クレジットカードの明細を見ていて
あれ?と気づいた、見慣れない明細名。
よくよく見ると、「利用者区分」がダンナの数字だった。
へ?
亡くなってもう一年近くになる。
で、はっと気づく。
・・・自動契約か!それも、一年物の。
恐らく、始めたばかりの会社用のドメインでも取得したのだろう
その金額は、使いもしないものに支払うには納得いかない額面で。
で、その明細に書かれていた会社名をPC検索した。
やはり「ドメイン取得」のサイトだった。
ダンナが取ったドメイン名が何なのかなんてわかりはしない。
ひょっとしたら彼の愛機を立ち上げて履歴を見ればわかるのかもしれないけどね?
2台あったうちの一台は先日壊れちゃったしね?
利用しているメアドも、そのパスワードもわからない。
メーラーも動かせずで、家族といえども情報を探すことなんてできないじゃない?
だからその旨明記して、infoにメール連絡したというのに。
ドメイン名がわからないと対応できません
ドメイン名、連絡メアドを使い
管理画面から自動契約の解除をしてください
・・・できるか、阿呆!
できるものならもうとっととやってますってば。
使わないから返品、といっているのにクーリングオフできないというのは
異常な契約ではないのか?
しかも契約者本人は死亡しているというのに。
さて、これ、どうしたもんだかね?
とりあえず、ダンナ名義のクレジット契約を解約。
(いずれ解約するつもりだったけれど面倒だったからそのままにしていたんだった)
未払いになってから請求が来たら困るから、その旨再度通達したけど、
どう対処するんだろうか、この会社。
あれ?と気づいた、見慣れない明細名。
よくよく見ると、「利用者区分」がダンナの数字だった。
へ?
亡くなってもう一年近くになる。
で、はっと気づく。
・・・自動契約か!それも、一年物の。
恐らく、始めたばかりの会社用のドメインでも取得したのだろう
その金額は、使いもしないものに支払うには納得いかない額面で。
で、その明細に書かれていた会社名をPC検索した。
やはり「ドメイン取得」のサイトだった。
ダンナが取ったドメイン名が何なのかなんてわかりはしない。
ひょっとしたら彼の愛機を立ち上げて履歴を見ればわかるのかもしれないけどね?
2台あったうちの一台は先日壊れちゃったしね?
利用しているメアドも、そのパスワードもわからない。
メーラーも動かせずで、家族といえども情報を探すことなんてできないじゃない?
だからその旨明記して、infoにメール連絡したというのに。
ドメイン名がわからないと対応できません
ドメイン名、連絡メアドを使い
管理画面から自動契約の解除をしてください
・・・できるか、阿呆!
できるものならもうとっととやってますってば。
使わないから返品、といっているのにクーリングオフできないというのは
異常な契約ではないのか?
しかも契約者本人は死亡しているというのに。
さて、これ、どうしたもんだかね?
とりあえず、ダンナ名義のクレジット契約を解約。
(いずれ解約するつもりだったけれど面倒だったからそのままにしていたんだった)
未払いになってから請求が来たら困るから、その旨再度通達したけど、
どう対処するんだろうか、この会社。
抱っこ紐でヒヤリって・・・。
大昔、ねんねこの中におんぶした子どもを入れて子守をしていたのは
10代のねえやだった。
その時にはヒヤリってなかったのかな?
抱っこ紐は私も結構使ったけれど、
重たいものを「縛り付けない程度にくっつける」のだから
不安定な要素はあって当たり前だと思っていた。
かがむ、なんてことをするならば、一番重い頭に手を添えるのが当たり前。
紐だけを持ってぶら下げるように持ち上げるなんて言語道断。
それはバランス感覚だと思う。
その当たり前を出来ないことのほうが不思議でならない。
ひょっとして今どきのママたちって、
腕に何か抱えてバランス取って落とさないように歩く、なんて経験すらしていないんだろうか?
だからその危うさに気づけないんだろうか?
少なくとも私は、ガチガチに固定される某有名メーカーの抱っこ紐よりも
帯状の布だけで作られた簡易なもののほうが使いやすかった。
両方持っていたけれど、結局、「安全性が高い」という謳い文句の商品は
あまり利用しなかったように思う。
だって子どもってぐずる。
抱っこ紐をつけるとき、「安全のために止めなくてはならない」あっちのボタン、こっちのスナップをパチパチと止めている間も、なんとか窮屈な枠組みから逃れようと暴れるし逃げまわる。
押さえつけて泣きわめく子どもを相手にするほど心労することはない。
だからそんな風につけるのに手間がかかるシロモノなんて使わない。
着脱がラクで、いつでもどこでもひょいって中に入れられるような、気軽な品物ばかり使っていた。
もちろん固定する度合いはそちらのほうが低い。
当然、ヒヤリ、の可能性は増える。
ヒヤリの事故がある、という報道があり、
ではそれを減らす工夫をせよ、とメーカーに通達があったらしい。
気持ちはわかるけど。
抱っこ紐はあくまでも「抱っこの補助」であって、それ以上のものではないんじゃない?
手を添えられない抱っこ中の子どもが、前屈すれば落ちるのなんて当たり前じゃない?
両手を使いたいのなら、おんぶすればいい。
背中に腹ばいするのなら、落ちる可能性はかなり減るのだから。
それを、格好わるいからしない、
でも両手は空けていないと不便、
だから抱っこ紐を使う、それは万全に子どもとママをくっつけてくれなくちゃ、
万全じゃないならメーカーさんなんとかして、って
何もかも「道具の性能」に頼ってしまうと、
「気軽に使える」という利点がどんどんと減っちゃわないのかな?
結局自分で自分のクビ締めてるんじゃないかな?
