請負開発やっているけれど・・・
過去作業の資料って何年間保管する義務があるんでしょう。

最近、ここ3~4年くらい触ったことがないサイトの修正を頼まれて、
請け負ったのはよいのですが、
開発用に必要だったので、
「サイトのIDとパスワ下さい」
ってお願いしたら、

前にもここの作業お願いしているのに情報保存してないのっ?

って激怒されました。

環境についても
「ちゃんと覚えておいてもらわなくちゃ」
って。

そりゃ、環境について一から十までしっかりとメモしておけば
そんなことにはならなかった、
それは私が悪いのかもしれませんが。

でもさぁ・・・

発注側は毎日のようにその環境に触れていて、
月に2~3回も直接顧客と逢って話をしているのだから、
そのシステムについて頭にしっかりと根付くのでしょうが。

3年前の詳細について覚えておけ、と云われても・・・
その後にあれやこれや私事もあったし、
別の仕事も受注しているから
頭の中はそっちに刷新されちゃってる。
アナタの会社の専属でもないし、ましてや社員でもない。
いい加減なことをするより、情報開示して発注すべきだと思う
私が甘いのでしょうか?

ましてや、その前の作業で、
「本番の顧客サイトは触られると危ういから元請けでする。
 請負はテストサイト開発だけでいい」
って云われてる立場としては、
なんだかなぁ、な気持ち。

だって、
単なるいち請負(しかも個人業者)な私が
いつまでも大事なID・パスワを持っているのって
情報保護の点からいって危ないんじゃ、
とも思うんだけれど?
・・・だってDB内容改ざんされたら、
その会社大損害になっちゃうよね?いやしませんが。

本来は、契約終了したら
請負側はそういう情報は完全破棄しちゃうべきなんじゃ?
そして管理側としたら、少なくともパスワは変更して安全を図るべきなんじゃ?

・・・私の認識が間違ってるのかなぁ。


なんか、この仕事引き受けるのイヤになってきたなぁ。
仕事する前から
「なんでコレできてないの?あれもないの?困るわねっ」
なんて云われて
作業仕上げても、
ここが悪い、あそこが悪い
なんてネチネチ云われるのかなぁ、って予測できてユウウツ。

請負は、契約内容通りに動いていて、チェック終了したら
契約は完全にそこで完結するのだと思いますが。
後出しでグチグチいわれても。


卯月というのに

2015年4月22日 日常
雨ばかり。
でもって野菜が高いこと高いこと・・・ツライっす。

本日久しぶりのお天気に、
久しぶりに外で洗濯物を干しました。

実はうちの子どもたち、花粉症を発症してしまい、
年明けからこちら、洗濯物は家干ししていたのですが。

あまりの好天ぶりにどうにも抑えられず・・・。
バスタオルだとかシーツだとか何枚もたっぷりと開きました。

久方ぶりの外で干した洗濯物を取り込んで、

あぁ、おひさまの匂いだ!

・・・と花粉症がない私は思うのですが。
花粉症のコたち、帰宅してくしゃみ三昧になっちゃったらどうしよう。
(あ、でも黄砂がダメなのですよね、私は。
 今日は黄砂感じなかったように思います)


そして今日はこと座流星群の日だそうで。
この天気なら流れ星見えるかもしれないですね。
何かお願いごと、考えよう。

一番簡単なのはきっと、
「幸来い、さちこい、サチコイ」

これなら3度言えないかなぁ。
間違えて「ばっちこーい」とか言っちゃいそうだ(^_^;

ここ1年半、いろんなことがありましたので。

収入、だとか。
支出、だとか。

そういうことをもっと意識しなくちゃ、と思います。

保険の見直ししなくっちゃー、とか
これからどれだけ貯金を殖やさないとダメなのかな、とか

想像するだけではわからないので、
どこかに相談できたらいいんだけれどな。

・・・でも、
相談先に自分の資産をぜーんぶさらすのって、安全なの?

