もちろん、売り場にある生鮮野菜が高すぎて売れない、
廃棄またはたたき売り価格になる、というのが困るのは理解できる。

ただし、生産農家って、少なくともJAを通している限り、
箱単位で買い取りされて、その時点で売買の契約終了しているはず。
生鮮品ですから、返品という事態はない契約です。
だから、
「高すぎて売れない」の経済的被害を受けるのは
売り場・・・スーパーであって、生産者じゃないんじゃないかなぁ・・・。

まぁ「高いから仕入れをしません」ってスーパー側が言ってきて、
こういう理由で需要がないので、買い取り価格を下げます、なんて
JAが言ってくるから困ってるというのならそれは意味が通るのね。
けれどそうなってきたのなら、市場価格も下がるはずで、
下がれば購買はされると思うのよ、だってやっぱり生野菜は魅力的だもの。

なんだかなー、ホントに農家発なのかね、あのFAX。


むしろ、台風や地震などで被害を受けなかった地域で、
品薄になっている野菜を生産している土地の方は
例年よりずっと儲かっているんじゃないかな、って気がするんです。

でも、被害を受けた皆さんは、
数か月、一年と手間暇かけた商品がまさに水の泡となってしまって、
予定していた収入があげられず、本当にお困りのことだと思う。

同じ品を作っているもの同志の相互互助とか保険あるのかなぁ、
あったらいいのにね?


そういえば・・・

出荷最盛期、できすぎてしまった野菜を
売りに出さずに土に漉き込む、なんて話が報道されると、
「なんてもったいない!」
「安くしてでも売ってほしい、食べて欲しいと思わないの?」
という意見を聞くけれど。

農家側にも事情があって、それは少なくともJAを通す限り、
野菜を出荷するためには必要コストがさまざまかかっているのだということが
ネックになっているのです。

もちろん作るために買う「苗」だとか育てるための「土」「肥料」
そういう経費もいるのだけれど、それ以上に困るのが、

「配送するのに詰めるために必要な『ダンボール箱』の代金」と
「配送する費用」 が必要で、それが存外高いのよ。

ダンボール箱は新品&指定の品でないと認められなくて、
購入すると1つ何十円~何百円するわけ。
そして配送料も1箱いくらで取られる。

しかも、箱単位の野菜の価格は、「買取側」が決めるのです。
こちらが「この値段で・・・」と交渉するのではなく。
価格は毎日変動制です。
需要と供給のバランスで、そこで調整されているということです。

生産者側が出荷するためにはその価格をまず受け入れなくてはならない。
ダンボール1箱分が2000円で売れるのならば、
配送料が500円、段ボール箱が150円でもペイするけれど、
1箱分の野菜の購買単価が300円、なんて時もあって、
つまり1箱出したら350円分は自腹を切るのです。

しかも、350円の自腹には、苗代・肥料代、
そして収穫する手間賃やずっと世話をしてきた作業の代金は
まったく含まれていない、本当の赤字額はもっと多大だということです。

・・・んな阿呆なこと、何回もやる商売主はいないでしょ、って話です。
農家って個人事業主だもん、当然でしょう?
被ったら自分が食べていけませんやん?


でもねぇ?この実態を知るまで私、
スーパーに並ぶ生野菜の販売価格って、
「生野菜本体の値段」と「生産地からの輸送代」
「スーパーという場所の土地代」「商品の維持管理・販売員などの経費」が
加算され含まれている代物だと思っていたわけです。

絶対、誤解している人多いんじゃないかと思う。

ところが、農家はJAに輸送費を払っている?という事実を知ったとき、
ってことは「販売価格」に含まれている輸送費っていうのは
どっからどこまでのモノなんじゃい?と不思議に思った。

・・・すべて、流通小売業界の経済の内々であるということですね。

箱代・輸送代を負担してくれる小売業があれば農家は喜んで商品出すよ。
だって「美麗な新品の箱」を望んでいるのは、農家じゃないんだもの。
なんでそんなモンに金払わないといけないの?

でもって、最終到着地のスーパーでその箱の扱いってば、
足で解体されてゴミ扱いなんじゃないの?
↑これは実態知らないからそうでなかったらゴメンなさい

何度も書きますが、このモノに対してお金払っているのは「農家」なんです。
少なくとも生産者は、商品が傷まない状況で送れるのならなんでも構わないのに。
リサイクルできねぇのかよ、って思っていますわ、本気で。

誰が必要としているの、美麗な箱。
必要としている人が金を払うべきなんじゃ、と思いますが。
それは、一部贈答品の果物なんかを除いたら、消費者でさえない。
(消費者は、キレイな箱に入れたかったら
 『箱代・ラッピング代』払ってでもやってもらうよねぇ?)
意味ねーなぁ、と思います。


だから、
生産者側の「お困り」の相手は
消費者ではなく、流通業界だよね、きっと。


高い野菜代に困っているのは消費者で、
もちろん生産者にも、この品薄時だから高値で卸していて
それも価格に反映されるのは、当然のこととは思うけれども、

そういうことで売れないのなら、
流通の側がもっとふんばって何等かの工夫をしたらいいのにね?
だって彼らは、商品を売ることで、諸費用を回収できる手段があるのだから。



昨日、旧友方に招かれました。
あれこれ話しは盛り上がり、・・・なぜだか買い物カートの話になりました。

「重いもの手で持つと、腕が傷んでなかなか治らなくなってきちゃったわねー」
「そうそう。だからさ、あれ欲しいんだけど『カート』」
「でもさー、引っ張るヤツ?あれも肩とか腰とか痛くなるって母が」
「あー、体をぎゅってねじるからねぇ」
「車いすとかベビーカーみたいに前押しのが一番体によさそうよね」
「でもさ、そういう形のって、なんての?よっこいしょって座れる形の・・・」
「そう、あれは買うの躊躇しちゃうわよねぇ、これ使わなくちゃいけないほどバアさんじゃない、もう少し違う形のはないかって思っちゃう」
「旅行用のタイヤのついたスーツケースみたいなので前押し型があればいいかもねぇ」

ここで皆、珈琲を一口すすり、Sちゃんが再び開口。

「・・・いっそのことさぁ、自動でついてきてくれたら一番便利じゃない?」
「なるほど、リモコン持ってたらその人のあとをついていくみたいな?」
「そうそう、お掃除用のロボットがあるくらいだからさぁ、できるんじゃないかなぁ?」
「名前つけたりしてね?」
「ぽち、とか?」

女三人寄ると姦しいと申しますが、阿呆なアイデアも盛りだくさんでるもので。
・・・売れるかもしれませんぜ?リモコンで勝手についてくる買い物カートロボット。
どなたか開発してください、私も欲しいです(笑)

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