もちろんそれで、使いやすくて安全な商品が開発されれば言うことないけれど。
大昔、ねんねこの中におんぶした子どもを入れて子守をしていたのは
10代のねえやだった。
その時にはヒヤリってなかったのかな?
抱っこ紐は私も結構使ったけれど、
重たいものを「縛り付けない程度にくっつける」のだから
不安定な要素はあって当たり前だと思っていた。
かがむ、なんてことをするならば、一番重い頭に手を添えるのが当たり前。
紐だけを持ってぶら下げるように持ち上げるなんて言語道断。
それはバランス感覚だと思う。
その当たり前を出来ないことのほうが不思議でならない。
ひょっとして今どきのママたちって、
腕に何か抱えてバランス取って落とさないように歩く、なんて経験すらしていないんだろうか?
だからその危うさに気づけないんだろうか?
少なくとも私は、ガチガチに固定される某有名メーカーの抱っこ紐よりも
帯状の布だけで作られた簡易なもののほうが使いやすかった。
両方持っていたけれど、結局、「安全性が高い」という謳い文句の商品は
あまり利用しなかったように思う。
だって子どもってぐずる。
抱っこ紐をつけるとき、「安全のために止めなくてはならない」あっちのボタン、こっちのスナップをパチパチと止めている間も、なんとか窮屈な枠組みから逃れようと暴れるし逃げまわる。
押さえつけて泣きわめく子どもを相手にするほど心労することはない。
だからそんな風につけるのに手間がかかるシロモノなんて使わない。
着脱がラクで、いつでもどこでもひょいって中に入れられるような、気軽な品物ばかり使っていた。
もちろん固定する度合いはそちらのほうが低い。
当然、ヒヤリ、の可能性は増える。
ヒヤリの事故がある、という報道があり、
ではそれを減らす工夫をせよ、とメーカーに通達があったらしい。
気持ちはわかるけど。
抱っこ紐はあくまでも「抱っこの補助」であって、それ以上のものではないんじゃない?
手を添えられない抱っこ中の子どもが、前屈すれば落ちるのなんて当たり前じゃない?
両手を使いたいのなら、おんぶすればいい。
背中に腹ばいするのなら、落ちる可能性はかなり減るのだから。
それを、格好わるいからしない、
でも両手は空けていないと不便、
だから抱っこ紐を使う、それは万全に子どもとママをくっつけてくれなくちゃ、
万全じゃないならメーカーさんなんとかして、って
何もかも「道具の性能」に頼ってしまうと、
「気軽に使える」という利点がどんどんと減っちゃわないのかな?
結局自分で自分のクビ締めてるんじゃないかな?
もちろんそれで、使いやすくて安全な商品が開発されれば言うことないけれど。
自己犠牲、なんていう格好の良いことを考えているわけではない。
けれど、多分私はこの
「◯◯のために」
の◯◯に、「自分」という文字を当てはめることをしないままで
この年令まで生きてきてしまった。
だから、自由にしていいよ、と云われたら、
はてさて
自分は何をしたいんだろう
が見えなくて途方に暮れるのかもしれない。
今は 「子どもの」ため が一番しっくりと来る。
やばい。
「自分のために」何かをすることに励みを感じない私は、
子どもをロスしたら廃人になっちゃいそうだ。
きっとご飯もつくらない、お風呂だって面倒。
そんな人間になってしまう気がする。
けれども、彼らの手を(完全にではないとしても)離さなくてはならない、
離すべきだ、と感じる日は刻々と近づいているのだから
別の「◯◯」を探しておかなくちゃいけないな、って感じている。
この年令でそれに気づけたのは、収穫なんだろう、って思うことにする。
ある意味、気づけたこと自体がチャンス。
けれど、多分私はこの
「◯◯のために」
の◯◯に、「自分」という文字を当てはめることをしないままで
この年令まで生きてきてしまった。
だから、自由にしていいよ、と云われたら、
はてさて
自分は何をしたいんだろう
が見えなくて途方に暮れるのかもしれない。
今は 「子どもの」ため が一番しっくりと来る。
やばい。
「自分のために」何かをすることに励みを感じない私は、
子どもをロスしたら廃人になっちゃいそうだ。
きっとご飯もつくらない、お風呂だって面倒。
そんな人間になってしまう気がする。
けれども、彼らの手を(完全にではないとしても)離さなくてはならない、
離すべきだ、と感じる日は刻々と近づいているのだから
別の「◯◯」を探しておかなくちゃいけないな、って感じている。
この年令でそれに気づけたのは、収穫なんだろう、って思うことにする。
ある意味、気づけたこと自体がチャンス。
長期入院していると、病棟の看護師さんとも顔見知りになります。
日夜、半分ボケ始めているご老人を主に相手なさっているから
あしらい方もお上手で、
あぁ、こんな風に接するんだな、と都度勉強させて頂いております。
去年、長期入院をした母がいうには、
「まぁ、大人を相手にしている、って感じじゃなくて、
幼児に強く言い聞かせてる、って喋り方が普通になってはるみたいよね」
母は整形外科的入院だったので、
脳性の病気で入院された方とは違い意識レベルはまったくの常人、
だからその対応を最初は「小馬鹿にされたよう」と感じてイヤだったらしいけれど、
まぁ、それが習い性にもなりますよね。
リハビリ系の病院は多少認知の入った患者さんを主に受け入れることが多いのだから尚のこと。
長男の病院では土地柄、いわゆるノリの良さを持った看護師さんが多いけれど
多分学生のときは真面目系で、学級委員にはならないけれど、
図書委員や文化、生活委員にいつも推挙されていたんだろうなぁ、ってタイプの方がおられたり(きっとこの人はナイチンゲールに憧れて看護師になったに違いない)
すっごく日焼けしておられるので、ご趣味はマリンスポーツですか?って尋ねたら
いや、違うの、ボディビルやってるの、今度大会出るのよ、なんて人がいたり(笑!)
