巣林一枝 分相応の暮らしに満足すること
だいありぃには1か月に3回ほど書くのがいつものパターンらしい
・・・と気づいたのですが、今月はなんと今回が初めて!
いやはや、ご無沙汰です。
みなさんの日記は読ませて頂いております。
引っ越しをしてからそろそろ1年に近づき、
ようやくここの暮らしのテンポが呑み込めてきたかな、という感じです。
はい、とても快適に過ごしています。
特に書くこともなく、穏やかに過ごしている、ということなのでしょう♪
1年前と今とで違うことはちょこちょことあります。
毎年冬場は土鍋を片付けるヒマもないくらい鍋料理が続くのに、今年は何回?
前年は外の畑からちょいと引いてくれば白菜が入手できるという環境で、
鍋は便利なメニューだったのでした(^_^;
しかしまぁ、今年の白菜の高かったこと!
もやし様さまの生活、でも誰も文句いわないし、気楽なものです。
そしてこの冬は寒かった、とみなさん仰るのにうちの家族は
「・・・暖かかったよねぇ?」
思ったほどに光熱費も上がらずでしたよ、熱効率がよいのですね、きっと。
あと調味料の減り具合が全然違う!
私は醤油が大好きだと公言してはばからないですが、
でも意外と「調理」には醤油を使わない、ということがわかりました。
なかなか1リットルのペットボトルがなくならないのです。
調理ではまず塩、そのあと「めんつゆ」や総合調味料を使うことも多く、
結局、醤油味が欲しいときは、食べる直前にかけています。
そのとき使うのは「かける用の醤油」。
というわけで、調理用の醤油は半分のサイズでも十分。
だって早く使い切らないと香りも衰えちゃう、
割高だけどそっちのほうが大事です(笑)
生活スタイルが変わるとあちこちに影響が出るんだなぁと。
4月から末っ子が家を出るので、また試行錯誤の日々が始まります。
つつましやかに、ムダのない生活を目指して。
・・・でも慣れるまでは、ちょっと大変、かな(^_^:
だいありぃには1か月に3回ほど書くのがいつものパターンらしい
・・・と気づいたのですが、今月はなんと今回が初めて!
いやはや、ご無沙汰です。
みなさんの日記は読ませて頂いております。
引っ越しをしてからそろそろ1年に近づき、
ようやくここの暮らしのテンポが呑み込めてきたかな、という感じです。
はい、とても快適に過ごしています。
特に書くこともなく、穏やかに過ごしている、ということなのでしょう♪
1年前と今とで違うことはちょこちょことあります。
毎年冬場は土鍋を片付けるヒマもないくらい鍋料理が続くのに、今年は何回?
前年は外の畑からちょいと引いてくれば白菜が入手できるという環境で、
鍋は便利なメニューだったのでした(^_^;
しかしまぁ、今年の白菜の高かったこと!
もやし様さまの生活、でも誰も文句いわないし、気楽なものです。
そしてこの冬は寒かった、とみなさん仰るのにうちの家族は
「・・・暖かかったよねぇ?」
思ったほどに光熱費も上がらずでしたよ、熱効率がよいのですね、きっと。
あと調味料の減り具合が全然違う!
私は醤油が大好きだと公言してはばからないですが、
でも意外と「調理」には醤油を使わない、ということがわかりました。
なかなか1リットルのペットボトルがなくならないのです。
調理ではまず塩、そのあと「めんつゆ」や総合調味料を使うことも多く、
結局、醤油味が欲しいときは、食べる直前にかけています。
そのとき使うのは「かける用の醤油」。
というわけで、調理用の醤油は半分のサイズでも十分。
だって早く使い切らないと香りも衰えちゃう、
割高だけどそっちのほうが大事です(笑)
生活スタイルが変わるとあちこちに影響が出るんだなぁと。
4月から末っ子が家を出るので、また試行錯誤の日々が始まります。
つつましやかに、ムダのない生活を目指して。
・・・でも慣れるまでは、ちょっと大変、かな(^_^:
一念通天
強い信念をもって一心に努力を続けていれば、必ず成し遂げられるということ。
末っ子の受験が予定より早く終わりました。
本当は3月までガンバル予定だったのですが・・・
ほっとしています、
なのですがー。
我が家のアイドル末っ子ちゃんは、
この春から、家を出て寮生活を送ることに。
合格、おめでとうなんだけど。
それは本当のキモチなんだけれど。
かなーり、寂しい。
ちょっとだけ泣けたわ。
強い信念をもって一心に努力を続けていれば、必ず成し遂げられるということ。
末っ子の受験が予定より早く終わりました。
本当は3月までガンバル予定だったのですが・・・
ほっとしています、
なのですがー。
我が家のアイドル末っ子ちゃんは、
この春から、家を出て寮生活を送ることに。
合格、おめでとうなんだけど。
それは本当のキモチなんだけれど。
かなーり、寂しい。
ちょっとだけ泣けたわ。
にゅうりょういしゅつ
2018年2月11日 日常 コメント (4)入量為出 入るを量りて出ずるを為す
つまり、収入をちゃんと考えてお買い物しましょうね、ということ。
実家母と電話のやり取りをしていた今日、この言葉で戒められた(笑)
入、が潤沢にある身分ではないうえに、
未成年が成年になっちゃうと更に入るものは減り、出るものの価格もあがります。
数年後そうなると分かっている上、今年に入ってから在宅の仕事が少しばかり途切れていて
はてさてどうしようかな、と考えているところなので身に沁みました(^_^;
いつまで経っても親が超えられませんわ。
「入」を増やすには「働く」という選択肢が一番身近なのだけれども、
ただ・・・それがたやすくないのも事実です。
今日のニュースに「入院より在宅で介護」を優先するように診療報酬を改定する、なんて記事がありました。
でもそんな簡単に「在宅介護」っていうなよなぁ、というのが正直な感想です。
もちろん、急性期医療を扱う病院で、もう症状が落ち着いた患者さんが
いつまでも入院ベッドを独占しているのはどうよ、と思います。
「自宅に戻った」という環境が、患者さんの回復に役立つことがあることも事実ではあります。
でもだからといって「症状が落ち着いたから」さぁ、即、家に帰れ!って、
…それができる人ばかりじゃないんじゃないのでは…。
だって健康な人ならどうってことないことが暮らしにくさに繋がります。
住環境もそのひとつ。
転居することに心を決めたとき、私はいろいろ物件を検討したわけです。
しかし車いすを利用する人間が使いやすい物件というのはなかなか見つからなかった。
玄関から駐車場までに階段があったり、
お風呂が小さくて、訪問介護入浴でさえも難しそうだったり、
廊下が狭くて、車いすでは通れないよね、という設計だったり。
私はそういう家を選ばないということができた、最初から介護前提の家選びですから。
でもあれだけ選択肢がなかったことを考えれば、市井にはそうでないお宅のほうが多いに違いない。
やりにくい間取りにお住まいの方が突然在宅介護しろっていわれるなら、どれだけ大変なのだろうと思わざるを得ないです。
持ち家であるなら、福祉で改築の手を入れてなんとかしのげるかもしれない。
しかし家を持っている人ばかりが病気やケガをして要介護になるとは限らないわけです。
改築もできないでしょう、賃貸だと。
経済面だって・・・。
話を戻します。
つまり、私が「入」を増やそうと思ってもハードルが高いということについて。
10時前にお迎え、4時過ぎにお迎え、この2つの時間を自宅にいなくてはならないという時間的な縛りがあれば、「働く」ことはかなり難しい。
私自身は健康で、それなりに頭も体もまだ元気で、
介護がなければ、それこそコンビニでもスーパーでも働きたければ働けるはず。
職を選んでいるわけではないのですよ、
でも、現状、動けるのは介護者が家にいない間だけで、そんな働き口がないのです。
デイケアの権利を手に入れていてさえも、そんな状況です。
まして、デイにも出れない、四六時中管理が必要な介護者相手だとしたらもっとですよね。
介護離職ゼロ、なんていう政府のスローガンを聞いたとき、
介護をしている最中、子育てをしている最中、
そんな時間制限がある人たちを受け入れる、そんな職種を作って欲しいなぁ。
そうでない人たちにしわ寄せが行ってしまうのかもしれないけれども、
賃金差をつけるなどしてもよいから、なんとかできないかしら。
本当は働けるものなら働きたい。
と思いましたが、
実質そんな動きは毛ほどもありません。
「入」がないのなら「出」は絞るしかないけれども、
もう絞りつくしちゃったらどうしろと?
「家族」が崩壊しちゃいますよ・・・
準備万端、完全に社会リタイアして悠々自適生活に入っておられる方ならともかく、
まだ働き手になれる人間にとっては「働けないこと」自体だってとても苦しい。
経済的にも、ですが、精神的にも。
社会の一番小さな構成である「家族」に介護義務を委ねるというのは社会福祉の後退のように思えます。
子どもの保育は各家庭でシッター雇ってさせよう、ではなくて、保育園があるわけでしょう?
どうして障害者や高齢者の介護は「家庭」に戻す、が当然なのですか?
急性期病院からベッド移動できる滞在型病院とでもいうような施設を
もう少し充実させる方向にはなりませんか?
そののち、受け入れる体制ができれば自宅に戻れるならそれが一番、
移動が難しいのならそのまま滞在型でお世話になる。
日々移動が可能な介護になるなら家に戻ってデイケア利用でもよいし、
デイケアだって保育園のように、各家庭によってもっと時間帯が選べるとよいなぁ、
在宅に戻っても、家族にムリが生じれば滞在に戻ることが簡易な、
そんな状況が当たり前になればラクになるのになぁ・・・。
家族の中で働き手となりうる人材を有効に活用でき、
かつ、介護を受ける側もそれなりの安心がある、
そんな社会となってくれればよいのにね、
でも最近の動きを見ているとそうは考えてもらえそうにないから
はてさて、どこの「出」を減らすかなと頭を悩ませる介護歴20年越えの日々ですわ。
・・・うん、宝くじ当てるしかないわね(苦笑 どこの「入」から宝くじ代を出すんだってーの!)
つまり、収入をちゃんと考えてお買い物しましょうね、ということ。
実家母と電話のやり取りをしていた今日、この言葉で戒められた(笑)
入、が潤沢にある身分ではないうえに、
未成年が成年になっちゃうと更に入るものは減り、出るものの価格もあがります。
数年後そうなると分かっている上、今年に入ってから在宅の仕事が少しばかり途切れていて
はてさてどうしようかな、と考えているところなので身に沁みました(^_^;
いつまで経っても親が超えられませんわ。
「入」を増やすには「働く」という選択肢が一番身近なのだけれども、
ただ・・・それがたやすくないのも事実です。
今日のニュースに「入院より在宅で介護」を優先するように診療報酬を改定する、なんて記事がありました。
でもそんな簡単に「在宅介護」っていうなよなぁ、というのが正直な感想です。
もちろん、急性期医療を扱う病院で、もう症状が落ち着いた患者さんが
いつまでも入院ベッドを独占しているのはどうよ、と思います。
「自宅に戻った」という環境が、患者さんの回復に役立つことがあることも事実ではあります。
でもだからといって「症状が落ち着いたから」さぁ、即、家に帰れ!って、
…それができる人ばかりじゃないんじゃないのでは…。
だって健康な人ならどうってことないことが暮らしにくさに繋がります。
住環境もそのひとつ。
転居することに心を決めたとき、私はいろいろ物件を検討したわけです。
しかし車いすを利用する人間が使いやすい物件というのはなかなか見つからなかった。
玄関から駐車場までに階段があったり、
お風呂が小さくて、訪問介護入浴でさえも難しそうだったり、
廊下が狭くて、車いすでは通れないよね、という設計だったり。
私はそういう家を選ばないということができた、最初から介護前提の家選びですから。
でもあれだけ選択肢がなかったことを考えれば、市井にはそうでないお宅のほうが多いに違いない。
やりにくい間取りにお住まいの方が突然在宅介護しろっていわれるなら、どれだけ大変なのだろうと思わざるを得ないです。
持ち家であるなら、福祉で改築の手を入れてなんとかしのげるかもしれない。
しかし家を持っている人ばかりが病気やケガをして要介護になるとは限らないわけです。
改築もできないでしょう、賃貸だと。
経済面だって・・・。
話を戻します。
つまり、私が「入」を増やそうと思ってもハードルが高いということについて。
10時前にお迎え、4時過ぎにお迎え、この2つの時間を自宅にいなくてはならないという時間的な縛りがあれば、「働く」ことはかなり難しい。
私自身は健康で、それなりに頭も体もまだ元気で、
介護がなければ、それこそコンビニでもスーパーでも働きたければ働けるはず。
職を選んでいるわけではないのですよ、
でも、現状、動けるのは介護者が家にいない間だけで、そんな働き口がないのです。
デイケアの権利を手に入れていてさえも、そんな状況です。
まして、デイにも出れない、四六時中管理が必要な介護者相手だとしたらもっとですよね。
介護離職ゼロ、なんていう政府のスローガンを聞いたとき、
介護をしている最中、子育てをしている最中、
そんな時間制限がある人たちを受け入れる、そんな職種を作って欲しいなぁ。
そうでない人たちにしわ寄せが行ってしまうのかもしれないけれども、
賃金差をつけるなどしてもよいから、なんとかできないかしら。
本当は働けるものなら働きたい。
と思いましたが、
実質そんな動きは毛ほどもありません。
「入」がないのなら「出」は絞るしかないけれども、
もう絞りつくしちゃったらどうしろと?
「家族」が崩壊しちゃいますよ・・・
準備万端、完全に社会リタイアして悠々自適生活に入っておられる方ならともかく、
まだ働き手になれる人間にとっては「働けないこと」自体だってとても苦しい。
経済的にも、ですが、精神的にも。
社会の一番小さな構成である「家族」に介護義務を委ねるというのは社会福祉の後退のように思えます。
子どもの保育は各家庭でシッター雇ってさせよう、ではなくて、保育園があるわけでしょう?
どうして障害者や高齢者の介護は「家庭」に戻す、が当然なのですか?
急性期病院からベッド移動できる滞在型病院とでもいうような施設を
もう少し充実させる方向にはなりませんか?
そののち、受け入れる体制ができれば自宅に戻れるならそれが一番、
移動が難しいのならそのまま滞在型でお世話になる。
日々移動が可能な介護になるなら家に戻ってデイケア利用でもよいし、
デイケアだって保育園のように、各家庭によってもっと時間帯が選べるとよいなぁ、
在宅に戻っても、家族にムリが生じれば滞在に戻ることが簡易な、
そんな状況が当たり前になればラクになるのになぁ・・・。
家族の中で働き手となりうる人材を有効に活用でき、
かつ、介護を受ける側もそれなりの安心がある、
そんな社会となってくれればよいのにね、
でも最近の動きを見ているとそうは考えてもらえそうにないから
はてさて、どこの「出」を減らすかなと頭を悩ませる介護歴20年越えの日々ですわ。
・・・うん、宝くじ当てるしかないわね(苦笑 どこの「入」から宝くじ代を出すんだってーの!)
確定申告・・・この時期お定まりの行事(もはや年間行事扱い (笑))
今年から病院領収書の提出がなしでよいのだとか。
・・・てかこれまでも、表計算ソフトで集計していたので、
あの「束」を持ち歩かなくてよい、だけで全然変化なしの我が家。
…とはいえ、医療費控除を申請しようがしまいが還元はほぼない
(ありがたいことに医療費安くして頂いてます、母子家庭だから)
うん、元気がいちばんです。
それよりメンドウなのはいつもやったことのない不動産関係の税処理。
法務局?ナニソレ?なんだけれど、この手続きやっておかないと後日請求されたら大変だし!
重い腰をヨイコラショ、とあげるわけです。
今時、登記証明もネットで請求できるらしい。
チャレンジしてみようかなぁ、と思ったら、手数料請求はネットバンキングだって…
ネットバンキングやってない、いややってたハズなのだけれど、
まだあれは使えるのかなぁ、かれこれ何年前だろう、よく使っていたの。
10年以上使ってないわ。
「Pay-easyに対応したATM」でも支払えます、えーと何でしょうか、ソレ?
調べたら大手銀行のATMなら大抵OKのようで、ならできるかなぁ、
でもコレを自分の親世代がやろうと思ったら、できないわなぁ、とも。
便利なようで、不便なようで。
今年から病院領収書の提出がなしでよいのだとか。
・・・てかこれまでも、表計算ソフトで集計していたので、
あの「束」を持ち歩かなくてよい、だけで全然変化なしの我が家。
…とはいえ、医療費控除を申請しようがしまいが還元はほぼない
(ありがたいことに医療費安くして頂いてます、母子家庭だから)
うん、元気がいちばんです。
それよりメンドウなのはいつもやったことのない不動産関係の税処理。
法務局?ナニソレ?なんだけれど、この手続きやっておかないと後日請求されたら大変だし!
重い腰をヨイコラショ、とあげるわけです。
今時、登記証明もネットで請求できるらしい。
チャレンジしてみようかなぁ、と思ったら、手数料請求はネットバンキングだって…
ネットバンキングやってない、いややってたハズなのだけれど、
まだあれは使えるのかなぁ、かれこれ何年前だろう、よく使っていたの。
10年以上使ってないわ。
「Pay-easyに対応したATM」でも支払えます、えーと何でしょうか、ソレ?
調べたら大手銀行のATMなら大抵OKのようで、ならできるかなぁ、
でもコレを自分の親世代がやろうと思ったら、できないわなぁ、とも。
便利なようで、不便なようで。
貞操観念・・・って四字熟語の分類なのかしら??