なんて不安に思ったりも、します(^_^;

某事故の件。

ダンナが生きている頃には、
この時期になると必ず「慰霊祭のお知らせ」が届いたし、
都度、「会社の現況」についての報告書のようなものも届いていたのに、

ダンナが他界してからピタリと何もこなくなりました。

あの事故で亡くなった方のご遺族には当然届いているだろうし、
現在示談中の人も、もう補償済みの人たちにも
ことの顛末についてのお知らせは届いているだろうに、

「被害者の家族」である私には
それを知る権利もない、と判断しているということなのかな。

少々腑に落ちませんな。


・・・って書くと、サッカー選手みたい(笑)

そっちじゃなくて。
漢字で書くと「示談」

ダンナのある意味、負の遺産の某事故の示談と向き合ってます。

ストレス性の病とされる、ダンナの病については
事故とは関連性ないとバッサリ切られました。
まぁ・・・そうなるのかな、とも思っていたけれど、
もし当人が生きていたら、これに反発したかな。
きっとしただろうな。

大黒柱が、
しかも我が家のように介護なんてのがあってその人以外が働くのが大変という状況の一家の主要たる収入者が
病を得て、療養に入るということは、
周囲の家族にとってだって、体力的にも精神的にも相当の負担だったけれど、
周囲に対する慰謝というのはないんですね。

・・・まぁそんなことを言っていたらキリがないのもわかるけれど、
だから「保障賠償」の事例としてはそういうのをバッサリと切るのは理解できるけれど

当事者としては、杓子定規に割り切れない。

だってあの事故がなければ、
ひょっとしたらダンナはあの病気を発症しなくて、
そうなったら薬事性の糖尿病や高血圧も発症しなくて、

 死ななくてすんだんだと思ってるもの。


ダンナを返せ、っていっても帰ってこないわけだし、
10割の怪我をさせた交通事故と同じ対応とすれば
そこそこの金額を提示されたのですが、
さぁ、ハンコを押すべきかどうなのか。


それにしても。
担当が変わって挨拶にくる、それはいい。

でも名刺を渡すのが、

ダンナ父親だけ、

というのは間違ってるんじゃないのか?

ダンナに対する補償をする=私と子どもたちが遺産相続するのだよ?
おまけに今までだって、交渉の窓口になっているのは私、なのに?
・・・ちゃんと引き継ぎできてるのかなぁ?
この件だけでも不信感マンタン。

まず謝罪をすべきは、私に対して、なんじゃないの?
子どもたちは学校でいなかったけれど、子どもがいれば
子どもにだって頭を下げるべき。
ダンナ親にはその後、でしょうが。

ここでも社員教育がなってないことが露見(苦笑)


和歌山、川崎と小学生に対する悲惨な事件が続いていて・・・

 学校担任からの電話に出ない母親。
 何日間も家に戻らない、深夜に外出する息子を止められなかった母親。

非難するのはたやすいけれど、
本当に実際自分がその立場になったら、
どんな行動を取ればよいのだろう。

丁度その年頃の子どもを持つ親として、
同じことが自分の子どもに起きたらどうするんだろう、
とついつい考えてしまい、落ち込むことしきり。


「悪い集団」と認識されていた中高校生集団。
そういう「悪い繭」に取り込まれてしまえば、
親だから、といっても、子どもには子どもの世界があって、
だから「大人」だというだけで、その繭の中に入ることは難しく手出しできない部分はあるように感じている。

今回だってSOSはほとんど子ども世界の中や
LINE(これだって子ども世界内部のコミュニティ)で発せられていて、
それがどこまで大人に繋がっていたか、繋がらないままだったのか
繋がっていなかったのなら今後どうすくい取るかが大事になってくるんだろう、って判る。

だからといって今回は、痣を作って帰ってきたり
深夜徘徊があったり、生活が荒れていることはわかったのだろうから
親や家族が対応はすべきだったのだろう。

この場合はどうするの?
・・・やっぱり警察やら学校やらに相談するのが手始め、なんでしょうねぇ?