でも多分ベテランだろうな、と思われる方に共通するのは
判断が早くて
相手をあしらいながら、それでもちゃんと自分の意思や感情をガッツリ伝えて
そして「ケラケラと笑う」ことがお上手な方が多い
ってことでした。
感情を押し殺しておられる部分も当然あるのでしょうが、
とにかく あっけらかん としている感じを受ける方が
一番頼もしく思えるのはなんでなんだろう・・・・。
で。
過日、長男の足の傷に対応して下さった看護師さんは
それまでその病棟で見かけたことのない方でした。
人当たりの感覚はソフトでいい感じ。
けれど。
「お母さん来るとやっぱり嬉しそうですよね」
ここまではいい。
「毎日お母さん来たらいいのにねぇ」
と子どもに語りかける、これは親の前では絶対云ったらあかん台詞。
電車で20分以内で通院できて、他に子どもがいないお母さんならいいかもしれないよ?
でもそんな家庭ばかりじゃないってことは覚えておかなくちゃ。
そしてそも、この病院に入院させる親って、それでも入院させ治療させたい、という程度の愛情を子どもに持っていることが多いわけで。
「毎日来れるもんなら来たい、でも・・・」
ってジレンマを抱えている親には、心の傷に塩を塗りこまれたかのように感じる。
案の定、というか。
この看護師、傷の手当は普通にこなれてたけれど、
装具を履かせる手つきも、手順もむちゃくちゃで。
あぁ、障害児の扱いには全然慣れてないんだな、ってまるわかりだった。
・・・この病院に在籍したいなら、もう少し、
「障害児」との対応だけじゃなく
「障害児を懸命に育てようとする家族」に対する配慮も勉強しなくちゃダメだよなぁ
と、
ゆるゆるで意味のない履き方をさせられた装具をきっちりと締め直しながら
生ぬるい目で看護師さんの動きを目で追っていた私。
この病院、リハビリで有名で、
トレーナーの先生方は本当に宝物のごとく、慎重に大切に患者さんを扱うのですが。
看護師さんは「日常生活」だよね?
え?そっち手術したのに、そっち側を下にしてオムツ換えますか?
PTからこうしろって指示が写真図解入りで枕元に貼ってあるのに全く無視ですか?
そして看護師さんはセラピストとは違い「その患者に対して行う活動」に対して時間が決まっているわけでもない。
だから、扱いはぞんざいだと知った(笑)
責めないけど。
でもなぁ、とも思う。
せめて、セラピスト指示くらいはちゃんと見て従おうよ・・・。
*--
介護分野の人材不足を解消するために、
この分野の資格試験で取得がカンタンなものを創設する、なんていってる。
・・・うーん?
確かに
「資格があるから手当がもらえる」
というのは現実社会にあるけれど
「カンタンな資格しかとれない」実力しかない人は
「カンタンなコト」しかできない人ってことではないの?
そして「カンタンに取れる」とわかっている資格に対して
資格手当などつくはずもない。
となると。
される側の希望は全く無視され、
やる側の劣化を増長させるだけ、なんじゃないの?
ちゃんとした国家資格である看護師でさえこの程度なんだもの。
そうじゃなくて。
やる気のある、実力もある介護員をどう育てるか、どうキープするか。
人集めをすることより、人を根付かせるにはどうすればいいか。
そこが大事なんじゃないの?
取りやすい資格を作って、まず仕事をさせてみるのは確かに間違いじゃないけれど、
それだって定着しなくちゃ、結局根本解決しませんよね?
日夜、半分ボケ始めているご老人を主に相手なさっているから
あしらい方もお上手で、
あぁ、こんな風に接するんだな、と都度勉強させて頂いております。
去年、長期入院をした母がいうには、
「まぁ、大人を相手にしている、って感じじゃなくて、
幼児に強く言い聞かせてる、って喋り方が普通になってはるみたいよね」
母は整形外科的入院だったので、
脳性の病気で入院された方とは違い意識レベルはまったくの常人、
だからその対応を最初は「小馬鹿にされたよう」と感じてイヤだったらしいけれど、
まぁ、それが習い性にもなりますよね。
リハビリ系の病院は多少認知の入った患者さんを主に受け入れることが多いのだから尚のこと。
長男の病院では土地柄、いわゆるノリの良さを持った看護師さんが多いけれど
多分学生のときは真面目系で、学級委員にはならないけれど、
図書委員や文化、生活委員にいつも推挙されていたんだろうなぁ、ってタイプの方がおられたり(きっとこの人はナイチンゲールに憧れて看護師になったに違いない)
すっごく日焼けしておられるので、ご趣味はマリンスポーツですか?って尋ねたら
いや、違うの、ボディビルやってるの、今度大会出るのよ、なんて人がいたり(笑!)
でも多分ベテランだろうな、と思われる方に共通するのは
判断が早くて
相手をあしらいながら、それでもちゃんと自分の意思や感情をガッツリ伝えて
そして「ケラケラと笑う」ことがお上手な方が多い
ってことでした。
感情を押し殺しておられる部分も当然あるのでしょうが、
とにかく あっけらかん としている感じを受ける方が
一番頼もしく思えるのはなんでなんだろう・・・・。
で。
過日、長男の足の傷に対応して下さった看護師さんは
それまでその病棟で見かけたことのない方でした。
人当たりの感覚はソフトでいい感じ。
けれど。
「お母さん来るとやっぱり嬉しそうですよね」
ここまではいい。
「毎日お母さん来たらいいのにねぇ」
と子どもに語りかける、これは親の前では絶対云ったらあかん台詞。
電車で20分以内で通院できて、他に子どもがいないお母さんならいいかもしれないよ?