ここのところ「不倫騒動」ってコウルサイ記事が多いですよね。
貞操観念って辞典で引くと「女性に対する」言葉って出てくるのだけれど、
今時は女性だけじゃなく・・・男女平等なのですね(苦笑)
清廉潔白であるべき、とされている政治家さんの類は
公人だから不倫報道はあってしかるべき、という意見も見たけれど、
別に「不倫するにあたって、公的なお金や時間を使っていない」のなら
それは、当人とその周囲の問題だと私は思います。
なぜこんなに「世間様」がガチャガチャ口を挟むのかなぁ。
結局イメージを裏切った、というところで叩かれているってことなのでしょうか。
「いいコちゃんキャラ」で売っていたベッキーさんだとかね。
破天荒な行いをしていた、大昔の落語家さんだとか歌舞伎役者さんなんて、
浮気は男の甲斐性、なんて嘯いていた時代があったのがウソみたいですねぇ。
小室さんの会見を見ていて、そんなことを思いました。
子どもが障害をもって生まれてきたから、
「こんなコは俺のコじゃない」って
離婚しちゃった夫婦も何組か知っておりまして。
(当然その場合、子どもを引き取るのは母親のほう、が一般的・・・)
血の繋がりがある「子ども」の介護でさえもそうやって逃げる人はいる。
本来は「対等」であるべき、かつてはそうであった相手を支えるということ。
それは「親の介護」「子の介護」とは違う大変さがあるはず。
親子だから仕方がない、という割り切りは、
ある意味、介護者にとってはすがる何かのひとつで、
夫婦という場合はその「仕方がない」の背骨のありかたが不安定なのじゃないかなぁと思えて仕方がありません。
確かに婚姻というのはそういう状況も含めて受け止めることで、
だからこそ「健やかなる時も、病める時も」という誓いの言葉になるわけですが、
でも「性格が不一致だから離婚しまーす」なんてカンタンに言う、
そんな”元ご夫婦”だってたくさんいる中で、
相手が闘病中で「自分が支えるべき相手だから」
ずっと相手に縛られ続けるというのは、逃げ場がないよなぁとも。
このご夫婦の場合は、仕事の仲間としての時間があった分
ごく普通の夫婦よりは深みはあるのかもしれないけれど。。。
ましてその「奥様の介護」を美談として
自分の職業活動のイメージUPとして打ち出していまったのならなおのこと。
周囲に弱音を吐くことさえもなかなかできなかったのかもしれません。
介護の問題がかかわると、
それをやったことのある人じゃなくてはわからない重たさがあるように感じます。
小室さんの一件は「乙武さんの不倫騒動」とはちょっと違う、哀しさがあるなぁ・・・。
不倫することをヨシとはしません。
でも「不安を吐き出す相手」は必要不可欠。
この場合、不安を解消してくれる相手が男性ならよかった、のかなぁ(^_^;
なんとなく。こういう状況になって、
「引退」っていう言葉をムリなく表に出すことができて
逆によい機会だと彼はホッとしているのかもしれないな、って気がするのです。
モモクロの有安サンの卒業じゃないけれど、
「普通のオジサンになったら、追いかけ回されなくて
弱音を吐いたって誰も責めないし、ラクかもしれない」
って、そんな気持ちだったのかも。
ひとまず休んだらいいのじゃないかな。
そしてもしパワーがあるなら、また叩かれながらでも復活すればいいのでは?
現在の身の丈にあった生活ができないのなら、
そうせざるを得ないかもしれないし(苦笑)
ただし、この会見を見ていて、息子とともにツッコミを入れたのは。
「エンターテインメント業界に僕の『才能』が本当に必要なのか」
・・・うーん・・・
才能っていうコトバはそれ自体が「優れた能力」という意味。
なんだか上から目線な言葉を使う人だね、この人、という印象を持ちました。
不倫してゴメンナサイの会見なのに、こういう言葉を選ぶんだなぁと(苦笑)
作詞もしてた人のハズなのになぁ。
ちょっと違ってない?
ここのところ「不倫騒動」ってコウルサイ記事が多いですよね。
貞操観念って辞典で引くと「女性に対する」言葉って出てくるのだけれど、
今時は女性だけじゃなく・・・男女平等なのですね(苦笑)
清廉潔白であるべき、とされている政治家さんの類は
公人だから不倫報道はあってしかるべき、という意見も見たけれど、
別に「不倫するにあたって、公的なお金や時間を使っていない」のなら
それは、当人とその周囲の問題だと私は思います。
なぜこんなに「世間様」がガチャガチャ口を挟むのかなぁ。
結局イメージを裏切った、というところで叩かれているってことなのでしょうか。
「いいコちゃんキャラ」で売っていたベッキーさんだとかね。
破天荒な行いをしていた、大昔の落語家さんだとか歌舞伎役者さんなんて、
浮気は男の甲斐性、なんて嘯いていた時代があったのがウソみたいですねぇ。
小室さんの会見を見ていて、そんなことを思いました。
子どもが障害をもって生まれてきたから、
「こんなコは俺のコじゃない」って
離婚しちゃった夫婦も何組か知っておりまして。
(当然その場合、子どもを引き取るのは母親のほう、が一般的・・・)
血の繋がりがある「子ども」の介護でさえもそうやって逃げる人はいる。
本来は「対等」であるべき、かつてはそうであった相手を支えるということ。
それは「親の介護」「子の介護」とは違う大変さがあるはず。
親子だから仕方がない、という割り切りは、
ある意味、介護者にとってはすがる何かのひとつで、
夫婦という場合はその「仕方がない」の背骨のありかたが不安定なのじゃないかなぁと思えて仕方がありません。
確かに婚姻というのはそういう状況も含めて受け止めることで、
だからこそ「健やかなる時も、病める時も」という誓いの言葉になるわけですが、
でも「性格が不一致だから離婚しまーす」なんてカンタンに言う、
そんな”元ご夫婦”だってたくさんいる中で、
相手が闘病中で「自分が支えるべき相手だから」
ずっと相手に縛られ続けるというのは、逃げ場がないよなぁとも。
このご夫婦の場合は、仕事の仲間としての時間があった分
ごく普通の夫婦よりは深みはあるのかもしれないけれど。。。
ましてその「奥様の介護」を美談として
自分の職業活動のイメージUPとして打ち出していまったのならなおのこと。
周囲に弱音を吐くことさえもなかなかできなかったのかもしれません。
介護の問題がかかわると、
それをやったことのある人じゃなくてはわからない重たさがあるように感じます。
小室さんの一件は「乙武さんの不倫騒動」とはちょっと違う、哀しさがあるなぁ・・・。
不倫することをヨシとはしません。
でも「不安を吐き出す相手」は必要不可欠。
この場合、不安を解消してくれる相手が男性ならよかった、のかなぁ(^_^;
なんとなく。こういう状況になって、
「引退」っていう言葉をムリなく表に出すことができて
逆によい機会だと彼はホッとしているのかもしれないな、って気がするのです。
モモクロの有安サンの卒業じゃないけれど、
「普通のオジサンになったら、追いかけ回されなくて
弱音を吐いたって誰も責めないし、ラクかもしれない」
って、そんな気持ちだったのかも。
ひとまず休んだらいいのじゃないかな。
そしてもしパワーがあるなら、また叩かれながらでも復活すればいいのでは?
現在の身の丈にあった生活ができないのなら、
そうせざるを得ないかもしれないし(苦笑)
ただし、この会見を見ていて、息子とともにツッコミを入れたのは。
「エンターテインメント業界に僕の『才能』が本当に必要なのか」
・・・うーん・・・
才能っていうコトバはそれ自体が「優れた能力」という意味。
なんだか上から目線な言葉を使う人だね、この人、という印象を持ちました。
不倫してゴメンナサイの会見なのに、こういう言葉を選ぶんだなぁと(苦笑)
作詞もしてた人のハズなのになぁ。
ちょっと違ってない?
温故知新 昔学んだことを再度確認し、新たな発見をすること
あけましておめでとうございます。
世の中は今日から通常運営…なのでしょうが、
私の周囲は、今年は9日始まりよ、なんて仰る方もおり。
様々あることはよいことですよねー。
とりあえず、デイサービスは今日から開始。
学生たちは家にいるけれど、少しだけ家の中が広く感じます。
年末年始にお声がけ下さいました皆様、
どうもありがとうございました。
今年は元旦のみ、両実家に顔出しをして
あとはグダグダと家で過ごしておりました。
うん、本当にのんびり、でした。
新年にあたって、今年はどう過ごそうか、なんて考えて思いついたのは、
「特別なコトはしない」
ただ、
「やりたいことをする。ただし、自然のままにできるのならば」
それでゆこうと思います。
まず、逢いたいけれどなかなか会えずに来てしまった人たちに逢いに行く。
今なら動ける。
そんな時期は今しかないかもしれないって思う、だから。
ずっとできずにいた趣味事も、少しずつ復活したい。
欲張るのはよくなさそうだから、まずはピアノと手芸関係からやり直そう。
今感じているのは「今までの20年が特別だったのかな」ということ。
だからもう、特別にはならなくてもよくて、日常を淡々と過ごしたい。
気持ちの赴くままに、旧知を復活させる、
そんな一年を目指したいです。
今年もよろしくおねがいいたします。
あけましておめでとうございます。
世の中は今日から通常運営…なのでしょうが、
私の周囲は、今年は9日始まりよ、なんて仰る方もおり。
様々あることはよいことですよねー。
とりあえず、デイサービスは今日から開始。
学生たちは家にいるけれど、少しだけ家の中が広く感じます。
年末年始にお声がけ下さいました皆様、
どうもありがとうございました。
今年は元旦のみ、両実家に顔出しをして
あとはグダグダと家で過ごしておりました。
うん、本当にのんびり、でした。
新年にあたって、今年はどう過ごそうか、なんて考えて思いついたのは、
「特別なコトはしない」
ただ、
「やりたいことをする。ただし、自然のままにできるのならば」
それでゆこうと思います。
まず、逢いたいけれどなかなか会えずに来てしまった人たちに逢いに行く。
今なら動ける。
そんな時期は今しかないかもしれないって思う、だから。
ずっとできずにいた趣味事も、少しずつ復活したい。
欲張るのはよくなさそうだから、まずはピアノと手芸関係からやり直そう。
今感じているのは「今までの20年が特別だったのかな」ということ。
だからもう、特別にはならなくてもよくて、日常を淡々と過ごしたい。
気持ちの赴くままに、旧知を復活させる、
そんな一年を目指したいです。
今年もよろしくおねがいいたします。
佩韋佩弦 IMEさんでは出てこないです(汗)
意味は、自分の短所を改善するように努力すること。
やたら「は」と「い」が多い言葉ですが、
つまり「韋」「弦」を身に着けて(佩=身に着けるという意味の漢字)自分の戒めとした、という故事からきているそう。
年賀状のシーズンとなりましたが、まだ作っていません(苦笑)
実家の分は印刷をして今月頭には渡し済みで、
いつもなら自宅用もイッショに印刷しちゃうんですけれどねぇ・・・。
5月に「転居しました」のハガキを出したので、
既にやり切った感があるのかもしれません。
正月に義祖母が亡くなっているのはどうなのかなー、と思いつつ、
調べたら「祖母」の喪中は半年くらいとのことなので
(しかも私にとっては血のつながった方ではありませんし・・・)
では賀状は出せる、と喪中ハガキを作らずにいたら気付いたらこんな時期に。
前回の日記にも書かせて頂いたとおり、
割合親しい方からかなりの数の「喪中」のお知らせが届いているのも
筆の進まぬ一つの理由かも。
本当に相手のことを想いながら添え書きする相手って
いったいどれだけいるのでしょうか。
別の方の日記に、
「年賀状は自分の在り方、歴史が反映されている」のように書かれており、
そうだよなぁ、と頷いております。
それが唯一の真理なら、私はまーったく存在価値ないなぁと考えつつ(苦笑)
学卒後の仕事先はかなり忙しい会社で、
旧友と交流する時間もなかなか取れず、
結果疎遠になっていってしまった学生時代の友人もおりますし、
退職後の付き合いといえば子ども関係が主でしたが、
長男の病気療育、療育先で知り合った皆さんって、
メールのやり取りはあれどもそれぞれ忙しい(特に子供のことで!)なので
自然消滅していくことがほとんどで・・・。
田舎の学校関係は、自治会行事で常に顔を合わすせいか、
「年賀状」なんてお付き合いはないままでずっと来てしまい、
気付けば住所がわからない状況(苦笑)
ずっとずっと繋がっている、という人たちのほうが圧倒的に少ないのです。
そういう希薄な関係しか作り上げられなかった自分に
人間的魅力が少ないのだろうな、と思うとちょっとナサケナイ、かな。
というわけで、そんなに量のない賀状は多分、
明日一日あれば十分作成できるでしょう。
それでもその数少ない友人から見捨てられないように、
自分を磨くことを心がけないと・・・とは思いますが。
「磨くこと」が何かがわからない。
それもまたナサケナイ。
でも、笑って楽しく過ごせていれば、それはそれでよいのかな、とも思う。
やりたいことは沢山あるから、ちゃんとそれを一歩一歩仕上げていく。
まずはそこから。
意味は、自分の短所を改善するように努力すること。
やたら「は」と「い」が多い言葉ですが、
つまり「韋」「弦」を身に着けて(佩=身に着けるという意味の漢字)自分の戒めとした、という故事からきているそう。
年賀状のシーズンとなりましたが、まだ作っていません(苦笑)
実家の分は印刷をして今月頭には渡し済みで、
いつもなら自宅用もイッショに印刷しちゃうんですけれどねぇ・・・。
5月に「転居しました」のハガキを出したので、
既にやり切った感があるのかもしれません。
正月に義祖母が亡くなっているのはどうなのかなー、と思いつつ、
調べたら「祖母」の喪中は半年くらいとのことなので
(しかも私にとっては血のつながった方ではありませんし・・・)
では賀状は出せる、と喪中ハガキを作らずにいたら気付いたらこんな時期に。
前回の日記にも書かせて頂いたとおり、
割合親しい方からかなりの数の「喪中」のお知らせが届いているのも
筆の進まぬ一つの理由かも。
本当に相手のことを想いながら添え書きする相手って
いったいどれだけいるのでしょうか。
別の方の日記に、
「年賀状は自分の在り方、歴史が反映されている」のように書かれており、
そうだよなぁ、と頷いております。
それが唯一の真理なら、私はまーったく存在価値ないなぁと考えつつ(苦笑)
学卒後の仕事先はかなり忙しい会社で、
旧友と交流する時間もなかなか取れず、
結果疎遠になっていってしまった学生時代の友人もおりますし、
退職後の付き合いといえば子ども関係が主でしたが、
長男の病気療育、療育先で知り合った皆さんって、
メールのやり取りはあれどもそれぞれ忙しい(特に子供のことで!)なので
自然消滅していくことがほとんどで・・・。
田舎の学校関係は、自治会行事で常に顔を合わすせいか、
「年賀状」なんてお付き合いはないままでずっと来てしまい、
気付けば住所がわからない状況(苦笑)
ずっとずっと繋がっている、という人たちのほうが圧倒的に少ないのです。
そういう希薄な関係しか作り上げられなかった自分に
人間的魅力が少ないのだろうな、と思うとちょっとナサケナイ、かな。
というわけで、そんなに量のない賀状は多分、
明日一日あれば十分作成できるでしょう。
それでもその数少ない友人から見捨てられないように、
自分を磨くことを心がけないと・・・とは思いますが。
「磨くこと」が何かがわからない。
それもまたナサケナイ。
でも、笑って楽しく過ごせていれば、それはそれでよいのかな、とも思う。
やりたいことは沢山あるから、ちゃんとそれを一歩一歩仕上げていく。
まずはそこから。
喪中葉書 ・・・四字熟語ではないですね(^_^;
高校の教師をしている知り合いが生徒にこう告げるのだそうです。
高2まではね、時間っていうのは味方。
まだまだ受験までには時間があるし、やりたいことを見つけつつ
寄り道して経験を積めばよい。
でも時間っていうのはいつまでも「味方」ではいてくれない。
高3になると「あと〇日しかない!」って焦ってくる。
焦りは敵。
あの時ああしていれば…なんて後悔している姿を
へへへ、って笑いながら時間は見ているかもしれないよ?
だからね、時間が味方である間に、
うんと仲良くしなくちゃいけないんだよ。
今年はやたら、欠礼のおハガキが沢山届いてびっくり。
重なるときには重なるもの、なのでしょうか。
親世代が自分たちを生んだのは多分20代~30代。
となると、あと20年後の自分は…
そうだよ、もうカウントダウン始まってる。
置き換えてみれば、まだ私は「高二」かもしれないけれど、
いつ進級するんだかわからないのだから。
動ける間にやりたいことをやっておきたい、やっておかなくちゃ!
今年、家を飛び出すだなんてトンデモな行動を実行しちゃった私ですが
意外とすんなりと何事も運んだよなぁ…と感じておりました。
占いが趣味の友人によると、
なんでも・・・運気が素晴らしくよかったんですって。
ほほー、そういうことなのか。
しかしでも、その反動で来年の運気は今一歩、とのこと。
「やりたいことをやる!」って自分から動くと
痛い目に合うかもという運気らしい。
でもね、星占いだと私の星座は絶好調なんだそうです。
相殺されて、無難に平和な一年になってくれるといいなー(笑)
来年は「自発的」はやめて「受動的」かつ「行動的」な一年にしよう♪
高校の教師をしている知り合いが生徒にこう告げるのだそうです。
高2まではね、時間っていうのは味方。
まだまだ受験までには時間があるし、やりたいことを見つけつつ
寄り道して経験を積めばよい。
でも時間っていうのはいつまでも「味方」ではいてくれない。
高3になると「あと〇日しかない!」って焦ってくる。
焦りは敵。
あの時ああしていれば…なんて後悔している姿を
へへへ、って笑いながら時間は見ているかもしれないよ?
だからね、時間が味方である間に、
うんと仲良くしなくちゃいけないんだよ。
今年はやたら、欠礼のおハガキが沢山届いてびっくり。
重なるときには重なるもの、なのでしょうか。
親世代が自分たちを生んだのは多分20代~30代。
となると、あと20年後の自分は…
そうだよ、もうカウントダウン始まってる。
置き換えてみれば、まだ私は「高二」かもしれないけれど、
いつ進級するんだかわからないのだから。
動ける間にやりたいことをやっておきたい、やっておかなくちゃ!