かの事件のご家族がどのような生活をしていたか
本当のところを知っているわけでもないから
何とも言いようがないのだけれど。


ただ。
本当に悪いのは。

「悪い集団」と認識されていた中高校生集団がそこにあったということなのでは?
「悪い」って判断は「地域の大人」がしているのであるなら
それをそのまま放置したのは「地域や大人」の怠慢なのでは?
そこが、一番の要因なんじゃ、と思えて仕方がなくて。

その集団がなければ
あの少年は今でも元気にバスケをしていたのかもしれないのに。


まだまだ現実で引っ越すことはできそうにない、ですが。

住宅系のサイトにおじゃまして、
間取りやら家賃やらを眺めて、
ちゃんと経済的に生活できるのか皮算用しています。

私と長男だけなら1DKでも充分なんだけれど、
下の子たちが2人もいるからなぁ・・・
しかも男児だもんなぁ、デカくなるよなぁ。。。

どんだけの広さがいるんだろう?
家って延々借りるのと、買うのとどっちが得なんだろう?

全然わからない、でも・・・
いろいろ考えるのが楽しい。
考えるのが楽しい、って思えたのが久しぶりな気がする。



我が実母だけがそうなのか。

全般的に親というものはそうなのか。


2月2日の日記

2015年2月2日 日常
命の重みに違いはない。

でも生き様の重みの違いは確かにあるんだな、とわかった日曜日。


今、紙1枚分の重みもないような生き方をしているけれど、
後に後悔しないよう、日々を生きていかなくちゃ。
薄紙一枚ずつ巻く程度でもいいから。
バウムクーヘンみたいに少しずつ年輪を重ねられたら。


・・・それにしても、
殺してみたかった、なんて理由で絶たれる命があって。
同じ命なのに。




餌付けしてしまったネコの一匹が交通事故にあい、
かなりの重症。

もし。

偶然通りかかってその姿を見なければ、
抱え上げたときに彼が動かなければ、
病院に連れて行ったときまでに命が燃え尽きていたならば、

迷うことはない。
庭の片隅の土を深く掘る、それだけのことだったと思う。

けれど彼は長らえて、
それでも外科手術をしないと「食べることができない」状態になっていて、

保険の利かない野良猫の手術代が十万円を超える、
その前後通院入院費も募る、
そんなお金を払ってまで助けるべきか、
迷ったけれど、
末っ子の涙に負けて・・・(出世払いを確約させたとはいえw)


この判断が正しいのかどうか、自分でもわからない。

でも、
苦しむネコの姿が、
意識不明だった時の長男や、間際のダンナの姿とダブって、
やっぱり見殺しにはできない。


なんだか、いろいろと、痛い。

わざと、とか、度重なる(つまり製造工程に企業努力が必要)とされるもの以外は、混入を全くなくすこと難しいんじゃないのかなぁ? 

だって工場だって人間のいる空間なんだから。
空気はないとダメなんだから。

そりゃ、異物なんてないに越したことはないけれど。
そして、入っていたら注意はするべきだと思うけれど。
謝罪も必要だし、代替品の準備くらいは当たり前だと思うけれど。
何度もその誤りを続けるのは論外だけれど。

マクドナルドは別として、他の企業サンの混入は、
どこで何度起きたことなんだろう?
それにマクドナルドの場合は店舗数や工場規模が大きいから1つ見つかれば
多数各所で見つかるのは当たり前、なんでしょうねぇ?

工場製品の製造時にでないと入らないであろう事柄や毒物は即時公表かも。
でもソレ以外って各店舗店頭の対応で普通なんじゃ?
もちろん、こういうヒューマンエラーがありました、という報告はあるべきで、
それを集計して、従業員教育を実施するのが会社組織の仕事という認識はある。

だからもちろん、あの「中国の工場」はトンデモだと思ってるし、
だから最近マクドナルドにはやっぱり足が向かないのですが。

一度きりのミスでもこういうバッシングになるの?
やれ報告がなかっただのの全国的なバッシングは
うーん、そこまでする?って気持ちになっちゃう私は甘いのかな?