でもそんな家庭ばかりじゃないってことは覚えておかなくちゃ。
そしてそも、この病院に入院させる親って、それでも入院させ治療させたい、という程度の愛情を子どもに持っていることが多いわけで。
「毎日来れるもんなら来たい、でも・・・」
ってジレンマを抱えている親には、心の傷に塩を塗りこまれたかのように感じる。
案の定、というか。
この看護師、傷の手当は普通にこなれてたけれど、
装具を履かせる手つきも、手順もむちゃくちゃで。
あぁ、障害児の扱いには全然慣れてないんだな、ってまるわかりだった。
・・・この病院に在籍したいなら、もう少し、
「障害児」との対応だけじゃなく
「障害児を懸命に育てようとする家族」に対する配慮も勉強しなくちゃダメだよなぁ
と、
ゆるゆるで意味のない履き方をさせられた装具をきっちりと締め直しながら
生ぬるい目で看護師さんの動きを目で追っていた私。
この病院、リハビリで有名で、
トレーナーの先生方は本当に宝物のごとく、慎重に大切に患者さんを扱うのですが。
看護師さんは「日常生活」だよね?
え?そっち手術したのに、そっち側を下にしてオムツ換えますか?
PTからこうしろって指示が写真図解入りで枕元に貼ってあるのに全く無視ですか?
そして看護師さんはセラピストとは違い「その患者に対して行う活動」に対して時間が決まっているわけでもない。
だから、扱いはぞんざいだと知った(笑)
責めないけど。
でもなぁ、とも思う。
せめて、セラピスト指示くらいはちゃんと見て従おうよ・・・。
*--
介護分野の人材不足を解消するために、
この分野の資格試験で取得がカンタンなものを創設する、なんていってる。
・・・うーん?
確かに
「資格があるから手当がもらえる」
というのは現実社会にあるけれど
「カンタンな資格しかとれない」実力しかない人は
「カンタンなコト」しかできない人ってことではないの?
そして「カンタンに取れる」とわかっている資格に対して
資格手当などつくはずもない。
となると。
される側の希望は全く無視され、
やる側の劣化を増長させるだけ、なんじゃないの?
ちゃんとした国家資格である看護師でさえこの程度なんだもの。
そうじゃなくて。
やる気のある、実力もある介護員をどう育てるか、どうキープするか。
人集めをすることより、人を根付かせるにはどうすればいいか。
そこが大事なんじゃないの?
取りやすい資格を作って、まず仕事をさせてみるのは確かに間違いじゃないけれど、
それだって定着しなくちゃ、結局根本解決しませんよね?
ノーベル賞の受賞におもったこと。
2014年10月8日 日常 コメント (6)誰か教えて?
ノーベル物理学賞受賞なさった中村氏は、
会社に所属し、研究した成果について、
「研究成果は研究者のもの」
と主張したけれど、ほぼ認められず、
退職してアメリカに渡られたのですよね?
かたや
理研に所属して、うそっこ(だと思われる)発表をした女史は
会社に所属し、研究した成果であるにもかかわらず
「研究成果について、責任をとりなさい」
と個人で責められているんですよね?
研究の成果は会社のもの、であるならば、
成果がウソだった場合のペナルティも会社のもの、
じゃないとおかしいように思えて仕方がないんです、私。
別に女史を擁護したいわけじゃないけれども。
理にかなっていない気がする。
どこが違うのか、どなたか教えて下さいませんか。
国会で、
「今回の受賞は素晴らしい日本の技術が評価されたもので!」
ってベタボメしています。
でもね。
ノーベル賞って、
「過去の発明・発見の偉業を称える」
わけです。
受賞は素晴らしいことですが、
それは
「今の日本の技術」
が褒められているわけじゃないんだよ?
10年後、20年度、
今のように数年に1度、日本人のノーベル賞受賞者が排出されるのかな。
そのあたり、ちゃんと振り返っておかないと
過去の栄光にふんぞりかえっちゃいけないんじゃないのかな。
ノーベル物理学賞受賞なさった中村氏は、
会社に所属し、研究した成果について、
「研究成果は研究者のもの」
と主張したけれど、ほぼ認められず、
退職してアメリカに渡られたのですよね?
かたや
理研に所属して、うそっこ(だと思われる)発表をした女史は
会社に所属し、研究した成果であるにもかかわらず
「研究成果について、責任をとりなさい」
と個人で責められているんですよね?
研究の成果は会社のもの、であるならば、
成果がウソだった場合のペナルティも会社のもの、
じゃないとおかしいように思えて仕方がないんです、私。
別に女史を擁護したいわけじゃないけれども。
理にかなっていない気がする。
どこが違うのか、どなたか教えて下さいませんか。
国会で、
「今回の受賞は素晴らしい日本の技術が評価されたもので!」
ってベタボメしています。
でもね。
ノーベル賞って、
「過去の発明・発見の偉業を称える」
わけです。
受賞は素晴らしいことですが、
それは
「今の日本の技術」
が褒められているわけじゃないんだよ?
10年後、20年度、
今のように数年に1度、日本人のノーベル賞受賞者が排出されるのかな。
そのあたり、ちゃんと振り返っておかないと
過去の栄光にふんぞりかえっちゃいけないんじゃないのかな。
普通はここまでならない、よね?
2014年9月18日 日常 コメント (4)真ん中の体育祭があり、昨日は一日中グラウンドで運動場を眺めていました。
運良くテント下の座席を確保できたので、ずっと座って見てたんだけれど。
家に帰ったら、激しい頭痛と時折襲う吐き気でダウン。
風邪引いた?
とか
疲れが出た?