今年、家を飛び出すだなんてトンデモな行動を実行しちゃった私ですが
意外とすんなりと何事も運んだよなぁ…と感じておりました。
占いが趣味の友人によると、
なんでも・・・運気が素晴らしくよかったんですって。
ほほー、そういうことなのか。
しかしでも、その反動で来年の運気は今一歩、とのこと。
「やりたいことをやる!」って自分から動くと
痛い目に合うかもという運気らしい。
でもね、星占いだと私の星座は絶好調なんだそうです。
相殺されて、無難に平和な一年になってくれるといいなー(笑)
来年は「自発的」はやめて「受動的」かつ「行動的」な一年にしよう♪
慈眼温容
慈愛あるまなざしと、穏やかな容姿のある佇まい
息子が保育園だったころ。
大抵毎日同じ頃の迎えだったのでしょう、
よくご一緒になる数学年上の保護者の方がおられました。
私、密かにその方を「スマイルさん」と呼んでおりまして。
私より少し若い方だと思うのですが、
だってとにもかくにも、いつも微笑んでいらっしゃるから。
タレントでいうなら、最近ご結婚になった宮地真緒サンに似た感じ。
でもかの女優さんと比べると、口角が常に上に上がっているのです。
きっとそれが地顔で、「笑顔でいなくちゃ」なんて思わなくても
そういう顔つきができる人なんだろうなぁ。
とはいえ、保育園ママなのだから当然お仕事もあって、家事も育児もやっているのに、
彼女がブスっとしたり、暗い顔つきをしたりしている日を見たことがなかった。
ああいうのは素敵だなぁ、
某ファストフードじゃないけれど、スマイルは0円、とはいえ、
それがついているとついていないじゃ断然印象が違うのだということを、
彼女の存在でものすごく知った気持ちになったのでした。
しかし、彼女のお子さんはわが子よりも先に卒園してしまい、
それ以来彼女を見かけることはなくなりました。
生活圏が違えば逢いませんものね。
ところが。
今日、歩いて買い物に行った帰り、ばったりとお会いしてしまった。
学年が違う、しかも保育園だとなかなか名乗ることもないのですが、
在園中にはなかなかの頻度でお会いしていたから、
それなりに気になる存在同士だったのかもしれません。
「あ、」とつい口に出てしまった私と、「あら、」と言葉を出しかけた彼女。
「こちらにお住まいだったの?」
「あ、いえ、最近引っ越してきたんです」
「じゃあ、まだお目にかかる機会もあるかもしれませんね」
駅に向かわれる様子だった彼女でしたし、会話はそれだけでしたけれども。
生活のちょっとした時…たとえばレジの方だとか、病院の受付の方だとか、
宅配便を持ってきて下さるオジサマとか。
「そりゃ相手はシゴトでやってんでしょ?」ではありますよ、
それでも元手もいらず、相手が少しは気分よくなるのなら、
0円スマイル振りまくくらいはやったって構わないなぁ、と、
そう思わせてくれた彼女が相変わらずスマイル満載だったことが、
そこはかとなく嬉しかった。
大上段に構えなくてもいい。
自分も周囲も楽しくなるような何かの工夫があるのなら、
それがほんのちょっとだけの努力でできるのなら、
それはきっとやってみる価値があることなのですね。
慈愛あるまなざしと、穏やかな容姿のある佇まい
息子が保育園だったころ。
大抵毎日同じ頃の迎えだったのでしょう、
よくご一緒になる数学年上の保護者の方がおられました。
私、密かにその方を「スマイルさん」と呼んでおりまして。
私より少し若い方だと思うのですが、
だってとにもかくにも、いつも微笑んでいらっしゃるから。
タレントでいうなら、最近ご結婚になった宮地真緒サンに似た感じ。
でもかの女優さんと比べると、口角が常に上に上がっているのです。
きっとそれが地顔で、「笑顔でいなくちゃ」なんて思わなくても
そういう顔つきができる人なんだろうなぁ。
とはいえ、保育園ママなのだから当然お仕事もあって、家事も育児もやっているのに、
彼女がブスっとしたり、暗い顔つきをしたりしている日を見たことがなかった。
ああいうのは素敵だなぁ、
某ファストフードじゃないけれど、スマイルは0円、とはいえ、
それがついているとついていないじゃ断然印象が違うのだということを、
彼女の存在でものすごく知った気持ちになったのでした。
しかし、彼女のお子さんはわが子よりも先に卒園してしまい、
それ以来彼女を見かけることはなくなりました。
生活圏が違えば逢いませんものね。
ところが。
今日、歩いて買い物に行った帰り、ばったりとお会いしてしまった。
学年が違う、しかも保育園だとなかなか名乗ることもないのですが、
在園中にはなかなかの頻度でお会いしていたから、
それなりに気になる存在同士だったのかもしれません。
「あ、」とつい口に出てしまった私と、「あら、」と言葉を出しかけた彼女。
「こちらにお住まいだったの?」
「あ、いえ、最近引っ越してきたんです」
「じゃあ、まだお目にかかる機会もあるかもしれませんね」
駅に向かわれる様子だった彼女でしたし、会話はそれだけでしたけれども。
生活のちょっとした時…たとえばレジの方だとか、病院の受付の方だとか、
宅配便を持ってきて下さるオジサマとか。
「そりゃ相手はシゴトでやってんでしょ?」ではありますよ、
それでも元手もいらず、相手が少しは気分よくなるのなら、
0円スマイル振りまくくらいはやったって構わないなぁ、と、
そう思わせてくれた彼女が相変わらずスマイル満載だったことが、
そこはかとなく嬉しかった。
大上段に構えなくてもいい。
自分も周囲も楽しくなるような何かの工夫があるのなら、
それがほんのちょっとだけの努力でできるのなら、
それはきっとやってみる価値があることなのですね。
勤労感謝
11月23日は勤労感謝の日。
そして我が家にとっては、勤労しすぎて早世しちゃったダンナの命日。
「いくで?」って言ったら3分後には戸外の人だった。
それは、やれメイクだのおしゃれだのに構う女子なら到底ついていけないスピードで、
しかも、何故だかどこに行くのも嫁と一緒に行きたがるタイプだったから、
なんというか、ちょっと面倒くさい人だった(苦笑)
。。。とはいえ、「感謝」されるべき日に、
本当にあっという間と表現できるくらいに素早く逝ってしまうだなんて、
最後まで慌ただしく、みんなを驚かせるのが上手だとしかいいようない。
もう4年も経ってしまった。
なんだかウソみたいで、未だにどこかに長期出向に行ってるんじゃ?と感じることがあるくらい。
ダンナ亡き後、息子たちと
「ほれみろ~、生きてたらこんな美味なもん食べれるのに~!」
と羨ましがられるような夕食をこの日には食べよう、と約束していたのに、
私がちょいと体調を崩して食べ物を受け付けなかったから
(前回の日記で風邪ひかない!なんて書いたのに(苦笑)
こじらせて咳喘息に悪化させてしまい、次に胃腸をやられのフルコース)
昨日は鍋にしました。
でもね、家族で仲良く鍋つつけるっていうの、
これはこれで、幸せの象徴だよな、って思うのです。
ダンナ実家でもらった大根をおろして山盛り食べたもんね。
これでもう風邪は治る、はず(笑)
随分と外気が寒くなり、流石に暖房なしではキビしいかなぁ、と思うようになってきましたけれども。
朝、弁当作りのために起きてファンヒーターを1時間つけているかいないか、
その後消火してしまうというのに、ずっと20度前後の室温をキープ。
よく住宅販売会社の広告に「魔法瓶のような家」なんて謳い文句があるけれど
まさに、それ、です。
いやいや、助かるわー。
多分この「魔法瓶状態」の一番の功労者は二重窓。
だって、しない、とは言わないけれど、本当に結露が少ないですもの。
北・東の二重窓は少しばかり、けれど、南側の掃き出し窓はまだ全然。
ただし朝、洗濯物を干そうとして出入りした瞬間に、外側窓の内側にざっと露が張ります。
そうして内外両方の窓閉める、するとガラスとガラスの間が結露の状況、見た目がまるですりガラスです(苦笑)
さぁ、いつ室内側に結露が出るでしょう。
観察日記がつけたくなって、ここに書いています(笑)
工事費かかったけど、少しばかり部屋の中を圧迫するけれど。
この工事、本当にやっておいてよかったです♪
エコリフォーム改修という給付金制度が今年から始まっています。
予算の関係で南側だけの予定だった二重窓を北側にも施して、
結局支払った総額は南側分だけだったという・・・
してなければ北側の部屋、もっともっと寒かったハズ。
某別のSNSで、朝ドラ「わろてんか」は早々にリタイア宣言したのですが。
いやしかしね、
ドラマの筋書きをぜーんぜん考えずに、個々の俳優さんの演技だけ観る分には
見ごたえある部分もたくさんあるなぁ、ってチラ観をしております。
だって。顔ぶれがよいのですもの。
高橋一生サンと松坂桃李クンのやりとりは朝っぱらから目の保養だし。
笹野高史サンの落語家ぶりもなかなかのものでしたし。
そして「絵にかいたような姑」のようなクセして、鈴木京香サンはどことなくチャーミングだし。
しかしながら、どう考えても高橋一生サンの役が「おてんさん」にこだわる理由がちーっとも理解できず、ストーリーは相容れないのですよねぇ(^_^;
11月23日は勤労感謝の日。
そして我が家にとっては、勤労しすぎて早世しちゃったダンナの命日。
「いくで?」って言ったら3分後には戸外の人だった。
それは、やれメイクだのおしゃれだのに構う女子なら到底ついていけないスピードで、
しかも、何故だかどこに行くのも嫁と一緒に行きたがるタイプだったから、
なんというか、ちょっと面倒くさい人だった(苦笑)
。。。とはいえ、「感謝」されるべき日に、
本当にあっという間と表現できるくらいに素早く逝ってしまうだなんて、
最後まで慌ただしく、みんなを驚かせるのが上手だとしかいいようない。
もう4年も経ってしまった。
なんだかウソみたいで、未だにどこかに長期出向に行ってるんじゃ?と感じることがあるくらい。
ダンナ亡き後、息子たちと
「ほれみろ~、生きてたらこんな美味なもん食べれるのに~!」
と羨ましがられるような夕食をこの日には食べよう、と約束していたのに、
私がちょいと体調を崩して食べ物を受け付けなかったから
(前回の日記で風邪ひかない!なんて書いたのに(苦笑)
こじらせて咳喘息に悪化させてしまい、次に胃腸をやられのフルコース)
昨日は鍋にしました。
でもね、家族で仲良く鍋つつけるっていうの、
これはこれで、幸せの象徴だよな、って思うのです。
ダンナ実家でもらった大根をおろして山盛り食べたもんね。
これでもう風邪は治る、はず(笑)
随分と外気が寒くなり、流石に暖房なしではキビしいかなぁ、と思うようになってきましたけれども。
朝、弁当作りのために起きてファンヒーターを1時間つけているかいないか、
その後消火してしまうというのに、ずっと20度前後の室温をキープ。
よく住宅販売会社の広告に「魔法瓶のような家」なんて謳い文句があるけれど
まさに、それ、です。
いやいや、助かるわー。
多分この「魔法瓶状態」の一番の功労者は二重窓。
だって、しない、とは言わないけれど、本当に結露が少ないですもの。
北・東の二重窓は少しばかり、けれど、南側の掃き出し窓はまだ全然。
ただし朝、洗濯物を干そうとして出入りした瞬間に、外側窓の内側にざっと露が張ります。
そうして内外両方の窓閉める、するとガラスとガラスの間が結露の状況、見た目がまるですりガラスです(苦笑)
さぁ、いつ室内側に結露が出るでしょう。
観察日記がつけたくなって、ここに書いています(笑)
工事費かかったけど、少しばかり部屋の中を圧迫するけれど。
この工事、本当にやっておいてよかったです♪
エコリフォーム改修という給付金制度が今年から始まっています。
予算の関係で南側だけの予定だった二重窓を北側にも施して、
結局支払った総額は南側分だけだったという・・・
してなければ北側の部屋、もっともっと寒かったハズ。
某別のSNSで、朝ドラ「わろてんか」は早々にリタイア宣言したのですが。
いやしかしね、
ドラマの筋書きをぜーんぜん考えずに、個々の俳優さんの演技だけ観る分には
見ごたえある部分もたくさんあるなぁ、ってチラ観をしております。
だって。顔ぶれがよいのですもの。
高橋一生サンと松坂桃李クンのやりとりは朝っぱらから目の保養だし。
笹野高史サンの落語家ぶりもなかなかのものでしたし。
そして「絵にかいたような姑」のようなクセして、鈴木京香サンはどことなくチャーミングだし。
しかしながら、どう考えても高橋一生サンの役が「おてんさん」にこだわる理由がちーっとも理解できず、ストーリーは相容れないのですよねぇ(^_^;
馬鹿果報
出る杭は打たれるが馬鹿は打たれることもなく、結果幸せに過ごせる、ということ
日馬富士の事件・・・
そりゃ上司が注意している場面で携帯取り出して触っちゃうのはアカンやろうけど。
貴乃花親方が被害届を出しているそうですね。
「横綱」ではなく「一人の人間」として罰せられることは筋が通っているのかな。
外国人力士に対して偏見ともいえるような対応をするばかりの人たちには眉をひそめておりましたが、これはもう・・・いろんなことがすごく残念。
ある記事で、日馬富士・白鵬・鶴竜の3力士が優勝にからんでまみえるとき
逆転の勝利というのが1度もない、という報告をしていました。
それはひょっとすると「優位に立っているものに勝負を譲る」かのような
協定があったのでは、という憶測コミで。
もっと過ぎた妄想をすれば、稀勢の里がなかなか横綱になれなかったのは
3横綱が連携をもってつぶしにかかっていたからだとか、
(とはいえ、連携していようがいまいが、一定の基準を超えなければ横綱にはなれない決まりなのだから、それは本来から乗り越えるべき壁なのでしょう)
稀勢ちゃんが怪我をした一番だってもっと別の勝ち方があったはず、だとか、
それがあったのかどうかは知らないけれども、
同郷意識ってのはあるはずだよね、なるほどなー、と
心の一部が頷いてしまうのが悲しい。
間違いなく「大相撲」の一時代を支えてくれたのはモンゴル系の力士さんたちで、これもまた偏見だよなぁ、分かっているのに。
初日二日目と「途中休場しちゃうのか?」と思うような相撲だった、日馬富士。
それは事件がいつバレるかという不安定な精神があったからでしょうか?
近頃の私。
ありがたいことに細々と仕事が入ってくるので、順次こなしていく、
片がつくことが、快感です。
「出来上がった♪」って思える作業が好き。
・・・とかいいながら、どこが完成形なんだかちっとも見えない楽器の練習も
楽しいなぁ、と思える今日この頃(^_^;
イライラする原因がないわけじゃないのですが
(まったく勉強している様子がない学生さんたちとの同居だもんねぇ)
でもやっぱり要因が減っているから余裕もって対応できているかもしれません。
気を遣うことは悪いことではないのだけれども、
他者の目や評価ばかり気にしていて、自分を見失ったらあかんのやね。
身の丈以上ではなく、身の丈相応の自分の大きさをちゃんと意識しよう。
結果が自己満足で済んだって全然問題ないじゃないか、っていうことを
やっと覚えた感じ。
ええっ?気づいたのが今頃?ばっかじゃない?って言われそうだけれども、
一生気づけなかったかもしれないのだろうから、遅くはないさ(笑)
にこやかであること、健全であること、
ココロの在り方って、怖いほど日常に出るのかも。
だとすれば「穏やかに過ごす」というのは百薬?
今の私ってば、尖ったところなく、
いい意味で莫迦みたいに物事にこだわらずへらへらと笑って過ごしているような。
・・・もしも、この冬、風邪ひかなかったら、これが要因♪
出る杭は打たれるが馬鹿は打たれることもなく、結果幸せに過ごせる、ということ
日馬富士の事件・・・
そりゃ上司が注意している場面で携帯取り出して触っちゃうのはアカンやろうけど。
貴乃花親方が被害届を出しているそうですね。
「横綱」ではなく「一人の人間」として罰せられることは筋が通っているのかな。
外国人力士に対して偏見ともいえるような対応をするばかりの人たちには眉をひそめておりましたが、これはもう・・・いろんなことがすごく残念。
ある記事で、日馬富士・白鵬・鶴竜の3力士が優勝にからんでまみえるとき
逆転の勝利というのが1度もない、という報告をしていました。
それはひょっとすると「優位に立っているものに勝負を譲る」かのような
協定があったのでは、という憶測コミで。
もっと過ぎた妄想をすれば、稀勢の里がなかなか横綱になれなかったのは
3横綱が連携をもってつぶしにかかっていたからだとか、
(とはいえ、連携していようがいまいが、一定の基準を超えなければ横綱にはなれない決まりなのだから、それは本来から乗り越えるべき壁なのでしょう)
稀勢ちゃんが怪我をした一番だってもっと別の勝ち方があったはず、だとか、
それがあったのかどうかは知らないけれども、
同郷意識ってのはあるはずだよね、なるほどなー、と
心の一部が頷いてしまうのが悲しい。
間違いなく「大相撲」の一時代を支えてくれたのはモンゴル系の力士さんたちで、これもまた偏見だよなぁ、分かっているのに。
初日二日目と「途中休場しちゃうのか?」と思うような相撲だった、日馬富士。
それは事件がいつバレるかという不安定な精神があったからでしょうか?