ただ、一方で思うこと。
産直ショップのお米を常温で3ヶ月以上放置したうえで、
「虫が湧いた」って苦情電話かける人がいるのは事実。

個人の農家で、生米に殺菌までする人なんていないよ、多分。
畑から直行したキャベツに青虫いるのは当たり前、ってコトくらい
理解しておこうよ、って言いたくなる。
コクゾウムシにぎゃぁぎゃぁ云う人が減農薬についてこだわってるだなんて片腹痛い。

「ナマモノ」と「工場製品」を一緒くたに語るのはおかしいことなんだろうけれど。
根源は一緒なのかも、と思ったり。



あけましておめでとうございます・・・ってもう明けてから随分たってしまいました。
皆様がつつがなく新年をお迎えになっておられますように。

我が家はただただ、引き篭もりのーんびりと過ごしました。

雪が積もると、車いすは動きがとれませぬ。
ということで、初詣もまだ、です。

まぁ、そんな年もありますよね。


年初にあたって・・・
まぁ、いろいろと考えていることはありますが、
今年の目標は、

 躊躇なく捨てる

です。
なにせあれもこれも
「まだ使えそう」→「取っておこう」
ともったいないお化けに取り憑かれてしまっているようなヤツなので、
家の中至る所に「ムダ」があります。

これをスッキリする。

捨て去るときには出来るだけ
遠くへと投げ上げて思い切り捨てちゃいましょう。

身綺麗にする。
そうしたら、もっともっと、いろんなことにチャレンジできる私に変われるかも、って気がしてきています。

そういう思い切りを持てるように、
心強くありたい。


相変わらずなねこってですが、
今年もどうぞよろしくお願い致します。


松たか子さんのご懐妊。
素直におめでとう、でいいのにねぇ?

稼ぎどきを逃した・・・って、
子どもを欲しい夫婦にとって、お金<赤ちゃん、ですよね?

まして松さんがお金に困る環境だとも思えない上、
ママになったって稼げる方なのだから。
全然問題ないじゃん?

批判的な人は、自分が旨い汁を吸えないことに不満なのかな、
って思えます。


そして・・・

その「稼ぎどきを逃した」という意見に反対している意見の中で、

こういうことをいう(つまり女性の妊娠<仕事という立場を述べる)人って
往々にして「ベビーカー」なんかに対してもうるさく云ってる人でしょ

ってあって、

そりゃ違うだろ、

って突っ込みたくて仕方がない。

いいですか?
妊娠出産は、その人と、その人の家庭、
親族、友人関係、そして職場といった関わりのある周囲には影響を及ぼしますが、
それ以外の方には何ら問題がない、個人の範囲の問題でしょう?

もちろんそこで、会社のあり方、子育て中の社会問題などが顕在化します。
けれどもあくまでもそれは
個人を取り巻く環境の問題であり、
行政の問題であり、
指摘・改善を行うことは望ましいことですが、
その問題が見つかったからとて、不特定多数に対して改悪がなされるわけではないはずです。

片や、
ベビーカーを連れて満員電車に乗る、なんてことは
社会全体の、その他大勢の一般市民を巻き込む愚行です。
(もちろん、連れ回される赤ちゃん自身だって可哀想&危険だしね!)
誰が危害(とあえてこの言葉を使います)に逢うかわからないことをしでかしているわけで。