とか
いろいろ考えたけれど、やっぱり原因は
「一日中外にいた」
ってこと。
似たような症状は今までもなんどか起きていて、
それは長距離の運転をした後に多かった。
つまり・・・
ぴかぴかのお日様が照らす風景を何時間も見つめたあと。
頭痛も、眼の奥からジンと傷む感じで、だから。
私は日中、長時間外にいると、アレルギー反応のように頭痛をおこす
のだと思う。
そして、私がダウンしたら、
子どもたちは晩御飯を食べることもできない。
朝、ゴミを出すことさえもできない ←ごみ捨て場所が遠くて歩いて行くのは大変すぎる
車がなくては基本的に生活できない。
・・・怖すぎる。
やっぱり利便性のある場所で暮らしたい。
運良くテント下の座席を確保できたので、ずっと座って見てたんだけれど。
家に帰ったら、激しい頭痛と時折襲う吐き気でダウン。
風邪引いた?
とか
疲れが出た?
とか
いろいろ考えたけれど、やっぱり原因は
「一日中外にいた」
ってこと。
似たような症状は今までもなんどか起きていて、
それは長距離の運転をした後に多かった。
つまり・・・
ぴかぴかのお日様が照らす風景を何時間も見つめたあと。
頭痛も、眼の奥からジンと傷む感じで、だから。
私は日中、長時間外にいると、アレルギー反応のように頭痛をおこす
のだと思う。
そして、私がダウンしたら、
子どもたちは晩御飯を食べることもできない。
朝、ゴミを出すことさえもできない ←ごみ捨て場所が遠くて歩いて行くのは大変すぎる
車がなくては基本的に生活できない。
・・・怖すぎる。
やっぱり利便性のある場所で暮らしたい。
四足の動物を飼ったことがなかったので、
動物病院という場所へは行ったことがなかったのですが。
いついてしまったノラが子どもを産んじゃうとやっぱり困る。
もう飼って下る方も出尽くしちゃった感もあるし。
可哀想だけれど、現在すっかりと「家ノラ」化している三匹は
(内一匹がこのページの写真のコ)順番に避妊手術させようという結論に。
で、適当に行動範囲にある動物病院の門を叩きました。
彼ら三匹の関係性は簡単にいえば
おばあちゃん(推定2歳)ーかーちゃん(推定1歳)ー孫(推定5ヶ月) です。
1歳のコは無事に済んで、今日は2歳のコを連れて行ったのですが。
「お腹に水が溜まってました」って言われてビックリ。
一応エイズなどすぐ判明できる検査はして下さったのだそうですが、原因はわからないそうです。
食欲もあるようだから様子をみてあげてくださいね、って言われたのですが、
いったいどうすればよいのやら。
ノラなんだけれど。
やっぱり関わりあったコが苦しむのはイヤだ。
単なるノラでもそのくらい思うのに。
まして自分のために「仕事」をしてくれている犬に悪さなんぞされたら
正直、腸煮えくり返るだろうと思う。
よくもまぁ、そんなヒドいことができる・・・
そして、よくもまぁ、その痛みをガマンして仕事を全うしていたものだ。
ケガさせた人間より、盲導犬のほうが「人として」も上じゃないか!
・・・それと・・・
ノミすごかったよ、って言われちゃったよ!(泣)
そのコがずっと、昨晩から玄関先にいたのだから。
明日は大掃除&布団干し必須だなぁ・・・。
けれど、1歳の時には言われなかったのに、2歳のときだけ、ノミ?
どっちも、だったのかな。
それにしても、家の中だけで飼っている人ばかりではなかろうに、
ノミ対策はみなさんどうしていらっしゃるんだろう?
クスリつけていても外に出たら貰って帰ってきちゃうよね?
動物病院という場所へは行ったことがなかったのですが。
いついてしまったノラが子どもを産んじゃうとやっぱり困る。
もう飼って下る方も出尽くしちゃった感もあるし。
可哀想だけれど、現在すっかりと「家ノラ」化している三匹は
(内一匹がこのページの写真のコ)順番に避妊手術させようという結論に。
で、適当に行動範囲にある動物病院の門を叩きました。
彼ら三匹の関係性は簡単にいえば
おばあちゃん(推定2歳)ーかーちゃん(推定1歳)ー孫(推定5ヶ月) です。
1歳のコは無事に済んで、今日は2歳のコを連れて行ったのですが。
「お腹に水が溜まってました」って言われてビックリ。
一応エイズなどすぐ判明できる検査はして下さったのだそうですが、原因はわからないそうです。
食欲もあるようだから様子をみてあげてくださいね、って言われたのですが、
いったいどうすればよいのやら。
ノラなんだけれど。
やっぱり関わりあったコが苦しむのはイヤだ。
単なるノラでもそのくらい思うのに。
まして自分のために「仕事」をしてくれている犬に悪さなんぞされたら
正直、腸煮えくり返るだろうと思う。
よくもまぁ、そんなヒドいことができる・・・
そして、よくもまぁ、その痛みをガマンして仕事を全うしていたものだ。
ケガさせた人間より、盲導犬のほうが「人として」も上じゃないか!
・・・それと・・・
ノミすごかったよ、って言われちゃったよ!(泣)
そのコがずっと、昨晩から玄関先にいたのだから。
明日は大掃除&布団干し必須だなぁ・・・。
けれど、1歳の時には言われなかったのに、2歳のときだけ、ノミ?
どっちも、だったのかな。
それにしても、家の中だけで飼っている人ばかりではなかろうに、
ノミ対策はみなさんどうしていらっしゃるんだろう?
クスリつけていても外に出たら貰って帰ってきちゃうよね?