近頃の私。
ありがたいことに細々と仕事が入ってくるので、順次こなしていく、
片がつくことが、快感です。
「出来上がった♪」って思える作業が好き。
・・・とかいいながら、どこが完成形なんだかちっとも見えない楽器の練習も
楽しいなぁ、と思える今日この頃(^_^;
イライラする原因がないわけじゃないのですが
(まったく勉強している様子がない学生さんたちとの同居だもんねぇ)
でもやっぱり要因が減っているから余裕もって対応できているかもしれません。
気を遣うことは悪いことではないのだけれども、
他者の目や評価ばかり気にしていて、自分を見失ったらあかんのやね。
身の丈以上ではなく、身の丈相応の自分の大きさをちゃんと意識しよう。
結果が自己満足で済んだって全然問題ないじゃないか、っていうことを
やっと覚えた感じ。
ええっ?気づいたのが今頃?ばっかじゃない?って言われそうだけれども、
一生気づけなかったかもしれないのだろうから、遅くはないさ(笑)
にこやかであること、健全であること、
ココロの在り方って、怖いほど日常に出るのかも。
だとすれば「穏やかに過ごす」というのは百薬?
今の私ってば、尖ったところなく、
いい意味で莫迦みたいに物事にこだわらずへらへらと笑って過ごしているような。
・・・もしも、この冬、風邪ひかなかったら、これが要因♪
寒暖饑飽 普段 の生活で感じる苦楽のこと
何なのでしょうね、10月というのにこの寒さは。
新しい住居に引っ越してもうすぐ半年、
「去年との比較」で住みやすさや足さなければならない必要なモノを測ろうとしているのに、あまりにも去年とは違いすぎて。
ただ、前の住まいならもうガンガン石油ファンヒータが稼働してるんじゃないかな、とは思います、戸建て&寒い地域だったから。
最近ちょっと寒いかな、と思ったら、晩御飯をオーブン料理にする(笑)
オーブンがストーブ代わり、それでもほっこり室内が温かいままなのは、2重窓の効能かも。
1つ窓を開けたらすぅっと寒さを感じるのだもの。
今のところはエアコンすらつけていない、それでも室温は20度台だからまったくもって快適です。
今年、残暑はさほどでもなかったハズなのに、この秋はなかなか稲穂が色づかず、稲刈りができていないと聞いていました。
10月に入ってからは長雨で、刈り入れたくてもできない天候でした。
そして季節外れの台風。
台風で倒れたら、刈り取りは恐ろしい労働(機械で刈り取りができないから手作業)となる。
秋までは順調だったはずですが、今年の稲作は不作かも。
日常はゆったりと過ぎています。
息子たちは「引っ越したという実感はあまりない」って云うんですよね、
まぁ彼らは「寝る場所」が変わっただけ、通学路が変わっただけ、その他はあまり変化ないからそういう感想なのかもしれません。
そして私も、食事作り以外ではさほど変化はないんじゃないかな・・・と想像していたけれど、
実は、精神的にすごくゆったりとしております。
なんでだろ?って自己分析して、あ、と気づく。
自分で自分を追い込んでいたんだな、って。
つまり・・・
こんな天気だと稲作は不作だな、という知識はある。
きっと手刈りが増えて大変だな、ということもわかる。
でも、手刈りを手伝う時間も体力も私にはない、とも思っている。
やれないことはないとどこかで思っている。
でもバテバテで介護にまで手が回らなくなるのは困る、限度がわからないからやれないなぁというジレンマがある。
だからいっそ、と、見て見ぬふりしてお手伝いをしないできたのですよね。
だって……食事のことがそうだったのですが、
一度手を出したら、ずっと「ねこってがやるのは当たり前」と捉えられてしまう。
私だって出来る日とできない日があるけれど、そんなことはお構いなし。
あの子はやらないコだと最初からアテにされていないほうが楽なのです。
たぶん、お互いに。
食事のメンドウはみてあげているのだからそれで充分でしょう?と自分を無理やり納得させて、一切やらないと決めた。
でも無意識下では「やらないといけないんだろうなぁ」という自分の中の「かくあるべき姿」、それができていないことが重かった。
離れて暮らすことでそれがなくなって、だから軽いのでしょう。
少なくとも、次の土曜日天気が少しマシなら、末っ子連れて刈り入れの手伝いに行こうかな、と思えるくらいには。
独り暮らしが気楽、という友人の言葉に、
そうかなぁ、寂しいじゃない?ってどこか頷けない部分があったけれど、
なるほどそういう処はあるのだなと感じている今日この頃です。
ただ、
人との繋がりが皆無であったなら、
やはりそれは寂しく、心寒いものなのだろうなぁ、とも。
何なのでしょうね、10月というのにこの寒さは。
新しい住居に引っ越してもうすぐ半年、
「去年との比較」で住みやすさや足さなければならない必要なモノを測ろうとしているのに、あまりにも去年とは違いすぎて。
ただ、前の住まいならもうガンガン石油ファンヒータが稼働してるんじゃないかな、とは思います、戸建て&寒い地域だったから。
最近ちょっと寒いかな、と思ったら、晩御飯をオーブン料理にする(笑)
オーブンがストーブ代わり、それでもほっこり室内が温かいままなのは、2重窓の効能かも。
1つ窓を開けたらすぅっと寒さを感じるのだもの。
今のところはエアコンすらつけていない、それでも室温は20度台だからまったくもって快適です。
今年、残暑はさほどでもなかったハズなのに、この秋はなかなか稲穂が色づかず、稲刈りができていないと聞いていました。
10月に入ってからは長雨で、刈り入れたくてもできない天候でした。
そして季節外れの台風。
台風で倒れたら、刈り取りは恐ろしい労働(機械で刈り取りができないから手作業)となる。
秋までは順調だったはずですが、今年の稲作は不作かも。
日常はゆったりと過ぎています。
息子たちは「引っ越したという実感はあまりない」って云うんですよね、
まぁ彼らは「寝る場所」が変わっただけ、通学路が変わっただけ、その他はあまり変化ないからそういう感想なのかもしれません。
そして私も、食事作り以外ではさほど変化はないんじゃないかな・・・と想像していたけれど、
実は、精神的にすごくゆったりとしております。
なんでだろ?って自己分析して、あ、と気づく。
自分で自分を追い込んでいたんだな、って。
つまり・・・
こんな天気だと稲作は不作だな、という知識はある。
きっと手刈りが増えて大変だな、ということもわかる。
でも、手刈りを手伝う時間も体力も私にはない、とも思っている。
やれないことはないとどこかで思っている。
でもバテバテで介護にまで手が回らなくなるのは困る、限度がわからないからやれないなぁというジレンマがある。
だからいっそ、と、見て見ぬふりしてお手伝いをしないできたのですよね。
だって……食事のことがそうだったのですが、
一度手を出したら、ずっと「ねこってがやるのは当たり前」と捉えられてしまう。
私だって出来る日とできない日があるけれど、そんなことはお構いなし。
あの子はやらないコだと最初からアテにされていないほうが楽なのです。
たぶん、お互いに。
食事のメンドウはみてあげているのだからそれで充分でしょう?と自分を無理やり納得させて、一切やらないと決めた。
でも無意識下では「やらないといけないんだろうなぁ」という自分の中の「かくあるべき姿」、それができていないことが重かった。
離れて暮らすことでそれがなくなって、だから軽いのでしょう。
少なくとも、次の土曜日天気が少しマシなら、末っ子連れて刈り入れの手伝いに行こうかな、と思えるくらいには。
独り暮らしが気楽、という友人の言葉に、
そうかなぁ、寂しいじゃない?ってどこか頷けない部分があったけれど、
なるほどそういう処はあるのだなと感じている今日この頃です。
ただ、
人との繋がりが皆無であったなら、
やはりそれは寂しく、心寒いものなのだろうなぁ、とも。
遊興三昧
遊興できるほど、経済的に余裕があるわけじゃないのですが。
冬場寒いのが辛いので、今年はニットでオーバースカート編もうかな、という
野望を持っています。
使いたいキットがあるのですが、お値段9000円ほどするんですよねぇ・・・。
うーん。
十分製品が買えちゃうよね。
デニムだったら3本以上買えるよね(^_^;
趣味への出費、だと思えば安いのか?
そうよねぇ、舞台1つ見に行ったら諭吉クン出て行っちゃうもんねぇ。
それを考えれば?!
・・・もう少し「迷う楽しみ」を味わっておこう・・・
(と迷っているうちに、欲しい色目の糸がなくなったりしちゃうんですよねぇ、うーん)
遊興できるほど、経済的に余裕があるわけじゃないのですが。
冬場寒いのが辛いので、今年はニットでオーバースカート編もうかな、という
野望を持っています。
使いたいキットがあるのですが、お値段9000円ほどするんですよねぇ・・・。
うーん。
十分製品が買えちゃうよね。
デニムだったら3本以上買えるよね(^_^;
趣味への出費、だと思えば安いのか?
そうよねぇ、舞台1つ見に行ったら諭吉クン出て行っちゃうもんねぇ。
それを考えれば?!
・・・もう少し「迷う楽しみ」を味わっておこう・・・
(と迷っているうちに、欲しい色目の糸がなくなったりしちゃうんですよねぇ、うーん)
千差万別
つけっぱなしになっていたTVで放映していた番組
NHKのディレクターが自分の重度障害の妹の日常を撮りました、という内容の番組ですが、
これを見てからなにやら気持ちが落ち着かない。
モノ申したくなってここに吐き捨てることにします。
番組冒頭で、
「障害者は不幸しか与えないというのは本当か」というようなナレーション。
そして、自身の身内である妹の日常を撮ることにした、と、
制作の意図が語られておりました。
そして最初は淡々と、妹の日常介護のやり方、それに奮闘する自分、
その自分がやらなかった部分にこんな介護があります、という紹介。
食事介助のとき、今日は介護中に妹が笑ってくれた、と語る息子=ディレクターに
「あんたは『笑っている』ことにすごくこだわっているみたいだけれど
笑っているがイコール幸せじゃないからね?」
というこの母のコトバにはとても頷かされた、
そう、日常なんだから、いつもニコニコ顔ばかりではなくて当たり前なのですよ。
笑顔でなくても、満足していることだってあるよねって。
たまたまこの妹さんは顔で感情を表現できるし、
「いいよ!」という言葉(…が、上機嫌のときだけ出るのだそうで)もあるし、
だからこそ「笑顔になってくれた=自分の介護が実を結んだ」と
介護者の指標になってしまうことは多いのだけれど。
この人になら大丈夫という甘えがあるから、泣くし、わめくし、拒絶できる。
なのにそれを常に求められているとなれば、ニコニコ顔はいわゆる「営業笑顔」になってしまう、それは介護される者にとっては苦痛なのかもしれない。
でもそれは、あまり気づかれていないことなのかもしれないなぁと。
ここまではよかった。
でもやがて番組の目線は、
ディレクター本人から、日常介護の担い手である母親に移っていって
そこから、どうにも受け入れがたくなってきたのでした。
率直に言うと。
このお母さん、スゴい人なんだと思うの。
数年前に大病したというお母さんは、
自宅を介護施設に改造して障害者である娘の面倒をみたい、
そうでないと不安だ、という理念を持っておられる。
その前段階として自宅で英語教室などを開き、地域貢献して、
自宅の、自分に近い場所で、娘の介護を無理なく続けたいという
その思いの深さには、瞠目するほど。
それは悪いことでも間違いでもない。
ただね・・・。
この家族にはもう一人娘がおられて、
障害者の双子の妹(姉かもしれないけれどもとりあえず妹にする)である彼女は
現在医大生として家から離れて勉強中だという方。
番組の後半で、この母親が医大生に電話をかけるわけです。
「だからさ、これはお願いだから」
といいながら、
自宅に障害者の娘の施設を作るために、卒業後は自宅近くに帰ってきてほしい、と。
泣きながら。
そして「お願い」としながら「必ずと約束して」ともいう。
気持ちはわかる。
色々たくさんのハードルを飛び越えながら、
それでもどうしても施設の地域医療を担ってくれる人がいなくて、
施設開所がなかなか進まない、そこさえクリアできれば
ずっとずっと開所の望みが高まるのに!
そんな気持ちが口に出たのだと思う。
けれど、私はこの行動が、なんだかちょっと許せなくて。
確かに、在宅看護は、障害者の娘さんにとって一番よい生活かもしれない。
そして恐らく、お母さんにとっては一番精神的に心地よい選択なんでしょう。
でも、医大生にとってはどうなの?
ひょっとすると、彼女は地域医療よりも、脳神経科よりも整形外科よりも
別の医療に興味惹かれているのかもしれないし、
病理のほうに行きたいのかもしれないし、
・・・彼女の意志はムシなんですか?
医大生になったのも恐らく姉の影響が大きいはず、
でもそれは彼女自身が選んで努力したことだろうから、それはいい。
けれどその先の進路まで、姉の影響を押し付けるって。
それは、今時の親ならやっちゃいけないことなんじゃないですか?
それも「自分の心の安寧のために」。
そして更に腹が立ったのは、このお母さん、医大生に電話をかける前、
撮影者の息子ディレクターに
「あんたがいると話をしにくいわ」
と席を外させた。
・・・ふーん。
NHKディレクターである息子にはその話を聞かせられない。
医大生には「お願い」という名の強要泣き落とし。
おかしいよね?
そりゃ医大生がウンと頷けばすごく話は簡単なのでしょう。
でもね、ディレクター辞めて、息子に地域医療者を探す手伝いさせるって手だってある。
息子には押し付けせず、「話を聞かれたくない」ってなんですか、それ。
障害者の娘には最善を考え、では妹にはどうなの?
障害者だから手厚く保護したい、それは自分しかできないから、っていう
想いは痛いほどわかるけれど、
医大生と障害者の娘とは、”同じようにあなたが庇護すべき娘という立場”だっていうこと、忘れちゃいけないんじゃ?
あまりにもその医大生の娘に頼りすぎでしょうよ。
私、障害者は「すべての人を不幸にするわけではない」と思っている。
でも見ていて私は、この医大生の娘は不幸だな、と感じちゃったのです。
番組中で一番共感できたのは、
その医大生娘のコトバ。
「私、xxちゃん(姉の名前)がいて、
両親が忙しくてかまってもらえなかったりで、
xxちゃんのこと憎みそうになって、
でもそういう気持ちをもってしまう自分のこともイヤで・・・」
(うろ覚えなので主旨だけこんな感じ)
結論。
この方の場合、
障害者本人が彼女を不幸にしたんじゃない。
家族が医大生の娘に不安や自己嫌悪感を植え付ける行動をしてきたことが
不幸の根源。
このもう一人の妹のコトバに対し、
兄としてのディレクターの言葉も感想も何もなかった。
同じ兄弟として彼はどうだったのだろう、そこを知りたかったわ。
更にそのお母さんの「施設開所が難しい」と悩む、その要因には何も触れず。
電話の内容で、施設主治医の問題があるんだろうな、はわかったけれど、
それは「個人の問題」ではなく「社会を巻き込まないと解消できない問題」であるのだということ、
おそらく介護にかかわる人材の確保がしづらい現状、
そこを突っ込んでほしかった。
それからそのお母さんが自分の娘である医大生を
「(あえてこの怖いコトバを使うけれども)生贄」としてまで「在宅介護」を最良とする、その理由・・・
「在宅以外の介護」はダメなものなのか、という観点は何もない。
そこに、客観的視点がなく、このお母さんの感情だけの話なのであれば、
本当に医大生の娘さん、可哀想すぎるよ。
在宅以外の介護のほうが、障害者娘さんも「営業笑顔」使わなくて遠慮が必要なくてよかったのかもしれないよ?
ひょっとしたら「お母さんや妹を自分のために使うこと」に、負い目があるのかもしれないよ?
そんな気持ちを伝える術を、彼女はもっていないわけだから。
でもそうじゃなくて、見舞いにいけないような遠いところにしか施設がない、のような理由かもしれない。
このお母さんの判断が間違いではないなんて、この番組の中の情報だけじゃわからない。
本来、「医大生の娘」なんて駒がないのなら、
そっちの選択肢も考えるのが普通なのに。
でも頑なにそれをイヤがるのはどうしてなの?>お母さん
そして障害者の日常を追うような番組を見るといつも感じること。
「この家族が『障害者のいる家族の標準』だなんて思わないで」
障害の程度も、症状も千差万別で、
だから介護している人の苦労だって千差万別なのです。
なのにこういう番組があると、
「●●ちゃんは障害児だから、あなたはxxしているの?
だってTVの番組でやっていたわよ」
的な見方をする人が必ずいて、
違うんだってば。
例えば、
「東大理3」に兄弟全員を合格させました
そんなご家庭があって、TVで紹介されました、とする。
でもそのご家庭の母がやっておられることを
市井の受験生ママみんながやっていますか?
それと同じことなのに。
昔、長男が入院していたときに、同室になった障害児…赤ちゃんのママにぽつりと言われた一言が忘れられなくて。
「ねこってさん、どうしてそんなに笑っていられるの?」
当時私はもう障害児母歴7年超えていて、
笑うことも怒ることも泣くことも、
長男が病気をする前とほとんど変わらない状態でいた、
だから、長男が傍に居なければ、そういう子どもがいるってわからない、らしい。
でもね?
「障害者の家族だからこうあるべき」
なんて決まり事はどこにもないんだよ?
そういう子どもがいるから暗い顔しておかなくちゃとか、
彼らのためだけに時間を使うんだろうなぁとか、
そういう先入観と闘うのって、意外と大変だったかもしれない。
外部の善意の他人とも、自分の内側とも折り合いつかなくて。
ああ、ほら、だからそういうことじゃない?