一緒にすること自体が間違い。

混同する人が多いみたいで、苦笑しちゃうわ、まったく。


真ん中ににんじんをぶら下げてみました。

つまり、

今度の期末テストで◯位以内に入ったら
これを確約してやろう

というアレですな(苦笑)
あんまりこういうの好きじゃないんだけれども。

真ん中クンてば家で全然勉強しないんだよ。
ホント、ほとんど見たことがない。

個人懇談で担任がいうには
「せめて家庭学習1時間はやってもらわないと」
他の子はそのくらいやっているっていうんだけれども。

まぁそれでも地べた這うような成績は取ってこないし、
宿題はそれなりにやっているらしい、となると怒るに怒れない。

 え・・・?それじゃ甘いですか、やっぱり。

けれどあまりにも机に向かわないので、宿題、ドコでやってるんだろ?って思った。
どうやら学校で、休み時間にやってしまう、らしい。
ウソでしょ?ごまかしてるんとちゃうん?って不信だったけれども、
真ん中友人母が、「うちの子も『ヤツは昼休みに宿題やってるからな』って云ってた」というのでウソではない模様。

で。

「本気出したらどんだけ成績上がるん?」
「うーん、どうかなぁ?」
「どうかな、ってコトはやっぱり本気ちゃうんや!」
「うーん、ソコもどうかなぁ?」

地道に勉強しないものだから、記憶が点数を大きく左右する教科(歴史とか英単語)がすこぶる悪い。

へへへ、そこ、直したらどんだけ上がるもんだか見てみたいわねぇ、って云ってみたら。
じゃぁ今度の期末はちょっとだけ勉強してみる・・・

って、ちょっとだけ、かよ(笑)

やってみて。
うん、それで、どうなるだろ、ですよね。
成績が上がって、なーんだ、って見下して自滅するのか
ふーん、この程度でデキルんや、ってそれを維持する方に向くのか、
そうか、こんだけイケるんやったらもっと、って気力充実するのか、
そのあたりがちと微妙だけれども。

それでもしないよりはいいわいな。

えーとね、真ん中クン。
確かキミの学校は、上位5位くらいまでに入ると学費が割引になるんだよ?
1位だったら全額免除なんだけど!
↑自分のコだからね、そこまでは求めてない(笑)


今日は朝から病院リハビリ→学校→家→夕方に学校バスお迎えという予定で、
100km走行突破コース。
学校へ連れて行った後、家に帰る前に晩秋の町並みをぶらぶらしよっかな、なんて考えていたところでした。

が。

車、家から出して公道に出るまでで気づく。
何か、おかしい。
加速が伸びない。
なんというか、サイドブレーキを引いたまままで、運転している、
そんな感触。

こりゃ、ダメだ。病院までの50kmなんて運転したら危うい。

というわけで、急遽Uターン、ディーラーの営業時間に即座に電話して、
点検をお願いしたところ。

やはり、トランス系の機械の故障で、
交換修理したら、12万円ほど、だそうで・・・


どーするよ、それ!

13年めの車検が半年後。
走行距離は19万キロを誇る愛車はそろそろ交換時期かな、って調べ始めたところでしたが、
まだ走れるもんなぁ、って少しばかり躊躇していた面もあり。
ってかこの間17万円の部品を修理したところ、っていうのもあったのよね。
もったいない、みたいな。

でも。
・・・背中、押された気分だ。

12万円をこの車に投入するのなら、
新車を買って、ドライブレコーダーでもつけたほうがいいに決まってます。

心は決まりました。

あと、問題点は、
介護用の車がないと、長男の送迎がとても困難だということ。
誰かもう一人介助者がいれば、
手持ちのコンパクトカーに何とか載せて、
車いすも畳んで縮めて、なんとか載せて、
そうすれば学校の送迎バスの停留所(10km先)くらいまでは行ける、と思うけれど
(実際ダンナはそれで送ってくれていたし)
一人で、普通車に、40kgの動けない人間を載せるだけのパワーは私にはない。

ディーラー営業に、
「新車にしたら納車はどれだけ先?」
って尋ねたら、
「2ヶ月」
・・・待てるかっ!