いろいろと、なんか腹立つ。
2014年8月22日 日常 コメント (4)長男、入院中です。
お部屋は一般の4人部屋。
長男と、同じくらいの年頃の男子と、あとはじーさん2人。
じーさん2人のうちのお一方は相当「老人力」がついてきておられます。
主治医が、
「晩御飯まではひとりでトイレに行ってもいいですよ」
と言ったのに、
そういう指示書があるのに、
日中に「トイレ」と看護師さんを呼びつける。
そう、昨日まではそうしなくちゃいけなかったから。
「でももう日中は一人でいいよ、って先生仰ってたでしょ?」
何度も何度も「そうじゃないでしょ」って教育的指導(?)を受けて、
それでもそれが理解できなくて。
看護師さんは毎回辛抱強く言い聞かせるのですが、
時折訪れる(恐らく娘さんだと思われる)親族の方は
その「理解しなさ度合い」にきーーーっとなるらしく(気持ちはわかる)
喧嘩腰、苛つき度MAXで言い返すのね、何度でも。
そうするとじーさんもどんどんとエキサイトしていって・・・。
正直、同じ部屋で、その場面には出会いたくない。
仕切りはカーテンだからね、丸聞こえだ。
こっちにまでイライラが伝染しちゃう。
もうお一人のじーさんはもうちょっと理解度があって、
でもちょっとズレてる。
以前に同じ病院の別の階に入院したことがあったらしく、
その前の階の看護師さんに会いに行こうとする(原則、別のフロアへの訪問はダメなのに)
手紙を渡そうとする、いや、それはいいんだけれど、
その手紙の中に商品券を忍び込ませる、などをして問題児扱い(^_^;
そうして、オールディーズな音楽
例えばグレンミラーとか、あの近辺の映画音楽が大好きらしく、
カセットレコーダーで時折大音響で音楽を流す。
その度看護師さんがやってきて、
「◯◯さん、音楽、ラジオはイヤホンで聴くお約束でしょ?」
といえば、素直にイヤホンをする。
だからこのじーさんはまだまし。
長男ではない少年は、超寂しがり屋のかまってクンで、
お母さんがいなければスグに看護師さんを呼びつける。
手元の何かをわざと落として「拾って」とナースコールしたり。
ベッドから車いすへと移りたい、とわがままを通したその5分後に、
ベッドで寝たいと云ってみたり。
あまりにも頻度が高いので、
次、本当の用事じゃないのに呼んだら「ナースコール」外しちゃうからねっ!
と年配の看護師さんが実行しちゃったくらいヒドい。
ガマンができない甘ったれ体質らしい。
そうして◯◯じーさんは「ラジオはイヤホンで」と言われているのに、
この少年はベッドにいるときはいつもテレビをガンガンと鳴らしていて、
昼は高校野球、夕方は大相撲かプロ野球。
なのに、看護師は何故か注意しないんだよね?
ラジオだけじゃなく、テレビもイヤホンが基本のはずなのに。
なんで?
まぁ、スポーツ中継はキライじゃないから特にクレームはしないけれど、
患者によって対応が違うのはよろしくないんじゃないでしょうかね?
・・・なんだかなぁ、っていつも思う。
その子の親も、◯◯じーさんが後から入ってきたとき、
音、うるさいですよねぇ、って平然と云ってた。
わかってるんならイヤホンさせやがれ。
そんな中であまり主張をしない長男はきっと手間のかからないお利口チャンなんだと思う。
遠いから私もあまり面会に行くわけにもいかず、
あれこれしてやってくれ、なんてワガママは言わないから
だから余計に・・・構ってもらえてないんだろうなぁ、って想像している。
私には家に残している小中学生の世話だってあるわけだ。
「コンビニでお弁当買ってきて今日の晩御飯にして」
さえもいえない環境(だって歩いていけるところにコンビニがないもの)に住んでいて
小中学生を放置は絶対にできない。
働かないと食べていけないから仕事は休めないし、
片道1時間半の通院時間はやっぱり大変で(時間もお金も)
それでも週に3日、見舞いに行くようにこころがけているけれど
毎日なんて、絶対ムリだ、きっと倒れちゃう(体力も経済力も)。
でも・・・可哀想だよね、長男。
今週は水曜日に主治医との面談があって仕事帰りに見舞いに行った。
木曜、小学生の用事で行けず、金曜日は仕事の日で、
明日土曜日はPTA行事が丸一日あって身体があかない。←今年も役員な私。
だから日曜日に見舞いにいくつもりだった。
それでも3日間長男に会えてない。
そんなに間を開けたのは、今月上旬の台風直撃だった日くらいなもの。
なのにさー。
日曜日、法事にでろっていう人たちがいるんだよ。
しかも、午前中だけの法事だったら終わった後飛んで病院にいけるけれど、
午後から始まるんだと。
その法事は「私でなければダメ」なのか?別にそうじゃないじゃん。
そして、じゃぁ私の代わりに長男の見舞いに行ってくれるかといえば
それも全然やらないし(ってか、電車に片道1時間半も乗れる人たちじゃないわね、
最初っからアテになんてしてないけどさ)
そうして日曜を逃すと、月曜は仕事が外せない状況だし、
どんなに早くても・・・火曜日?
5日間も長男放りっぱなしにするの?
法事のせいで?
なんか、腹立つわ。
悪いけれど私は、
生きている人間のほうを大切にしたいんだけどな。
仏さんはそういう事情でも赦してくれないほど心が狭いとは思えない、違うの?
仏壇のない家で育った女は、そんな風に考えてしまう。
仏事は長男より大事なのか?