「障害者が不幸にしている」
のじゃないよ。
でも。
「障害者とはその周囲とはこうであるべきって決めつけは不幸を呼ぶ」
その可能性はあるよ。
つけっぱなしになっていたTVで放映していた番組
NHKのディレクターが自分の重度障害の妹の日常を撮りました、という内容の番組ですが、
これを見てからなにやら気持ちが落ち着かない。
モノ申したくなってここに吐き捨てることにします。
番組冒頭で、
「障害者は不幸しか与えないというのは本当か」というようなナレーション。
そして、自身の身内である妹の日常を撮ることにした、と、
制作の意図が語られておりました。
そして最初は淡々と、妹の日常介護のやり方、それに奮闘する自分、
その自分がやらなかった部分にこんな介護があります、という紹介。
食事介助のとき、今日は介護中に妹が笑ってくれた、と語る息子=ディレクターに
「あんたは『笑っている』ことにすごくこだわっているみたいだけれど
笑っているがイコール幸せじゃないからね?」
というこの母のコトバにはとても頷かされた、
そう、日常なんだから、いつもニコニコ顔ばかりではなくて当たり前なのですよ。
笑顔でなくても、満足していることだってあるよねって。
たまたまこの妹さんは顔で感情を表現できるし、
「いいよ!」という言葉(…が、上機嫌のときだけ出るのだそうで)もあるし、
だからこそ「笑顔になってくれた=自分の介護が実を結んだ」と
介護者の指標になってしまうことは多いのだけれど。
この人になら大丈夫という甘えがあるから、泣くし、わめくし、拒絶できる。
なのにそれを常に求められているとなれば、ニコニコ顔はいわゆる「営業笑顔」になってしまう、それは介護される者にとっては苦痛なのかもしれない。
でもそれは、あまり気づかれていないことなのかもしれないなぁと。
ここまではよかった。
でもやがて番組の目線は、
ディレクター本人から、日常介護の担い手である母親に移っていって
そこから、どうにも受け入れがたくなってきたのでした。
率直に言うと。
このお母さん、スゴい人なんだと思うの。
数年前に大病したというお母さんは、
自宅を介護施設に改造して障害者である娘の面倒をみたい、
そうでないと不安だ、という理念を持っておられる。
その前段階として自宅で英語教室などを開き、地域貢献して、
自宅の、自分に近い場所で、娘の介護を無理なく続けたいという
その思いの深さには、瞠目するほど。
それは悪いことでも間違いでもない。
ただね・・・。
この家族にはもう一人娘がおられて、
障害者の双子の妹(姉かもしれないけれどもとりあえず妹にする)である彼女は
現在医大生として家から離れて勉強中だという方。
番組の後半で、この母親が医大生に電話をかけるわけです。
「だからさ、これはお願いだから」
といいながら、
自宅に障害者の娘の施設を作るために、卒業後は自宅近くに帰ってきてほしい、と。
泣きながら。
そして「お願い」としながら「必ずと約束して」ともいう。
気持ちはわかる。
色々たくさんのハードルを飛び越えながら、
それでもどうしても施設の地域医療を担ってくれる人がいなくて、
施設開所がなかなか進まない、そこさえクリアできれば
ずっとずっと開所の望みが高まるのに!
そんな気持ちが口に出たのだと思う。
けれど、私はこの行動が、なんだかちょっと許せなくて。
確かに、在宅看護は、障害者の娘さんにとって一番よい生活かもしれない。
そして恐らく、お母さんにとっては一番精神的に心地よい選択なんでしょう。
でも、医大生にとってはどうなの?
ひょっとすると、彼女は地域医療よりも、脳神経科よりも整形外科よりも
別の医療に興味惹かれているのかもしれないし、
病理のほうに行きたいのかもしれないし、
・・・彼女の意志はムシなんですか?
医大生になったのも恐らく姉の影響が大きいはず、
でもそれは彼女自身が選んで努力したことだろうから、それはいい。
けれどその先の進路まで、姉の影響を押し付けるって。
それは、今時の親ならやっちゃいけないことなんじゃないですか?
それも「自分の心の安寧のために」。
そして更に腹が立ったのは、このお母さん、医大生に電話をかける前、
撮影者の息子ディレクターに
「あんたがいると話をしにくいわ」
と席を外させた。
・・・ふーん。
NHKディレクターである息子にはその話を聞かせられない。
医大生には「お願い」という名の強要泣き落とし。
おかしいよね?
そりゃ医大生がウンと頷けばすごく話は簡単なのでしょう。
でもね、ディレクター辞めて、息子に地域医療者を探す手伝いさせるって手だってある。
息子には押し付けせず、「話を聞かれたくない」ってなんですか、それ。
障害者の娘には最善を考え、では妹にはどうなの?
障害者だから手厚く保護したい、それは自分しかできないから、っていう
想いは痛いほどわかるけれど、
医大生と障害者の娘とは、”同じようにあなたが庇護すべき娘という立場”だっていうこと、忘れちゃいけないんじゃ?
あまりにもその医大生の娘に頼りすぎでしょうよ。
私、障害者は「すべての人を不幸にするわけではない」と思っている。
でも見ていて私は、この医大生の娘は不幸だな、と感じちゃったのです。
番組中で一番共感できたのは、
その医大生娘のコトバ。
「私、xxちゃん(姉の名前)がいて、
両親が忙しくてかまってもらえなかったりで、
xxちゃんのこと憎みそうになって、
でもそういう気持ちをもってしまう自分のこともイヤで・・・」
(うろ覚えなので主旨だけこんな感じ)
結論。
この方の場合、
障害者本人が彼女を不幸にしたんじゃない。
家族が医大生の娘に不安や自己嫌悪感を植え付ける行動をしてきたことが
不幸の根源。
このもう一人の妹のコトバに対し、
兄としてのディレクターの言葉も感想も何もなかった。
同じ兄弟として彼はどうだったのだろう、そこを知りたかったわ。
更にそのお母さんの「施設開所が難しい」と悩む、その要因には何も触れず。
電話の内容で、施設主治医の問題があるんだろうな、はわかったけれど、
それは「個人の問題」ではなく「社会を巻き込まないと解消できない問題」であるのだということ、
おそらく介護にかかわる人材の確保がしづらい現状、
そこを突っ込んでほしかった。
それからそのお母さんが自分の娘である医大生を
「(あえてこの怖いコトバを使うけれども)生贄」としてまで「在宅介護」を最良とする、その理由・・・
「在宅以外の介護」はダメなものなのか、という観点は何もない。
そこに、客観的視点がなく、このお母さんの感情だけの話なのであれば、
本当に医大生の娘さん、可哀想すぎるよ。
在宅以外の介護のほうが、障害者娘さんも「営業笑顔」使わなくて遠慮が必要なくてよかったのかもしれないよ?
ひょっとしたら「お母さんや妹を自分のために使うこと」に、負い目があるのかもしれないよ?
そんな気持ちを伝える術を、彼女はもっていないわけだから。
でもそうじゃなくて、見舞いにいけないような遠いところにしか施設がない、のような理由かもしれない。
このお母さんの判断が間違いではないなんて、この番組の中の情報だけじゃわからない。
本来、「医大生の娘」なんて駒がないのなら、
そっちの選択肢も考えるのが普通なのに。
でも頑なにそれをイヤがるのはどうしてなの?>お母さん
そして障害者の日常を追うような番組を見るといつも感じること。
「この家族が『障害者のいる家族の標準』だなんて思わないで」
障害の程度も、症状も千差万別で、
だから介護している人の苦労だって千差万別なのです。
なのにこういう番組があると、
「●●ちゃんは障害児だから、あなたはxxしているの?
だってTVの番組でやっていたわよ」
的な見方をする人が必ずいて、
違うんだってば。
例えば、
「東大理3」に兄弟全員を合格させました
そんなご家庭があって、TVで紹介されました、とする。
でもそのご家庭の母がやっておられることを
市井の受験生ママみんながやっていますか?
それと同じことなのに。
昔、長男が入院していたときに、同室になった障害児…赤ちゃんのママにぽつりと言われた一言が忘れられなくて。
「ねこってさん、どうしてそんなに笑っていられるの?」
当時私はもう障害児母歴7年超えていて、
笑うことも怒ることも泣くことも、
長男が病気をする前とほとんど変わらない状態でいた、
だから、長男が傍に居なければ、そういう子どもがいるってわからない、らしい。
でもね?
「障害者の家族だからこうあるべき」
なんて決まり事はどこにもないんだよ?
そういう子どもがいるから暗い顔しておかなくちゃとか、
彼らのためだけに時間を使うんだろうなぁとか、
そういう先入観と闘うのって、意外と大変だったかもしれない。
外部の善意の他人とも、自分の内側とも折り合いつかなくて。
ああ、ほら、だからそういうことじゃない?
「障害者が不幸にしている」
のじゃないよ。
でも。
「障害者とはその周囲とはこうであるべきって決めつけは不幸を呼ぶ」
その可能性はあるよ。
用意周到
台風だぁ!
新しい環境だと、「この音はヤバい」という判断ができずで
なんだか怖くて昨晩眠れなくて、んでもって昼寝しちゃったら寝すぎてって
何してんだか(苦笑)
数名の他の方が今月頭の防災の日などに、災害の備えについてお書きになっておられたのですが、
用意周到でなければならぬ、と思いつつ、我が家、意図して大したことはしておりませずです。
備品に「トイレットペーパー」と書いておられる方もいて。
ああ、そうか、それなー、それはうちはやってないなぁ、とボヤいたら、
真ん中がポツリと。
「でもさぁ、うちって・・・」
あ!そうでした。
長男がいる限り、オムツ&おしりふきは常に取り置きされておりますね。
それが使えるといえば使えるなぁ。
トイレが使えない日数が数日で済むのなら、共用できる量はある。
口腔ケアのシートやら歯ブラシも常にある、衛生用のビニール手袋も。
そして野菜ジュースだ。
経口で繊維質取りにくいから、野菜ジュースの摂取が必須なのです、長男。
長男用の箱入り200ml(彼はこれだけはひとりで上手に飲めるのであると助かる)がないと生活成り立たないから。
スーパーで買うと高い&重いため、これはネットでひと月分まとめ箱買い。
要するに。
「在宅介護」している家って、一般人が非常時に必要なものについて意識しなくても結構揃っている、ということなのかもしれないな、って感じました。
だからかなぁ、以前から「備えとかなきゃ」と意識しているのは「飲料水」くらい。
これは2L6本入りの箱を必ず3箱備蓄、これは決まりにしています。
で、4箱目をあけて、カルピス飲んだりに使うのです。
それがなくなりそうになると次の1箱を買ってくる。
で、使い終わった2Lペットボトルに水道水を入れて、ベランダに置いておくのが10本以上。
「飲料水」として使えなくても、水があるのはいろいろ助かりそうだから。
ジュースのボトルを自宅洗浄するより、直接口を付けていない水ボトルのほうが
衛生面で安心な気がして「水道水」の取り置きは「水」のボトルと決めています。
そして、ベランダの掃除や、鉢植えの水やりするときにそれを使ったりして入れ替え適宜、
数回使ったらorボトルの本数が多くなってきたら、資源ごみとして廃棄です。
食べ物も、わざわざ「災害用」としての買い置きはなし。
ただしビスケット・クラッカー類とフルグラ・コーンフレークがある。
これらは、カナッペにしたり朝ごはん代わりに食べたり常時使っているもので、
「備品」の感覚はないんです。
そのほか予備を置いているのは、ジャムとツナやコンビーフの缶詰。
つまり、クラッカーと相性がよいもの、ですね(笑)
これだけあれば、食べ物関係は2日くらいなんとかなるかな。
甘いかしら?
あと、阪神の災害を間近で見た経験&田舎暮らしの経験から
ビニール袋(少し厚手のもの)・軍手・ラップ・アルミホイル
これらはいつも多めに置いてある。
「当事者」になったら、あれもこれも足りないものだらけだと思うけれど、
周到に用意しようと思っても、限度というものはあるわけで。
上手に「日常」と「非常時の備え」を混在させていかなくちゃと思います。
なんといってもこれから先、独りで頑張らなくちゃなんだから!
ところで。
新しい家に来て、気が抜けてたのか、「懐中電灯」のありかがわからない・・・
今日を無事に切り抜けたら、ランタン型のLEDライト、買ってこよう。
ぬかったなぁ。
どうやら直撃コースみたいなので、
いつもより早く晩御飯も入浴も終えてしまいましょう。
停電なったらあれこれ大変だから。
まぁとにかく、お布団に入っちゃえば安心、っていうのは安直かしら(笑)
台風だぁ!
新しい環境だと、「この音はヤバい」という判断ができずで
なんだか怖くて昨晩眠れなくて、んでもって昼寝しちゃったら寝すぎてって
何してんだか(苦笑)
数名の他の方が今月頭の防災の日などに、災害の備えについてお書きになっておられたのですが、
用意周到でなければならぬ、と思いつつ、我が家、意図して大したことはしておりませずです。
備品に「トイレットペーパー」と書いておられる方もいて。
ああ、そうか、それなー、それはうちはやってないなぁ、とボヤいたら、
真ん中がポツリと。
「でもさぁ、うちって・・・」
あ!そうでした。
長男がいる限り、オムツ&おしりふきは常に取り置きされておりますね。
それが使えるといえば使えるなぁ。
トイレが使えない日数が数日で済むのなら、共用できる量はある。
口腔ケアのシートやら歯ブラシも常にある、衛生用のビニール手袋も。
そして野菜ジュースだ。
経口で繊維質取りにくいから、野菜ジュースの摂取が必須なのです、長男。
長男用の箱入り200ml(彼はこれだけはひとりで上手に飲めるのであると助かる)がないと生活成り立たないから。
スーパーで買うと高い&重いため、これはネットでひと月分まとめ箱買い。
要するに。
「在宅介護」している家って、一般人が非常時に必要なものについて意識しなくても結構揃っている、ということなのかもしれないな、って感じました。
だからかなぁ、以前から「備えとかなきゃ」と意識しているのは「飲料水」くらい。
これは2L6本入りの箱を必ず3箱備蓄、これは決まりにしています。
で、4箱目をあけて、カルピス飲んだりに使うのです。
それがなくなりそうになると次の1箱を買ってくる。
で、使い終わった2Lペットボトルに水道水を入れて、ベランダに置いておくのが10本以上。
「飲料水」として使えなくても、水があるのはいろいろ助かりそうだから。
ジュースのボトルを自宅洗浄するより、直接口を付けていない水ボトルのほうが
衛生面で安心な気がして「水道水」の取り置きは「水」のボトルと決めています。
そして、ベランダの掃除や、鉢植えの水やりするときにそれを使ったりして入れ替え適宜、
数回使ったらorボトルの本数が多くなってきたら、資源ごみとして廃棄です。
食べ物も、わざわざ「災害用」としての買い置きはなし。
ただしビスケット・クラッカー類とフルグラ・コーンフレークがある。
これらは、カナッペにしたり朝ごはん代わりに食べたり常時使っているもので、
「備品」の感覚はないんです。
そのほか予備を置いているのは、ジャムとツナやコンビーフの缶詰。
つまり、クラッカーと相性がよいもの、ですね(笑)
これだけあれば、食べ物関係は2日くらいなんとかなるかな。
甘いかしら?
あと、阪神の災害を間近で見た経験&田舎暮らしの経験から
ビニール袋(少し厚手のもの)・軍手・ラップ・アルミホイル
これらはいつも多めに置いてある。
「当事者」になったら、あれもこれも足りないものだらけだと思うけれど、
周到に用意しようと思っても、限度というものはあるわけで。
上手に「日常」と「非常時の備え」を混在させていかなくちゃと思います。
なんといってもこれから先、独りで頑張らなくちゃなんだから!
ところで。
新しい家に来て、気が抜けてたのか、「懐中電灯」のありかがわからない・・・
今日を無事に切り抜けたら、ランタン型のLEDライト、買ってこよう。
ぬかったなぁ。
どうやら直撃コースみたいなので、
いつもより早く晩御飯も入浴も終えてしまいましょう。
停電なったらあれこれ大変だから。
まぁとにかく、お布団に入っちゃえば安心、っていうのは安直かしら(笑)
月白風清 中秋の名月のこと
夜、大きな月がぽっかりと東の空に浮かんでいて。
あぁ、キレイだわぁ、って思いました。
昨日は長男がステイで家におらず、下の子どもたちと「外に食べに行こうか」
中高生が「食べたい」なんて、ラーメンとかハンバーガー、
せいぜいがファミレスなので、お財布にも優しい(笑)
結局回転ずしにいき、家に戻ってきたら8時ごろ。
お風呂の支度をしたら、とんでもなく眠たい…
子どもに入浴を促し、「出たらおこして」って頼んでコロリと横になったハズなのに。
目が覚めたら朝!
あー、びっくり!
(それでもちゃんと目覚ましなくても5時半に起床しちゃうところが素晴らしい←自画自賛)
ここのところ、晩が眠くて仕方がないのです。
春眠、というのはよく聞く言葉ですが、どうやら秋にも眠たくなることはあるようで。
(そして暁はちゃんと覚えているという(笑))
特に「疲れる」行動をしたわけじゃないのですが、しいて言えば、事務仕事の後に実家に行ってきました。
往復50kmくらいの距離かな、でも慣れた道だし。
少し欠けた名月前のLunaに狂わされたのかも。
実家には月2回くらいは訪問するようにしています。
母は足腰が弱ってきて、外出が思う通りにならない。
それでも欲しいものはカタログで買えるから大丈夫、らしいです。
けれど、思うようにならないのが・・・「焼きたてのパン」
「顔見せに行くよ!何か欲しいものある?」
と尋ねると、常に返ってくるのは
「パン!美味しいヤツね!」
普段の買い物は父がしていて、
自分が好きではないのか、フランスパン、ドイツ系のパン、という
硬いタイプのパンを買ってきてくれないのが不満だそう。
そして、実家近辺、最近ベーカリーがなくなってスーパーのパンしか購入できない。
なので訪問時は必ず、近所のインストアベーカリーで焼きたてを買う。
それも、パリジャンなどの長いのじゃなくて、クッペとかバタールとかの短いヤツ。
そしてベーコンの入ったエピ。
切ったら一度で食べきれるものがよい、らしい。
そのほか少量の、コーヒー豆、紅茶の茶葉、
少しばかり手の込んだ副菜になりそうな日持ちする調味料。
父はお酒が趣味のような人だけれど、
散歩も好きで、散歩前には糖分を食べる習慣がある。
だから差し入れは、一口大のお菓子。
血糖・血圧が気になるオトシゴロなので、
甘味系のものは小分け包装の賞味期限が長いもの。
特にチョコは大好きなので、今回はLindsの個包装をアウトレットでゲットです。
meijiやmorinagaのも美味しいけれど、たまには高級なのもよいですよね♪
喜びそうなものを探すこと自体が楽しくて仕方がない。
そうして想像通りに大概は喜んでくれるので更に嬉しい。
いつもと変わらない両親の姿にむしろ、
すっかりと癒されて元気貰った感じだったのですが、
なんであんなに眠かったのかしら。
夏に消耗した分を取り返そうとしているのかな>体。
とりあえず、眠くない日中は目いっぱいガンバロ。
さて、今日は仕事するぞ!