今日中、ディーラーの動向を確認して、対応できないようなら、
目星つけていた別会社別車種の納車待ち期間を確認して、
早く納車してくれる方を買う。
もしそこも2ヶ月というのなら、今お付き合いしているディーラーにする。
そして出来る限りの援助をさせる。
そうする。決めた。

この際、値段については四の五の言わん。

多分、ホンダの方が80万円くらい安い。
だからすごく惹かれたのね。
でも機能はかなり落ちる。車種のラインが低いから。
自動ドアがなかったり、安全装置等の設備がなかったり。
それで決めかねていたけれど、もうこうなれば、最優先は納車までの日にちだよ!

・・・こんな決め方があっても、いいよね(苦笑)

少しでもラクになるべく、福祉車両の導入を考えてます。

今現在も福祉車両なのですが、
椅子が回転して下に降りるタイプのもので、
つまり、椅子に載せるのに人本人を抱き上げて載せなくてはならない、その重さが辛くなってきたのです。
つかまり立ちができるのなら全く違うんですけれど、それもできないので。

で、リフトかスロープで車に入って車いすのまま移動できる車を探しています。

でも・・・選択肢がないことがわかった。


私+子どもたち+車いすの4人が一度に乗れるもの、と限定すれば、
軽自動車の「車いすごとのれるスロープタイプの車」は除外されちゃう。
あれは車いすが乗ったとき運転席・助手席しか乗れない3人乗りなのです。

できればあまり大きい車にしたくない、と考えれば結局、

日産のセレナ・キューブ、ホンダのフリード、トヨタのヴォクシー
この4つくらいしか選べないみたい。

あぁ、どれもお高いわ。
軽自動車やコンパクトカーで十分なのに・・・。

高齢者社会になり、車椅子利用者は増えているはずだけれど、
まだまだマイノリティなのね、と思った次第。


この家を出ることで起きるマイナスと、
住居を変えることで受けられるプラス面と、
天秤にかけたら・・・やはりプラス面が多いということには気づいていました。

経済的に、家賃支出が発生する、その点はマイナス。
そして現在、親世帯がまとめて払ってくれているものもあるから、
そちらは支払い増額になる。
でも蓋を開ければ、ガソリン代だの、子どもの送迎に関わる時間だの
親用に支払っている所々の代金などで相殺できる程度なのかもしれない。

・・・火災保険だって、固定資産税だって、賃貸にするならばもう少し抑えられる。
まして、介護に関する送迎援助や、訪問看護、
ヘルパーの手配や外出援助などの福祉サービスは格段に受けやすくなる。

結局、マイナスになるのは私ではなく、
経済面でも(私が同じ住居にいることで、年金を受け取っているのですよ、それもかなりの額を)
生活面でも(晩御飯やら朝ごはんやらはほぼ、私に頼りきりだし)
同居「してもらっている」義父母が困るわけです。

ただでも彼らは「同居してもらっている」という、こちらへの感謝を見せる意識はなく、
そしてこちらを生活面・経済面で援助してくれるということもなく、
むしろ経済的には私の実家に助けてもらってるという現況。

・・・やっぱり、おかしいんだよ、こんなの。

それでも困るんだったら可哀想だし、という気持ちがどこかにあって
踏ん切りがつかなかったのですけれども。
とにかく会う人逢う人に、そりゃ全部抱えるのはムリやで、と諭されて、
修羅場くぐってでも、ダンナの思い出捨ててでも、
時期があるのならそれを決意すべきなんだ、って気もちになってきた。


まして、田舎というところは都会では考えられないくらい自治活動がある。
そして自治活動と、自治維持のための経費がバカ高い。
都心部の実家で支払っていた額の10倍以上する自治会費だとか。
消防用水用の池の維持費用だとか。
農道周囲の草刈り業務だとか、地元にある寺社の維持活動だとか。

近親者たちは、きっと、私がいなくなれば、誰かが「これ」を引き受けなくちゃいけない、それが面倒だと思って、やってくれるならこの子がやってくれんやろか、みたいな感じなんだと思う。

だから私を怒らせないように振舞っているのが叔父。
無干渉というより無視しているのが義弟。(ただ、礼さえも云わないのは人としてどうなの?)