そりゃ長男は病院にいればご飯は出てくるし喰うには困らない。
でも「主張することが自分でできない」人間なのだから、
ちゃんと様子を見て、「当人は主張できないけどちゃんと見てないと家族は来たときにチェックしてるぞ」的威嚇はしておかないとヤバいことだってある。
ワガママ少年のイヤホンなしにも文句を言わずにいるのもソコだ。
だって「私がいないとき」にワガママ少年とそれを許すママが、
何も言えない長男になにかしたって、きっと誰も気づかないのだろうから。
痛い思いをするのは私でなくて長男。
だからそこは可能な限り回避できるようにするのが私の役目のはずだ。
ダンナ親どもは二言目には「長男は可哀想」だのいうくせに、
そうやってずっと長い間「嫁」に精神的な圧力かけていたくせに、
こんな時には長男より仏事=世間体やご近所への体面のほうがずっと大切って思ってるってわかる。
優先順がやっぱり違う。
理解できないし、したくもない。
・・・まぁ。
今日と明日、学校の先生がお見舞いに来てくださるということなので。
私が行かなくても、長男、少しは紛れるんじゃないか、というのが僅かな希望。
ってか、学校の教師って、
見舞いに来るのが普通?
それとも来るのが遅すぎるのか?
(入院してもう3ヶ月にもなるのに初めてなんだけど!)
仕方がないから仏事には出るとして。
(まぁご近所の顔見知りの奥様方としゃべるのは
何事かあったときの転ばぬ先の杖にもなるともいうからやぶさかではないのだ)
それが終わり次第、下のコ2人をつれて長男のところへ行ってしまうのもありだな。
もちろん何も(晩御飯の)用意なんてせずに。
我々は帰り道でラーメンでもすすればよい。
だって台所仕事する時間なんてないよね?
仏事のほうが大事だものwww
お部屋は一般の4人部屋。
長男と、同じくらいの年頃の男子と、あとはじーさん2人。
じーさん2人のうちのお一方は相当「老人力」がついてきておられます。
主治医が、
「晩御飯まではひとりでトイレに行ってもいいですよ」
と言ったのに、
そういう指示書があるのに、
日中に「トイレ」と看護師さんを呼びつける。
そう、昨日まではそうしなくちゃいけなかったから。
「でももう日中は一人でいいよ、って先生仰ってたでしょ?」
何度も何度も「そうじゃないでしょ」って教育的指導(?)を受けて、
それでもそれが理解できなくて。
看護師さんは毎回辛抱強く言い聞かせるのですが、
時折訪れる(恐らく娘さんだと思われる)親族の方は
その「理解しなさ度合い」にきーーーっとなるらしく(気持ちはわかる)
喧嘩腰、苛つき度MAXで言い返すのね、何度でも。
そうするとじーさんもどんどんとエキサイトしていって・・・。
正直、同じ部屋で、その場面には出会いたくない。
仕切りはカーテンだからね、丸聞こえだ。
こっちにまでイライラが伝染しちゃう。
もうお一人のじーさんはもうちょっと理解度があって、
でもちょっとズレてる。
以前に同じ病院の別の階に入院したことがあったらしく、
その前の階の看護師さんに会いに行こうとする(原則、別のフロアへの訪問はダメなのに)
手紙を渡そうとする、いや、それはいいんだけれど、
その手紙の中に商品券を忍び込ませる、などをして問題児扱い(^_^;
そうして、オールディーズな音楽
例えばグレンミラーとか、あの近辺の映画音楽が大好きらしく、
カセットレコーダーで時折大音響で音楽を流す。
その度看護師さんがやってきて、
「◯◯さん、音楽、ラジオはイヤホンで聴くお約束でしょ?」
といえば、素直にイヤホンをする。
だからこのじーさんはまだまし。
長男ではない少年は、超寂しがり屋のかまってクンで、
お母さんがいなければスグに看護師さんを呼びつける。
手元の何かをわざと落として「拾って」とナースコールしたり。
ベッドから車いすへと移りたい、とわがままを通したその5分後に、
ベッドで寝たいと云ってみたり。
あまりにも頻度が高いので、
次、本当の用事じゃないのに呼んだら「ナースコール」外しちゃうからねっ!
と年配の看護師さんが実行しちゃったくらいヒドい。
ガマンができない甘ったれ体質らしい。
そうして◯◯じーさんは「ラジオはイヤホンで」と言われているのに、
この少年はベッドにいるときはいつもテレビをガンガンと鳴らしていて、
昼は高校野球、夕方は大相撲かプロ野球。
なのに、看護師は何故か注意しないんだよね?
ラジオだけじゃなく、テレビもイヤホンが基本のはずなのに。
なんで?
まぁ、スポーツ中継はキライじゃないから特にクレームはしないけれど、
患者によって対応が違うのはよろしくないんじゃないでしょうかね?
・・・なんだかなぁ、っていつも思う。
その子の親も、◯◯じーさんが後から入ってきたとき、
音、うるさいですよねぇ、って平然と云ってた。
わかってるんならイヤホンさせやがれ。
そんな中であまり主張をしない長男はきっと手間のかからないお利口チャンなんだと思う。
遠いから私もあまり面会に行くわけにもいかず、
あれこれしてやってくれ、なんてワガママは言わないから
だから余計に・・・構ってもらえてないんだろうなぁ、って想像している。
私には家に残している小中学生の世話だってあるわけだ。
「コンビニでお弁当買ってきて今日の晩御飯にして」
さえもいえない環境(だって歩いていけるところにコンビニがないもの)に住んでいて
小中学生を放置は絶対にできない。
働かないと食べていけないから仕事は休めないし、
片道1時間半の通院時間はやっぱり大変で(時間もお金も)
それでも週に3日、見舞いに行くようにこころがけているけれど
毎日なんて、絶対ムリだ、きっと倒れちゃう(体力も経済力も)。
でも・・・可哀想だよね、長男。
今週は水曜日に主治医との面談があって仕事帰りに見舞いに行った。
木曜、小学生の用事で行けず、金曜日は仕事の日で、
明日土曜日はPTA行事が丸一日あって身体があかない。←今年も役員な私。
だから日曜日に見舞いにいくつもりだった。
それでも3日間長男に会えてない。
そんなに間を開けたのは、今月上旬の台風直撃だった日くらいなもの。
なのにさー。
日曜日、法事にでろっていう人たちがいるんだよ。
しかも、午前中だけの法事だったら終わった後飛んで病院にいけるけれど、
午後から始まるんだと。
その法事は「私でなければダメ」なのか?別にそうじゃないじゃん。
そして、じゃぁ私の代わりに長男の見舞いに行ってくれるかといえば
それも全然やらないし(ってか、電車に片道1時間半も乗れる人たちじゃないわね、
最初っからアテになんてしてないけどさ)
そうして日曜を逃すと、月曜は仕事が外せない状況だし、
どんなに早くても・・・火曜日?