・・・とかいいながら、授業参観もあるんだったわ、今日(笑)
夜、大きな月がぽっかりと東の空に浮かんでいて。
あぁ、キレイだわぁ、って思いました。
昨日は長男がステイで家におらず、下の子どもたちと「外に食べに行こうか」
中高生が「食べたい」なんて、ラーメンとかハンバーガー、
せいぜいがファミレスなので、お財布にも優しい(笑)
結局回転ずしにいき、家に戻ってきたら8時ごろ。
お風呂の支度をしたら、とんでもなく眠たい…
子どもに入浴を促し、「出たらおこして」って頼んでコロリと横になったハズなのに。
目が覚めたら朝!
あー、びっくり!
(それでもちゃんと目覚ましなくても5時半に起床しちゃうところが素晴らしい←自画自賛)
ここのところ、晩が眠くて仕方がないのです。
春眠、というのはよく聞く言葉ですが、どうやら秋にも眠たくなることはあるようで。
(そして暁はちゃんと覚えているという(笑))
特に「疲れる」行動をしたわけじゃないのですが、しいて言えば、事務仕事の後に実家に行ってきました。
往復50kmくらいの距離かな、でも慣れた道だし。
少し欠けた名月前のLunaに狂わされたのかも。
実家には月2回くらいは訪問するようにしています。
母は足腰が弱ってきて、外出が思う通りにならない。
それでも欲しいものはカタログで買えるから大丈夫、らしいです。
けれど、思うようにならないのが・・・「焼きたてのパン」
「顔見せに行くよ!何か欲しいものある?」
と尋ねると、常に返ってくるのは
「パン!美味しいヤツね!」
普段の買い物は父がしていて、
自分が好きではないのか、フランスパン、ドイツ系のパン、という
硬いタイプのパンを買ってきてくれないのが不満だそう。
そして、実家近辺、最近ベーカリーがなくなってスーパーのパンしか購入できない。
なので訪問時は必ず、近所のインストアベーカリーで焼きたてを買う。
それも、パリジャンなどの長いのじゃなくて、クッペとかバタールとかの短いヤツ。
そしてベーコンの入ったエピ。
切ったら一度で食べきれるものがよい、らしい。
そのほか少量の、コーヒー豆、紅茶の茶葉、
少しばかり手の込んだ副菜になりそうな日持ちする調味料。
父はお酒が趣味のような人だけれど、
散歩も好きで、散歩前には糖分を食べる習慣がある。
だから差し入れは、一口大のお菓子。
血糖・血圧が気になるオトシゴロなので、
甘味系のものは小分け包装の賞味期限が長いもの。
特にチョコは大好きなので、今回はLindsの個包装をアウトレットでゲットです。
meijiやmorinagaのも美味しいけれど、たまには高級なのもよいですよね♪
喜びそうなものを探すこと自体が楽しくて仕方がない。
そうして想像通りに大概は喜んでくれるので更に嬉しい。
いつもと変わらない両親の姿にむしろ、
すっかりと癒されて元気貰った感じだったのですが、
なんであんなに眠かったのかしら。
夏に消耗した分を取り返そうとしているのかな>体。
とりあえず、眠くない日中は目いっぱいガンバロ。
さて、今日は仕事するぞ!
・・・とかいいながら、授業参観もあるんだったわ、今日(笑)
新涼灯火
夏から秋、気候が涼しくなり、夜に火を灯して読書などするのにふさわしい季節になること
新しい環境になってはや4か月。
自分の中の生活の決まり事に慣れて、非常に快適♪
「台所がね、面積も収納も前の四分の一くらいしかないの」
と言った私に、旧友Kちゃんが零した名言。
「キッチンは作業場だからねっ。
究極やりやすい作業場ってね、飛行機のコクピットだと思うのよ。
つまり、手を伸ばせばすぐに使いたいものがあるべき場所にある。
コレよ、コレ。
狭いならそれを目指せるじゃない!」
ごもっともです♪
引っ越しでかなりの断捨離したから。
そしてすべてを新しく配置したから。
見やすく見出しをつけて仕分けできた物入れ
普段履き1足のみしか出ていない玄関
実はずっと狭くなったのに、まだまだ余裕もって入れる場所がある台所
やりやすい!実にやりやすい!
「余白」って大事なのですね、物理的にも、心理的にも。
新しい住まいというのは1年通して住んでみてようやく可否を判断できるものだといいます。
引っ越しは春先で、恐らく一年で一番「公共料金がかからない時期」でした。
だから、少しばかり怖かったんですよ、真夏のクーラー代。
5月、6月の電気代で、一年を計算したら、予算のアテが外れるぞ!って。
しかし・・・。
実母の助言=住むなら南北向きの家、に従ったのは大正解でした。
風通りのよい窓配置されたこの家は、とても涼しくて、扇風機さえもいらないくらい。
結局この夏、ひと晩ずっとエアコンをつけた日は、なし。 いや、ビックリ!
お昼過ぎの一番気温が高くなる時間帯でさえも、数日しかつけておりませず、です。
まぁ、そもそもその時間帯、週末以外は家に居ませんしね。
実は前の家ではエアコン、ほぼ一日中、家に誰かいればつけておりました。
朝の10時を超えるともう、ガマンできないくらいに暑い。
だって土埃や虫が入ってくるから、網戸で風を通すことはできなかったのだもの。
そして今のこの家に来る人は事前にちゃんと把握できるから、
ストンとしたワンピースのホームウエアやキャミソール&短パンを着ていても平気!
田舎の同居の家って、いつ、どこから誰が入って来るかわからないのですよ、
親戚、近所の人、見知らぬ(親の知り合いの)人、前触れなくずかずかと入り込んでくるから
いつも身構えざるを得ずでした。
そんな点も違っていて、それもまた涼しく過ごせた理由のひとつかもしれません。
夕方、風が凪いで、湿度が高くて、ああ、これはシンドイなって日には、
長男が帰宅する4時ごろから、就寝前の10時ごろまでつけたこともあった、
でもそれも、日数にして10日なかったかしら。
「今年って涼しかったよね?」
と尋ねたら、ヘルパーのお姉さんは
「何云ってるんですか!?気が遠くなるくらい暑かったですよ」
って仰ったから、やはり、環境の違いでそう感じているということなのでしょう。
最近のエアコンって、利用電気料金予想を表示してくれるのですね、面白かった。
毎日チェックしてみていたら「過去30日分の電気料金」の最高表示額は1200円ほどでした。
これに、扇風機の稼働の電気料金がプラスされるはず、とはいえ。
あらまぁ・・・思ったほどじゃ、ないや。
いやー、嬉しい誤算です。
9月に入って、湿度が60%を切って、
本日はまさに、「新涼」の感。
さあ。
芸術、読書の秋を盛大に愉しみましょうか。
次の懸念は冬の暖房費。
外のバケツの水が氷る程度には気温が下がる地域ですからね。
ご近所の方に伺ったら、ガスのファンヒーターがやりやすいわよ、
石油だと灯油を持って上がるのが大変だから。
とのことなので、
新しい家への最終設備投資、ガスファンヒータは買おうかな。
あ、でも、もしかすると、エアコンで十分なくらい温かいかもしれないから様子見?
そしてひと冬過ごしてみて、余分に持ってきている布団類
使わなければ捨ててしまおうっと。
夏から秋、気候が涼しくなり、夜に火を灯して読書などするのにふさわしい季節になること
新しい環境になってはや4か月。
自分の中の生活の決まり事に慣れて、非常に快適♪
「台所がね、面積も収納も前の四分の一くらいしかないの」
と言った私に、旧友Kちゃんが零した名言。
「キッチンは作業場だからねっ。
究極やりやすい作業場ってね、飛行機のコクピットだと思うのよ。
つまり、手を伸ばせばすぐに使いたいものがあるべき場所にある。
コレよ、コレ。
狭いならそれを目指せるじゃない!」
ごもっともです♪
引っ越しでかなりの断捨離したから。
そしてすべてを新しく配置したから。
見やすく見出しをつけて仕分けできた物入れ
普段履き1足のみしか出ていない玄関
実はずっと狭くなったのに、まだまだ余裕もって入れる場所がある台所
やりやすい!実にやりやすい!
「余白」って大事なのですね、物理的にも、心理的にも。
新しい住まいというのは1年通して住んでみてようやく可否を判断できるものだといいます。
引っ越しは春先で、恐らく一年で一番「公共料金がかからない時期」でした。
だから、少しばかり怖かったんですよ、真夏のクーラー代。
5月、6月の電気代で、一年を計算したら、予算のアテが外れるぞ!って。
しかし・・・。
実母の助言=住むなら南北向きの家、に従ったのは大正解でした。
風通りのよい窓配置されたこの家は、とても涼しくて、扇風機さえもいらないくらい。
結局この夏、ひと晩ずっとエアコンをつけた日は、なし。 いや、ビックリ!
お昼過ぎの一番気温が高くなる時間帯でさえも、数日しかつけておりませず、です。
まぁ、そもそもその時間帯、週末以外は家に居ませんしね。
実は前の家ではエアコン、ほぼ一日中、家に誰かいればつけておりました。
朝の10時を超えるともう、ガマンできないくらいに暑い。
だって土埃や虫が入ってくるから、網戸で風を通すことはできなかったのだもの。
そして今のこの家に来る人は事前にちゃんと把握できるから、
ストンとしたワンピースのホームウエアやキャミソール&短パンを着ていても平気!
田舎の同居の家って、いつ、どこから誰が入って来るかわからないのですよ、
親戚、近所の人、見知らぬ(親の知り合いの)人、前触れなくずかずかと入り込んでくるから
いつも身構えざるを得ずでした。
そんな点も違っていて、それもまた涼しく過ごせた理由のひとつかもしれません。
夕方、風が凪いで、湿度が高くて、ああ、これはシンドイなって日には、
長男が帰宅する4時ごろから、就寝前の10時ごろまでつけたこともあった、
でもそれも、日数にして10日なかったかしら。
「今年って涼しかったよね?」
と尋ねたら、ヘルパーのお姉さんは
「何云ってるんですか!?気が遠くなるくらい暑かったですよ」
って仰ったから、やはり、環境の違いでそう感じているということなのでしょう。
最近のエアコンって、利用電気料金予想を表示してくれるのですね、面白かった。
毎日チェックしてみていたら「過去30日分の電気料金」の最高表示額は1200円ほどでした。
これに、扇風機の稼働の電気料金がプラスされるはず、とはいえ。
あらまぁ・・・思ったほどじゃ、ないや。
いやー、嬉しい誤算です。
9月に入って、湿度が60%を切って、
本日はまさに、「新涼」の感。
さあ。
芸術、読書の秋を盛大に愉しみましょうか。
次の懸念は冬の暖房費。
外のバケツの水が氷る程度には気温が下がる地域ですからね。
ご近所の方に伺ったら、ガスのファンヒーターがやりやすいわよ、
石油だと灯油を持って上がるのが大変だから。
とのことなので、
新しい家への最終設備投資、ガスファンヒータは買おうかな。
あ、でも、もしかすると、エアコンで十分なくらい温かいかもしれないから様子見?
そしてひと冬過ごしてみて、余分に持ってきている布団類
使わなければ捨ててしまおうっと。
不邪淫戒 仏教五戒のひとつ
平和に過ごしていると、愚痴も少なく日記を書く題材がないです(笑)
で、時事ネタで、うーん?と思ったコトを一つ。
元SPEEDの方々が世間を騒がせていて、ふむふむ、と記事を読んでみました。
今井氏のほうはねー、あれは、周囲もダメですよね。
相手の男はもっとダメ。
自分が籍が入っている状態であること、相手の知名度、ちゃんと計算できる男ならね、もっと上手にコトを運べたんじゃないかな、今井氏自身は独身なのだから。
議員になるという人が清廉潔白で最初から何もかもをよく知っている人でないとアカン、というのでは議員になれる人なんていなくなっちゃう。
「私は社会のココを正したい」という強い意志があれば、その「ココ」について自分なりの筋道があるのなら、そういう人が立候補も当選もあってもいいハズ。
「ココ」以外のことについて当選時に勉強不足であってもいい。でも、やっぱり「議員さん」になるための最低限ってのはあるのだろうなぁ・・・国政を動かす権利を手にしたわけだから、義務は果たして頂かないと。だから、議員さんになってから最低限の知識を手にするために勉強はしなければいけないですよね、そのためにお給料もらってるんだし。
彼女を神輿に載せて「党」の看板にする心づもりでいたのなら、
看板を飾り立て、見栄えよく保つ算段はあってもよかったんじゃないかしら?
せっかく「党」に所属したのだから「育てて」あげればよかったのにねぇ。
で・・・主題はもうひと方のほう。
中に、某ワイドショー司会者が「3年も経って・・・」と発言、炎上しているコメントを読んでみて、すっごく違和感を感じたわけです。
3年も経っているのに、に対してではないです。
コメントの文言について、です。
曰く、
「人が死んでいるのに!」
「LINEにある『子ども作ろうね』は言っちゃいかんだろ!」
・・・うーん・・・
あのね?
確かに当時のご主人が自殺なさったことについて、この件が関わっていないとは言えない。
でもねぇ、「相手が自殺しようが生きていようが、ダメなことはダメ」なんじゃ?
自殺しなくても、浮気された相手っていうのは相手のことを想っていればいるほどに大きな苦痛を感じるものですもの。
だから「自死の理由だろうから」活動自粛すべき、は論旨が違うでしょ?
そしてLINEのやりとりへの言及。
これね、なんかすごく哀しい…
友人ご夫婦は子どもに恵まれずだけれど、「できなければできないでできない人生を前向きに」をモットーに、お二人で共通の趣味を持ったり、それぞれで楽しめる活動を見つけたりして歩んでおられる。
とてもとても素敵なご夫婦を間近に知っている。
負い目を共有するのはとてもハードルが高いことで、難しい。
この上原氏のご夫婦はそうはなれなかったのだな、ということ。
上原さんご自身はご主人に「子ども欲しかった」的愚痴をこぼしていたんでしょうか?
言われたら苦痛を与えることと理解していたとしたら、言わなかったかもですよね。
それもまた、思いやりのひとつ。
でも、そういう願望がどこかにあるのなら、愚痴りたいときだってあるとは思うんです。
・・・友人からも30代のときにはよく聞きましたもん。
「まだできないの?」って義理両親から言われるのツラい
なんて話。
子ども欲しいなぁは「言っちゃいけないこと」ですか?
一方だけ絶対的に抑圧されるってのは、おかしいことだと感じます。
言った相手が浮気相手だった、という点はサイアクではありますが(^_^;
夫に読まれること前提で書いたものではないというのも考えなくちゃ。
「欲しい」「でもムリ」 ならば、どうする?
ここが大事な気がする。
これを共有しなくちゃいけないのが、本来の夫婦の在り方なのでしょう。
どうしても「欲しい」くて諦められないのなら、対応方法なんて
欲しい側が離婚を要求するなり、養子さんをもらうなり
くらいしか思いつかないけれども、
二人の人間が同じ道を歩もうとしているのだから、どちらもがどちらもに歩み寄ることが必要なんじゃ・・・
本当に難しいですよね。
腹の底を割って話すってこと、理解しあう、ってことは。
・・・子どもに恵まれた私にはわからないこともきっとたくさんあるのでしょう。
そして、げぇ、って思ったのは、
ひょっとして嫁の浮気が原因でうちの息子は自死したのかも
→その嫁が、別の男と結婚したいと言っている
→オマエのせいでうちの息子は死んだんだぞ、慰謝料よこせ(しかも数千万円の単位)
・・・この流れがねぇ・・・
もちろん死を選んだのは彼女のせいもあったのかもしれない。
でも彼女だって恐らく彼女にとって都合のよい東京暮らしを捨てて
大阪に生活圏を移動させ、
おまけに収入がない夫を支えて数年頑張ったわけで、
自殺ですべてが免罪となり、彼女なりのそこまでの努力が理解されないのは、
どうにも違う、って気がして仕方がない。
もしかすると夫婦間では、
「別の人が好きになったから別れてくれ」
的な話し合いは既にあったのかもしれないし、
そうなった場合、離婚時の慰謝料は当然不倫をした彼女が払うべきだけれども、
でも慰謝料貰うより「離婚ヤダ」だったからこその自死なのだとしたら・・・
このあたりは「夫婦のコト」ではないの?
事後、3年もたってから「家」が出でくるんだぁ・・・、そして「カネ」なんだぁ・・・。
まぁ、命がなくなってしまったら、対価なんてない、とはいえ・・・。
夫を亡くした嫁は、再婚しちゃいかんの?
再婚しない、って約束で、不倫の事実を3年前に伏せてもらった、とか?