だって本来この人達がこの家継いで支えたっておかしくはない。
ダンナは家長を継がずに亡くなったのだから、私が継ぐ必要はまったくない、と私は考えている。

けれど、・・・まぁ、そうよねぇ。
私にとっては親戚ってお正月来て、おせち料理を食い散らして帰る人たちという認識なのよ。
この方々から結婚式以外で「振る舞って」頂いたことなどついぞありませんものね。
一方的に振る舞うばかりだった。
まぁ、本家っていうのはそういうものだとは思うけれど、義母は料理しないし、毎年それに耐えていたのはずっと「私」だけという図式だった。

それでも労ってくれるから義叔父夫妻はまだ許せるけどね(苦笑)

料理もつくらない大晦日はさぞラクだっただろう。
喪中だった去年の私はとてもとても余裕があったもの。
何年もの間、それをやり続けていた私。
それは長男であるダンナのためでもあったわけで、配偶者としてそれは仕方がないことだと割り切っていたものの。

そのダンナがもういない。

で、どうなのでしょうね。
もし今、義父母のどちらもが亡くなったら、喪主って誰?
私じゃないのは明らかでしょ?筋違いだもの。うちの子どもがするってこと?
代を越えて?成年にもなっていないのに?それ、おかしくない?

普通はどうなんだろ?

・・・と考えると。

貧乏くじを引きっぱなしじゃ、やってられんな、と。
どれだけ今までの私が大変だったのか、ちょっと知ってほしいな、あの人達にも。
(もちろん私にはその上に障害児介護という重責まであるのだから、比較にもならないだろうけどねっ)
そしてそれを「当たり前」だとか「ないがしろ」だとかにされる惨めな気持ちも判ればいい。

・・・結構私も腹黒なのかもしれません。
やられたら、やり返す?!をやってみたいのかもしれない。
倍にするほどのパワーはないけど(^^;


そしてどうにもわからんのが、
一周忌に呼ぶ面子、私はほぼ知らん「親戚」なんですけど!

亡くなった人の親父の母親の兄弟筋を呼ぶなら、
亡くなった人の嫁の親の兄弟を呼ぶほうが、近親だと思うけれども?
それとか、亡くなった人のイトコなんかのほうがまだ近いんじゃないの?

喪主は私だというのに、私の年代の人間が義弟だけ、というのはおかしくないの?
宴会や粗供養のお代金はぜーんぶ私持ちなんだから私に選ばせろ、といいたくなる。

まぁ、ここの葬儀ってのは「家」単位なんでしょうね。
結局「家」や、義父母の代のための仏事であって、「個人」の仏事でないのはあきらか。

なんだかそういうのもイヤになってきている私。
つまりは、田舎には永遠になじめないんだろうとわかってきました(笑)


昨日、一昨日と、学校や施設、行政の関係者と面談する時間が続いた。

「現状いかがですか?」

なんて紋切りの台詞に、
現在の私の状況を話せば、

みなさん、眉を曇らせる(苦笑)


だから、再認識する。

重度障害者と一緒にいて、
その下に学齢の子どもがまだ2人もいて、
ダンナが亡くなってしまい、
そのダンナの親が一緒に住んでいて(しかも家事援助はほぼしてくれない人たちで)
その上行政福祉がほとんど使えない(使えても有料になってしまう)土地に居る

っていうことが、・・・どんだけ苦しい状況やねん、ってことを。
(一昨日お会いした行政福祉の相談員の方は
 「多分、3人分くらいの苦労をしょっておられますよ」と云ってた。
 ・・・そうだったんだぁ!←当人は「普通」を知らないのでこれで「普通」かと(笑))