なんだかね、あまりにも上原叩きばっかり目に付くから
別の視点で考えてみたくなっちゃったから、こんな感想が出てきたわけです。
浮気はダメだけれども、浮気したのはどうしてか、というのも人それぞれで、
もしも、ダンナ様が毎日愚痴ばっか零して飲んだくれな人で
「お前は金づるやから、手放してなんてやらねぇ」なんて言うような人間だったら、
他の人にフラリというのもわからなくはない。
二人の間がどうだったのかなんて、二人にしかわからない。
実家にだってどこまでホントウを話すか、なんて・・・
実の子どものこと、全部理解できてるか、って言われても、わからないもの。
あ、すみません、この夫氏がそういう人であるというコトではないですよ。
全部「もしも」の話です。
一般論として、相手が鬼畜&離婚してくれない、もしだったらどうよ、という仮の話です。
んで、ふと思うのですね。
これ、男女逆転だったらどうなんでしょうって。
今はあまり売れないアイドルと、そこそこ名の通った俳優のカップル
女性のほうが不妊で子どもができない
女性の実家が大阪だったので、俳優は大阪暮らしをしていた
ところが俳優の浮気にアイドルが気づいて自殺、
3年後に俳優が再婚をする・・・
ここまでバッシング、されるのかなぁ。
うーん、やっぱりされる、かな。
まぁ。
3年間、未亡人として耐えてます、的印象があったから、
「シングルマザー」で障害児を抱えて、頑張り屋さんの印象があったから、
某「正義感溢れる」ベッキーさんと同様、
世間サマは騙された!気分がいっぱいになっちゃって叩きたくなるのでしょうね。
平和に過ごしていると、愚痴も少なく日記を書く題材がないです(笑)
で、時事ネタで、うーん?と思ったコトを一つ。
元SPEEDの方々が世間を騒がせていて、ふむふむ、と記事を読んでみました。
今井氏のほうはねー、あれは、周囲もダメですよね。
相手の男はもっとダメ。
自分が籍が入っている状態であること、相手の知名度、ちゃんと計算できる男ならね、もっと上手にコトを運べたんじゃないかな、今井氏自身は独身なのだから。
議員になるという人が清廉潔白で最初から何もかもをよく知っている人でないとアカン、というのでは議員になれる人なんていなくなっちゃう。
「私は社会のココを正したい」という強い意志があれば、その「ココ」について自分なりの筋道があるのなら、そういう人が立候補も当選もあってもいいハズ。
「ココ」以外のことについて当選時に勉強不足であってもいい。でも、やっぱり「議員さん」になるための最低限ってのはあるのだろうなぁ・・・国政を動かす権利を手にしたわけだから、義務は果たして頂かないと。だから、議員さんになってから最低限の知識を手にするために勉強はしなければいけないですよね、そのためにお給料もらってるんだし。
彼女を神輿に載せて「党」の看板にする心づもりでいたのなら、
看板を飾り立て、見栄えよく保つ算段はあってもよかったんじゃないかしら?
せっかく「党」に所属したのだから「育てて」あげればよかったのにねぇ。
で・・・主題はもうひと方のほう。
中に、某ワイドショー司会者が「3年も経って・・・」と発言、炎上しているコメントを読んでみて、すっごく違和感を感じたわけです。
3年も経っているのに、に対してではないです。
コメントの文言について、です。
曰く、
「人が死んでいるのに!」
「LINEにある『子ども作ろうね』は言っちゃいかんだろ!」
・・・うーん・・・
あのね?
確かに当時のご主人が自殺なさったことについて、この件が関わっていないとは言えない。
でもねぇ、「相手が自殺しようが生きていようが、ダメなことはダメ」なんじゃ?
自殺しなくても、浮気された相手っていうのは相手のことを想っていればいるほどに大きな苦痛を感じるものですもの。
だから「自死の理由だろうから」活動自粛すべき、は論旨が違うでしょ?
そしてLINEのやりとりへの言及。
これね、なんかすごく哀しい…
友人ご夫婦は子どもに恵まれずだけれど、「できなければできないでできない人生を前向きに」をモットーに、お二人で共通の趣味を持ったり、それぞれで楽しめる活動を見つけたりして歩んでおられる。
とてもとても素敵なご夫婦を間近に知っている。
負い目を共有するのはとてもハードルが高いことで、難しい。
この上原氏のご夫婦はそうはなれなかったのだな、ということ。
上原さんご自身はご主人に「子ども欲しかった」的愚痴をこぼしていたんでしょうか?
言われたら苦痛を与えることと理解していたとしたら、言わなかったかもですよね。
それもまた、思いやりのひとつ。
でも、そういう願望がどこかにあるのなら、愚痴りたいときだってあるとは思うんです。
・・・友人からも30代のときにはよく聞きましたもん。
「まだできないの?」って義理両親から言われるのツラい
なんて話。
子ども欲しいなぁは「言っちゃいけないこと」ですか?
一方だけ絶対的に抑圧されるってのは、おかしいことだと感じます。
言った相手が浮気相手だった、という点はサイアクではありますが(^_^;
夫に読まれること前提で書いたものではないというのも考えなくちゃ。
「欲しい」「でもムリ」 ならば、どうする?
ここが大事な気がする。
これを共有しなくちゃいけないのが、本来の夫婦の在り方なのでしょう。
どうしても「欲しい」くて諦められないのなら、対応方法なんて
欲しい側が離婚を要求するなり、養子さんをもらうなり
くらいしか思いつかないけれども、
二人の人間が同じ道を歩もうとしているのだから、どちらもがどちらもに歩み寄ることが必要なんじゃ・・・
本当に難しいですよね。
腹の底を割って話すってこと、理解しあう、ってことは。
・・・子どもに恵まれた私にはわからないこともきっとたくさんあるのでしょう。
そして、げぇ、って思ったのは、
ひょっとして嫁の浮気が原因でうちの息子は自死したのかも
→その嫁が、別の男と結婚したいと言っている
→オマエのせいでうちの息子は死んだんだぞ、慰謝料よこせ(しかも数千万円の単位)
・・・この流れがねぇ・・・
もちろん死を選んだのは彼女のせいもあったのかもしれない。
でも彼女だって恐らく彼女にとって都合のよい東京暮らしを捨てて
大阪に生活圏を移動させ、
おまけに収入がない夫を支えて数年頑張ったわけで、
自殺ですべてが免罪となり、彼女なりのそこまでの努力が理解されないのは、
どうにも違う、って気がして仕方がない。
もしかすると夫婦間では、
「別の人が好きになったから別れてくれ」
的な話し合いは既にあったのかもしれないし、
そうなった場合、離婚時の慰謝料は当然不倫をした彼女が払うべきだけれども、
でも慰謝料貰うより「離婚ヤダ」だったからこその自死なのだとしたら・・・
このあたりは「夫婦のコト」ではないの?
事後、3年もたってから「家」が出でくるんだぁ・・・、そして「カネ」なんだぁ・・・。
まぁ、命がなくなってしまったら、対価なんてない、とはいえ・・・。
夫を亡くした嫁は、再婚しちゃいかんの?
再婚しない、って約束で、不倫の事実を3年前に伏せてもらった、とか?
なんだかね、あまりにも上原叩きばっかり目に付くから
別の視点で考えてみたくなっちゃったから、こんな感想が出てきたわけです。
浮気はダメだけれども、浮気したのはどうしてか、というのも人それぞれで、
もしも、ダンナ様が毎日愚痴ばっか零して飲んだくれな人で
「お前は金づるやから、手放してなんてやらねぇ」なんて言うような人間だったら、
他の人にフラリというのもわからなくはない。
二人の間がどうだったのかなんて、二人にしかわからない。
実家にだってどこまでホントウを話すか、なんて・・・
実の子どものこと、全部理解できてるか、って言われても、わからないもの。
あ、すみません、この夫氏がそういう人であるというコトではないですよ。
全部「もしも」の話です。
一般論として、相手が鬼畜&離婚してくれない、もしだったらどうよ、という仮の話です。
んで、ふと思うのですね。
これ、男女逆転だったらどうなんでしょうって。
今はあまり売れないアイドルと、そこそこ名の通った俳優のカップル
女性のほうが不妊で子どもができない
女性の実家が大阪だったので、俳優は大阪暮らしをしていた
ところが俳優の浮気にアイドルが気づいて自殺、
3年後に俳優が再婚をする・・・
ここまでバッシング、されるのかなぁ。
うーん、やっぱりされる、かな。
まぁ。
3年間、未亡人として耐えてます、的印象があったから、
「シングルマザー」で障害児を抱えて、頑張り屋さんの印象があったから、
某「正義感溢れる」ベッキーさんと同様、
世間サマは騙された!気分がいっぱいになっちゃって叩きたくなるのでしょうね。
酒掃応対
新人や若人が学ぶべき接客などの作法のこと
なんというか、ここのところ、???と思われる対応を取られることが多くて。
「仕事」なんだよね?
前までのその同じ「仕事」をしていた人との配慮の仕方がずさんに見えて仕方がない。
どうした、日本人、気配り・おもてなしの国ではなかったの?と感じます。
1 役所!!
福祉器具を作るためには、以前同じものを福祉を用いて作った場合、
経年や、当人の状況などのいろいろな条件を満たしていないと
新規作成での福祉補助は受けられません。
先日、車いすの一部分が壊れたので、申請するより前に、
条件を満たしているか、
満たしている場合、何の準備が必要なのかを確認するために
わざわざ役所の窓口に出向いたわけです。
すると、もう6年以上作っていないので新規作成はOKですということがわかり、
前と同じものを作るのなら、特に準備物はないので、
装具屋さんに見積書を作ってもらって窓口に提出してください
と言われて・・・でもちょっと不審だったのです。
前作ったのは6年も前ですよ?
その時点の「医師の診断書(この人はこういう理由で車いすが必要ですという証明)」で
6年後の今、通用するの?
しかも、「児童・生徒」と「成人」だと確か手配が違ってくるんだよと聞いた覚えもあって。
だから「診断書、ホントに要りませんか?」と疑惑いっぱいの口調で質したところ、
「まぁ、一応持って行ってもらいましょうか」と様式を出してもらった。
で。
車いすを作るのは、その辺のスーパーで買ってくる、なんてわけにはいかないのです。
担当医師がいる曜日時間に病院へ行って、
医師立ち合いのもとで装具屋さんと採寸しながら見積もりを作ってもらいます。
その「担当医師」がいる病院だってそんじょそこらにはないから、
うちの場合は片道50kmくらい車を運転して病院へ出向くわけです。
・・・だから、事前に診断書要らないのか?って確かめに役所に行ったの。
なのに、いざ、見積書が装具業者から届き、
窓口に提出しに行ったところ・・・
「・・・診断書、要りますね」
なぬーーー!
私、わざわざ確認しにきたんですよ、この、同じ場所に。
そして私のほうから重ねて「診断書本当に要らないの?」って尋ねたよ?
自信マンマンで「要りません」って言ったの、ここの職員の人だよ?
「要りますね」と言った職員、Nさんは、私がここの行政窓口で一番信用している人。
この人、前のときには不在だったんです。。。
それは仕方がないですよね、役所の人だってデスクワークばかりではないですから。
そして、事前に行ったときの対応はHさんという人で、
この人ねー、家購入のときの補助金対応でも、NGやらかした人です。
だからこそ、「ホントに要らないの?」という私の発言になったわけだけれども・・・
しかもね、「この書式がいるんです」と渡された紙は、前に預かった様式とは別物でした。
そんな人が税金で雇われて「窓口担当」の役人だそうな。
Nさんと、Hさんは、同じ給与体系の中で仕事してるんですよね?
なんというか、ガッカリだ。
2 生命保険
数件お取引しておりますが、生命保険。
そのうちの1社。
「住所変更手続き」のために、担当のセールスさんに電話をしたら・・・
なんとその方、退職していました。
私、彼女の携帯番号を持っていたので、まずそちらに電話してみた。
すると、「???誰?」的反応で、こちらも「???」と思いつつ、
「〇〇生命のXXさんですよね?」と尋ねたら
「・・・ああああ!」
・・・退職するなら、担当の顧客に、次の担当の紹介くらいあってもよいのでは、と思うのです・・・
というか、今までそうやってずっと綿々と担当とのお付き合いがあったはず。
システムが変わっちゃったんですかね?
住所変えなかったら、私は担当ないままでずっと過ごしてきたわけですか。
次の切り替えではもうこの会社を使わない、ということも考えにいれなくちゃ。
3 学校
うちのコの学校、夏休み中に補講をして下さいます。
それはありがたいことですし、去年まではずっと毎日参加しておりました。
ただ、今年は学校までの距離が遠くなったこともあって、私の送迎できる曜日のみの参加としたわけです。
その補講は「任意参加」←ここ、重要。
なのに・・・
この夏休みの「美術」の宿題、
ある作品を作り上げること、なのですが、
「補講」の前後、早く来るか、居残りするかして仕上げなさい
・・・それ、なんかおかしくないですか?
任意参加の「補講」ですよ、
全部「行きません」でも問題はないはずの。
夏休みの時間の利用はその生徒、家庭の自由であるはずなのに、
「補講の日」に登校しないと宿題ができません、って。
「お手伝いなしで仕上げさせたい」ということなのかもしれませんが、
公共教育の場なのに、これを不公平だとは思わないのかな?
しかも、そういう「宿題のさせ方」があることを
「補講参加」のプリントより後に知らせる、というところが
非常に、ムカツク!
4 しかしながら、の救いの手・・・
1 の件で、病院に再度伺わなくてはならないかとゲンナリしていた私。
ちゃんと病院に行って診察受けての装具作成、
カルテには状態はガッツリと記載があるわけです。
その日に書くか、後日に書くかだけの違いなのだから、
ひょっとして、様式を送って、返信用切手を同封したら、
病院側で対応してくれないかな、の僅かな期待をもって病院に電話したところ。
病院、ではなく、病院→装具屋の担当 と連絡がつながって、
装具屋さんのほうへ様式を送付→主治医にお願い→記入されれば返送
という段取りにしてみますね、とのこと。
同じ件で通院・・・行くだけで1日仕事&交通費だってバカにならない
この負担はすべて、我が家にかかる→密かに役所のHが払いやがれ、と思ってた!
郵送代だけで済むのなら、本当に助かる。
・・・ありがたや~!
てか。
装具屋さんには何の落ち度もないのですよ。
でも、さっさとそういう段取りを手配してきたということは。
・・・何度か同じようなミスがあって、フォローさせられてきたんだろうなぁ>装具屋さん
ホントにね、なんだかなー。
2 の件も。
その後、「新しい担当」と名乗る方から、パンフレットの送付とお電話がありましたよ。
・・・でもこっちはなぁ・・・やっぱり次の更新は考えちゃうかも。
新人や若人が学ぶべき接客などの作法のこと
なんというか、ここのところ、???と思われる対応を取られることが多くて。
「仕事」なんだよね?
前までのその同じ「仕事」をしていた人との配慮の仕方がずさんに見えて仕方がない。
どうした、日本人、気配り・おもてなしの国ではなかったの?と感じます。
1 役所!!
福祉器具を作るためには、以前同じものを福祉を用いて作った場合、
経年や、当人の状況などのいろいろな条件を満たしていないと
新規作成での福祉補助は受けられません。
先日、車いすの一部分が壊れたので、申請するより前に、
条件を満たしているか、
満たしている場合、何の準備が必要なのかを確認するために
わざわざ役所の窓口に出向いたわけです。
すると、もう6年以上作っていないので新規作成はOKですということがわかり、
前と同じものを作るのなら、特に準備物はないので、
装具屋さんに見積書を作ってもらって窓口に提出してください
と言われて・・・でもちょっと不審だったのです。
前作ったのは6年も前ですよ?
その時点の「医師の診断書(この人はこういう理由で車いすが必要ですという証明)」で
6年後の今、通用するの?
しかも、「児童・生徒」と「成人」だと確か手配が違ってくるんだよと聞いた覚えもあって。
だから「診断書、ホントに要りませんか?」と疑惑いっぱいの口調で質したところ、
「まぁ、一応持って行ってもらいましょうか」と様式を出してもらった。
で。
車いすを作るのは、その辺のスーパーで買ってくる、なんてわけにはいかないのです。
担当医師がいる曜日時間に病院へ行って、
医師立ち合いのもとで装具屋さんと採寸しながら見積もりを作ってもらいます。
その「担当医師」がいる病院だってそんじょそこらにはないから、
うちの場合は片道50kmくらい車を運転して病院へ出向くわけです。
・・・だから、事前に診断書要らないのか?って確かめに役所に行ったの。
なのに、いざ、見積書が装具業者から届き、
窓口に提出しに行ったところ・・・
「・・・診断書、要りますね」
なぬーーー!
私、わざわざ確認しにきたんですよ、この、同じ場所に。
そして私のほうから重ねて「診断書本当に要らないの?」って尋ねたよ?
自信マンマンで「要りません」って言ったの、ここの職員の人だよ?
「要りますね」と言った職員、Nさんは、私がここの行政窓口で一番信用している人。
この人、前のときには不在だったんです。。。
それは仕方がないですよね、役所の人だってデスクワークばかりではないですから。
そして、事前に行ったときの対応はHさんという人で、
この人ねー、家購入のときの補助金対応でも、NGやらかした人です。
だからこそ、「ホントに要らないの?」という私の発言になったわけだけれども・・・
しかもね、「この書式がいるんです」と渡された紙は、前に預かった様式とは別物でした。
そんな人が税金で雇われて「窓口担当」の役人だそうな。
Nさんと、Hさんは、同じ給与体系の中で仕事してるんですよね?
なんというか、ガッカリだ。
2 生命保険
数件お取引しておりますが、生命保険。
そのうちの1社。
「住所変更手続き」のために、担当のセールスさんに電話をしたら・・・
なんとその方、退職していました。
私、彼女の携帯番号を持っていたので、まずそちらに電話してみた。
すると、「???誰?」的反応で、こちらも「???」と思いつつ、
「〇〇生命のXXさんですよね?」と尋ねたら
「・・・ああああ!」
・・・退職するなら、担当の顧客に、次の担当の紹介くらいあってもよいのでは、と思うのです・・・
というか、今までそうやってずっと綿々と担当とのお付き合いがあったはず。
システムが変わっちゃったんですかね?