でもその苦しさを想像して、大変だね、と声をかけてくれるのは、
福祉関係者と、「私の」近親、友人であって、

この家の関係者たちはみな知らんぷり、だ。


苦しい!
辛い!
って大声で喚いたほうがいいのかもしれないなぁ。

耐える、とか、現状でなんとかする、
そういう方法で切り抜けてしまうクセがついているから、
なかなかそういう真似はしないのだけれど。

イイコでいてはいけないのかもしれない。

それにしたってね?
「云わなきゃわからない」訳はないと思う。
だって行政や関係者にだって、ちょこっと状況をありのままにお話しただけなのだから。

「知らんぷり」の理由はやはり

「思いやる気持ちがないから」

だと思えば、

こちらばかりがこの家のことを思いやって我慢するのは
愚者のすること、のようにも思えて仕方がない。

義父が、長男の扱いが大変そうだから、ベッドを買えば?
買ってやろうか?って云っていたけれど、
ベッドが必要なのは夜寝る時だけで、
ベッドから椅子への移動は今のところ、
弟たちが手伝ってくれれば何ら問題はないのだ。

そしてベッドだって実は二階に使っていないものがあって、
それを階下に下ろせば問題なく使えるんだ。

気にしてくれていることは確かだし、
悪い人たちではない、それは分かっているのだけれど、
やっぱり現実がちっとも見えていなくて、方向がズレてる。



できることをできるように始めなくちゃ。

ポイントは、
・長男が行ける介護施設はどこにあるか
・弟たちの通学はどうか
・私の経済活動をどのように安定させるか
この3点に絞られる。

今までは場所の限定を解くことを考えていなかったけれど、
もうココに来て、何か有利な展開があるのなら
引っ越すことなんて、当たり前だ、と気持ちが切り替わってきたみたい。

って・・・逆にそのせいで選択肢が広がりすぎて、
どこから決めればいいのか困ってるんだけれど。

だからまず、ハロワに登録してきた。
次に、ゴミの日ごと、1袋ずつ何かを余分に捨てる、という感じで
家の中のものを整頓し始めた。

いつだって戦える環境に。
けれど、戦うなら、一番効果的で、有利に進めたい。

そして何より今苦しい状況である、
長男を車に載せる、という作業を軽減させるために、
車いすのままで乗れる福祉車両に車を買い換えるつもり。

出費は痛いけれど、必要経費と思おう。
まずは自分の身体を大切にして、次は子どもたちのこと。
これが優先順位。


赤の他人のほうがずっと優しい、ということを
思い知ったこの一週間。
(というか、赤の他人だからこそ優しくなれるんだな、というべきか)

ちょっとココロが疲れてます。

win8

2014年11月9日 日常 コメント (2)
ただいまWin8マシン設定中・・・

なんとかなるもんだわ。
メアドだとか、サイトだとか
少々お片付けしておかなくてはね。


一周忌の準備

2014年11月3日 日常
ダンナの一周忌の準備が面倒。 

御斎の予約はいいけれど、わざわざ送迎バスの手配?
参加10人もいないのに? 

・・・実家親戚なら自分の車で行き、そのまま直帰、なんだけどなぁ。 

呑む気まんまんだから「送迎を準備しろ」なんだろうけれど。

どの方も我が家から「自宅に帰る」のに
自動車以外の手段はないのですよ?

本当に相手のことを気にかけているのなら

「お車でお越しでしょうから、アルコールは抜きで」

というべきところじゃないの?(苦笑)


引き物も、義父母がいうには

「よく貰うのは毛布とかタオルとかだとかそんなのだからそういうのにしろ」

いつの時代の話やねん?
・・・私ならそんなの要らない。

「しきたり(それも本当にそれが正解なの?と思うものも多い)」だの
「過去の体験(それも何年前なんだろ?と突っ込みたい。次はつっこむ!)」
に縛られるのがなかなか納得できない。

寺関係のことは話を伺うことにするけれど、
この人たちの言うことを鵜呑みにするのが正解ばかりではない と
今までの体験上知っているから
消えものか、カタログを準備しようと思っています。

きっと嫌味云われるだろうけれど、知るもんか。

私が主催者。


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