住所変えなかったら、私は担当ないままでずっと過ごしてきたわけですか。
次の切り替えではもうこの会社を使わない、ということも考えにいれなくちゃ。
3 学校
うちのコの学校、夏休み中に補講をして下さいます。
それはありがたいことですし、去年まではずっと毎日参加しておりました。
ただ、今年は学校までの距離が遠くなったこともあって、私の送迎できる曜日のみの参加としたわけです。
その補講は「任意参加」←ここ、重要。
なのに・・・
この夏休みの「美術」の宿題、
ある作品を作り上げること、なのですが、
「補講」の前後、早く来るか、居残りするかして仕上げなさい
・・・それ、なんかおかしくないですか?
任意参加の「補講」ですよ、
全部「行きません」でも問題はないはずの。
夏休みの時間の利用はその生徒、家庭の自由であるはずなのに、
「補講の日」に登校しないと宿題ができません、って。
「お手伝いなしで仕上げさせたい」ということなのかもしれませんが、
公共教育の場なのに、これを不公平だとは思わないのかな?
しかも、そういう「宿題のさせ方」があることを
「補講参加」のプリントより後に知らせる、というところが
非常に、ムカツク!
4 しかしながら、の救いの手・・・
1 の件で、病院に再度伺わなくてはならないかとゲンナリしていた私。
ちゃんと病院に行って診察受けての装具作成、
カルテには状態はガッツリと記載があるわけです。
その日に書くか、後日に書くかだけの違いなのだから、
ひょっとして、様式を送って、返信用切手を同封したら、
病院側で対応してくれないかな、の僅かな期待をもって病院に電話したところ。
病院、ではなく、病院→装具屋の担当 と連絡がつながって、
装具屋さんのほうへ様式を送付→主治医にお願い→記入されれば返送
という段取りにしてみますね、とのこと。
同じ件で通院・・・行くだけで1日仕事&交通費だってバカにならない
この負担はすべて、我が家にかかる→密かに役所のHが払いやがれ、と思ってた!
郵送代だけで済むのなら、本当に助かる。
・・・ありがたや~!
てか。
装具屋さんには何の落ち度もないのですよ。
でも、さっさとそういう段取りを手配してきたということは。
・・・何度か同じようなミスがあって、フォローさせられてきたんだろうなぁ>装具屋さん
ホントにね、なんだかなー。
2 の件も。
その後、「新しい担当」と名乗る方から、パンフレットの送付とお電話がありましたよ。
・・・でもこっちはなぁ・・・やっぱり次の更新は考えちゃうかも。
談虎色変
実際に体験した人だけが、本当の意味合いを知っているということ。
80歳の夫さんが介助する妻の車いすが、
エスカレータから降りる際にうまくゆかず、そのまま後ろに転落、
並んで乗っていた後ろの女性が亡くなって、夫婦も重軽傷・・・
という事故があって、
なんというか・・・夫という方は本当に経験の乏しい方なのだろうなぁと。
だって、車いす動かしたことがある人ならば、
段差がどれだけ怖いか、力がいるのか、なんて、街歩きしたらどこででも体感することだからです。
これは車いすだけではなく、
カートやベビーカーでも疑似体験はできますが、
男性は自分でお買い物することもあまりなく過ごしてこられるでしょうし。
多分、そういう体験が、あまりない方だったのでしょうね。
だから「いつもと同じで何気なくエスカレーターに乗ってしまった」
キケンだという意識がなければ、やってしまうのかもしれません。
私のよく利用する大型スーパーは階段型の敷地にあって、
スーパーは下の方にあり、駐車場は上の方にあります。
当然、車で行くと、買い物をしたあと、坂を上らないと車に戻れない。
そうなるとお客さんは不便です。
ですから、いわゆる「動く歩道」がついています。
エスカレーターのような階段式ではなく、傾斜の緩やかなところを
平らのベルトが動いているという形状です。
平らだから、坂道と同じ感覚で、カートを押したままで載ることができます。
そしてスーパーのカートは、その「動く歩道利用者」の安全性を高めるため、
タイヤ部分に磁石が仕込んであるらしく、歩道にのるとガッツリ固定されます。
危ないからカートから手を離すことはないけれど、もし離したとしても転がり落ちない仕組みです。
乗っている最中は快適、でも、その「動く」ベルトから降りるとき、
わずかな段差があって(エスカレータにもあるので、一般の方もお分かりになるかと思います)
そこを乗り越えるのが、結構コワイ、 のです。
その磁石のせいもあるかもしれません。
が、どんな場所でも径の小さなタイヤで段差を乗り越えるときには、
必ずガツンと当たるような負荷はあるものです。
そして、もしもそこにつまづくと、カートごと後ろに押されるわけです。
地面は動いていますから。
自分のうしろには当然人がいることもあります。
つまり、後ろ向きに「将棋倒し」がおきてもおかしくない。
あー、怖い、と思いつつ、利用はします。
だって大量の買い物しますからね、坂道押して上がるのは大変なのだもの。
でも、コワイと思っているから「歩道」が終わり近くになると身構えて、よいしょっ、と押し上げます。
引っかかって危ういことになった経験は今のところ、ありません。とりあえずは。
こういう経験があれば、
もしも何も考えなくトンデモナイ「車いすdeエスカレータ」をやっちゃったとしても、
対処できた、かもしれません。
でも、歩いて乗るだけの人には、あの段差がそんなにキケンなのだとはきっとわからないですから、
よいしょっの身構えができたとも思えない。
ただ・・・その経験があったとしてもやっぱり事故は起きたかなぁ・・・。
常時車いす介護をしている私ですが、ハッキリいうと、
「エレベータのない施設には連れて行かない、連れていけない」
という意識でいます。
ちなみに、下の子たちのベビーカー利用時もエスカレータは使ったことがありません。
単純に、コワイから、です。
前輪を階段の奥に突っ込んで、
後輪を浮かすようにして、車いすの握りをぐいと押し上げたなら、
乗る、は確かにできるのです、わりと簡単に。
しかし一方、降り口にある段差を乗り越えるためには、
後輪に荷重をかけて、すこしだけ前輪を浮かせるのがベストです。
ベビーカーdeエスカレータはたまに見かけますが、
ベビーカーなら軽いから、降りるときにはベビーカーごと持ち上げて
段差を乗り越えているのではないかしら、と思います。
それだって本当はやるべきではないですよね。
(説明書に「子どもを載せたままで持ち上げないで」って書いてあった気がする)
そして車いすの前輪を持ち上げる・・・って、相当にパワーが必要。
前輪持ち上げ担当と、握りをキープする担当と介助者2人いてならまだしも、
たった一人、しかも80歳台の方が「安全にできる作業ではない」
更に、エスカレータだとたぶん、後輪に力を入れられるだけの幅はない、
もしくはあっても、わずかの時間でそれをやり遂げなくてはならない、
それは職人芸のレベルです。
もしも、常時車いすでの介助の経験がある人なら、
ほんの少しの段差であってもどれだけのバリアになるのか体感しているでしょうが、
「借り物の車いす」でお出かけ、の方であるのだから・・・
そこに、そんな苦難があるとは、想像もしていなかったのでしょうね。
車いすを貸し出す際に、注意事項を確認してからでないと貸し出ししないほうがよいのかも。
少しばかり話が逸れます・・・
だったらエレベータ使えよ、と言われます。
けれどエレベーターもね・・・
とてもとても、車いすには優しくないです。
ということを、何度も体験しているので・・・お出かけのときはとても気を使います。
ある休日、とある場所で、車いす介助しながらエレベータを待っていた折のこと。
1回目、ほぼ満員だったので、他の方数名に乗って頂いて乗らず。
2回目、あ、ぎりぎり乗れるかな、と思って動き出そうとしたら、あとからきたベビーカーに占拠され、乗りそびれる
3回目、これはすいているぞ、と思ったら、これもまたベビーカー数台(しかも子どもは抱っこでベビーカーに乗っているのは荷物ときたもんだ!)がさっさと乗り込んでドアが閉まる。
4回目。 もう流石にこちらもキレかかっていたら、一緒に待っていた健常の方がドアを押さえて下さって、「お先にどうぞ」って・・・
結局、1つ下の階に降りるだけに数十分かかってしまったのでした。
エスカレータなら1分かからないのにねー(^_^;
「共用する」ということは「互いに思いやること」が大切。
・・・ベビーカーだけが悪いとは言いたくないし、
車いすだから絶対優先を確保せいといっているわけではないです。
でも少なくともご夫婦お揃いでお出かけで、まだ荷物も少ないのなら、
ベビーカー畳んで赤ちゃん抱っこで乗って下さればもうちょっと場所が空くんですよ・・・
そのあたりの「遠慮」というものはあったっていいのではないかって、
流石にこの時は、ムッとしました。
50kg超えの障害者やご老人を抱っこするわけにはいかないのだもの。
「エレベータを使う」しか選択肢がない人のことはちょこっとだけ考えて欲しいのです。
ましてや、自分より前に待っている車いすを追い抜いて、我さきに、なんていうのは
なんだかなぁ、としか思えません。
誰がこれを「より必要」としているかを考えて、
みんなが共用できるために、できる努力はする、
そういう姿勢が欲しいなぁ、、、
この事故で「エスカレータよりエレベータ増やせば」なんて意見を見たのですが、
それは違うんですよ。
エスカレーターは健常者には待つことなく移動できる便利なツールです。
健常者は大いに利用してください、
だって、その分エレベータの利用者が減るじゃないですか、だからあればいい。
ただ。
ベビーカーや車いすはエスカレータを安全に使えない、
だから少々離れていてもエレベータに並ぶわけです。
同じように、
「自分は歩けるのだからできるだけエスカレータを使おうか」
ってなってくれると、共存できていいですよねぇ。
もちろん、大量の買い物をしていて荷物が重いならエレベータ使えばいい。
カート使う人もエレベータが安全です。
マイノリティに着眼してもらうことは素晴らしいことだけれど、
だからといって、「一般の人」が小さくなることもないですよ、
なんというのか、「私が俺が!」と主張ばっかしてるんじゃ?って感じることもあります。
みんながみんな、折々の使い方に違いがあるのだもの、
違いがあるなりに、互いに安全にできることを譲り合いたいものだなぁと。
実際に体験した人だけが、本当の意味合いを知っているということ。
80歳の夫さんが介助する妻の車いすが、
エスカレータから降りる際にうまくゆかず、そのまま後ろに転落、
並んで乗っていた後ろの女性が亡くなって、夫婦も重軽傷・・・
という事故があって、
なんというか・・・夫という方は本当に経験の乏しい方なのだろうなぁと。
だって、車いす動かしたことがある人ならば、
段差がどれだけ怖いか、力がいるのか、なんて、街歩きしたらどこででも体感することだからです。
これは車いすだけではなく、
カートやベビーカーでも疑似体験はできますが、
男性は自分でお買い物することもあまりなく過ごしてこられるでしょうし。
多分、そういう体験が、あまりない方だったのでしょうね。
だから「いつもと同じで何気なくエスカレーターに乗ってしまった」
キケンだという意識がなければ、やってしまうのかもしれません。
私のよく利用する大型スーパーは階段型の敷地にあって、
スーパーは下の方にあり、駐車場は上の方にあります。
当然、車で行くと、買い物をしたあと、坂を上らないと車に戻れない。
そうなるとお客さんは不便です。
ですから、いわゆる「動く歩道」がついています。
エスカレーターのような階段式ではなく、傾斜の緩やかなところを
平らのベルトが動いているという形状です。
平らだから、坂道と同じ感覚で、カートを押したままで載ることができます。
そしてスーパーのカートは、その「動く歩道利用者」の安全性を高めるため、
タイヤ部分に磁石が仕込んであるらしく、歩道にのるとガッツリ固定されます。
危ないからカートから手を離すことはないけれど、もし離したとしても転がり落ちない仕組みです。
乗っている最中は快適、でも、その「動く」ベルトから降りるとき、
わずかな段差があって(エスカレータにもあるので、一般の方もお分かりになるかと思います)
そこを乗り越えるのが、結構コワイ、 のです。
その磁石のせいもあるかもしれません。
が、どんな場所でも径の小さなタイヤで段差を乗り越えるときには、
必ずガツンと当たるような負荷はあるものです。
そして、もしもそこにつまづくと、カートごと後ろに押されるわけです。
地面は動いていますから。
自分のうしろには当然人がいることもあります。
つまり、後ろ向きに「将棋倒し」がおきてもおかしくない。
あー、怖い、と思いつつ、利用はします。
だって大量の買い物しますからね、坂道押して上がるのは大変なのだもの。
でも、コワイと思っているから「歩道」が終わり近くになると身構えて、よいしょっ、と押し上げます。
引っかかって危ういことになった経験は今のところ、ありません。とりあえずは。
こういう経験があれば、
もしも何も考えなくトンデモナイ「車いすdeエスカレータ」をやっちゃったとしても、
対処できた、かもしれません。
でも、歩いて乗るだけの人には、あの段差がそんなにキケンなのだとはきっとわからないですから、
よいしょっの身構えができたとも思えない。
ただ・・・その経験があったとしてもやっぱり事故は起きたかなぁ・・・。
常時車いす介護をしている私ですが、ハッキリいうと、
「エレベータのない施設には連れて行かない、連れていけない」
という意識でいます。
ちなみに、下の子たちのベビーカー利用時もエスカレータは使ったことがありません。
単純に、コワイから、です。
前輪を階段の奥に突っ込んで、
後輪を浮かすようにして、車いすの握りをぐいと押し上げたなら、
乗る、は確かにできるのです、わりと簡単に。
しかし一方、降り口にある段差を乗り越えるためには、
後輪に荷重をかけて、すこしだけ前輪を浮かせるのがベストです。
ベビーカーdeエスカレータはたまに見かけますが、
ベビーカーなら軽いから、降りるときにはベビーカーごと持ち上げて
段差を乗り越えているのではないかしら、と思います。
それだって本当はやるべきではないですよね。
(説明書に「子どもを載せたままで持ち上げないで」って書いてあった気がする)
そして車いすの前輪を持ち上げる・・・って、相当にパワーが必要。
前輪持ち上げ担当と、握りをキープする担当と介助者2人いてならまだしも、
たった一人、しかも80歳台の方が「安全にできる作業ではない」
更に、エスカレータだとたぶん、後輪に力を入れられるだけの幅はない、
もしくはあっても、わずかの時間でそれをやり遂げなくてはならない、
それは職人芸のレベルです。
もしも、常時車いすでの介助の経験がある人なら、
ほんの少しの段差であってもどれだけのバリアになるのか体感しているでしょうが、
「借り物の車いす」でお出かけ、の方であるのだから・・・
そこに、そんな苦難があるとは、想像もしていなかったのでしょうね。
車いすを貸し出す際に、注意事項を確認してからでないと貸し出ししないほうがよいのかも。
少しばかり話が逸れます・・・
だったらエレベータ使えよ、と言われます。
けれどエレベーターもね・・・
とてもとても、車いすには優しくないです。
ということを、何度も体験しているので・・・お出かけのときはとても気を使います。
ある休日、とある場所で、車いす介助しながらエレベータを待っていた折のこと。
1回目、ほぼ満員だったので、他の方数名に乗って頂いて乗らず。
2回目、あ、ぎりぎり乗れるかな、と思って動き出そうとしたら、あとからきたベビーカーに占拠され、乗りそびれる
3回目、これはすいているぞ、と思ったら、これもまたベビーカー数台(しかも子どもは抱っこでベビーカーに乗っているのは荷物ときたもんだ!)がさっさと乗り込んでドアが閉まる。
4回目。 もう流石にこちらもキレかかっていたら、一緒に待っていた健常の方がドアを押さえて下さって、「お先にどうぞ」って・・・
結局、1つ下の階に降りるだけに数十分かかってしまったのでした。
エスカレータなら1分かからないのにねー(^_^;
「共用する」ということは「互いに思いやること」が大切。
・・・ベビーカーだけが悪いとは言いたくないし、
車いすだから絶対優先を確保せいといっているわけではないです。
でも少なくともご夫婦お揃いでお出かけで、まだ荷物も少ないのなら、
ベビーカー畳んで赤ちゃん抱っこで乗って下さればもうちょっと場所が空くんですよ・・・
そのあたりの「遠慮」というものはあったっていいのではないかって、
流石にこの時は、ムッとしました。
50kg超えの障害者やご老人を抱っこするわけにはいかないのだもの。
「エレベータを使う」しか選択肢がない人のことはちょこっとだけ考えて欲しいのです。
ましてや、自分より前に待っている車いすを追い抜いて、我さきに、なんていうのは
なんだかなぁ、としか思えません。
誰がこれを「より必要」としているかを考えて、
みんなが共用できるために、できる努力はする、
そういう姿勢が欲しいなぁ、、、
この事故で「エスカレータよりエレベータ増やせば」なんて意見を見たのですが、
それは違うんですよ。
エスカレーターは健常者には待つことなく移動できる便利なツールです。
健常者は大いに利用してください、
だって、その分エレベータの利用者が減るじゃないですか、だからあればいい。
ただ。
ベビーカーや車いすはエスカレータを安全に使えない、
だから少々離れていてもエレベータに並ぶわけです。
同じように、
「自分は歩けるのだからできるだけエスカレータを使おうか」
ってなってくれると、共存できていいですよねぇ。
もちろん、大量の買い物をしていて荷物が重いならエレベータ使えばいい。
カート使う人もエレベータが安全です。
マイノリティに着眼してもらうことは素晴らしいことだけれど、
だからといって、「一般の人」が小さくなることもないですよ、
なんというのか、「私が俺が!」と主張ばっかしてるんじゃ?って感じることもあります。
みんながみんな、折々の使い方に違いがあるのだもの、
違いがあるなりに、互いに安全にできることを譲り合いたいものだなぁと。