5日間も長男放りっぱなしにするの?
法事のせいで?
なんか、腹立つわ。
悪いけれど私は、
生きている人間のほうを大切にしたいんだけどな。
仏さんはそういう事情でも赦してくれないほど心が狭いとは思えない、違うの?
仏壇のない家で育った女は、そんな風に考えてしまう。
仏事は長男より大事なのか?
そりゃ長男は病院にいればご飯は出てくるし喰うには困らない。
でも「主張することが自分でできない」人間なのだから、
ちゃんと様子を見て、「当人は主張できないけどちゃんと見てないと家族は来たときにチェックしてるぞ」的威嚇はしておかないとヤバいことだってある。
ワガママ少年のイヤホンなしにも文句を言わずにいるのもソコだ。
だって「私がいないとき」にワガママ少年とそれを許すママが、
何も言えない長男になにかしたって、きっと誰も気づかないのだろうから。
痛い思いをするのは私でなくて長男。
だからそこは可能な限り回避できるようにするのが私の役目のはずだ。
ダンナ親どもは二言目には「長男は可哀想」だのいうくせに、
そうやってずっと長い間「嫁」に精神的な圧力かけていたくせに、
こんな時には長男より仏事=世間体やご近所への体面のほうがずっと大切って思ってるってわかる。
優先順がやっぱり違う。
理解できないし、したくもない。
・・・まぁ。
今日と明日、学校の先生がお見舞いに来てくださるということなので。
私が行かなくても、長男、少しは紛れるんじゃないか、というのが僅かな希望。
ってか、学校の教師って、
見舞いに来るのが普通?
それとも来るのが遅すぎるのか?
(入院してもう3ヶ月にもなるのに初めてなんだけど!)
仕方がないから仏事には出るとして。
(まぁご近所の顔見知りの奥様方としゃべるのは
何事かあったときの転ばぬ先の杖にもなるともいうからやぶさかではないのだ)
それが終わり次第、下のコ2人をつれて長男のところへ行ってしまうのもありだな。
もちろん何も(晩御飯の)用意なんてせずに。
我々は帰り道でラーメンでもすすればよい。
だって台所仕事する時間なんてないよね?
仏事のほうが大事だものwww
精神鑑定で異常があるから、罪にはならない、
というのが正論であるのならば、
精神鑑定で異常があるのだから、治るまでは治癒しなくてはならない、
それが強制的に行われることが正当であってしかるべきなのでは。
権利があるなら義務があるのが普通に思うのに・・・。
「精神鑑定」による安直な隔離が個人の人権を侵害する点には留意しなくてはならなくても、「精神鑑定」で無罪となる人間がいるからには、無罪と判定できるだけの「精神鑑定」をできる人材はいるわけでしょう?
ならば、異常行動が認められた人間に対して「精神鑑定」を行い、強制隔離できる権限を持った機関はないのかな。
知事のレベルではなく、もっと身軽に動ける階級で。
それが「加害者」以前の状態の人であるとしても、
「加害者」になることを未然に防ぐことは大事。
一番必要なのは「被害者」を出さないことなんじゃ?
起こってしまってからじゃすべてが遅いし、
あぁ、起こしちゃったんだけどね、だってあのコは異常だったから仕方がないよね、
では殺された側の人間はやるせなさすぎる。
このクソ暑い中、気持ちの悪いばかりの事件の話題ばかりで
テレビなんぞを見る気にならない。
というのが正論であるのならば、
精神鑑定で異常があるのだから、治るまでは治癒しなくてはならない、
それが強制的に行われることが正当であってしかるべきなのでは。
権利があるなら義務があるのが普通に思うのに・・・。
「精神鑑定」による安直な隔離が個人の人権を侵害する点には留意しなくてはならなくても、「精神鑑定」で無罪となる人間がいるからには、無罪と判定できるだけの「精神鑑定」をできる人材はいるわけでしょう?
ならば、異常行動が認められた人間に対して「精神鑑定」を行い、強制隔離できる権限を持った機関はないのかな。
知事のレベルではなく、もっと身軽に動ける階級で。
それが「加害者」以前の状態の人であるとしても、
「加害者」になることを未然に防ぐことは大事。
一番必要なのは「被害者」を出さないことなんじゃ?
起こってしまってからじゃすべてが遅いし、
あぁ、起こしちゃったんだけどね、だってあのコは異常だったから仕方がないよね、
では殺された側の人間はやるせなさすぎる。
このクソ暑い中、気持ちの悪いばかりの事件の話題ばかりで
テレビなんぞを見る気にならない。
お盆。
例年でも大変だったこの行事・・・
今年は本当に途方も無い。
ダンナの初盆だから。
・・・主に金銭の面で。
見栄を張りたい、リッパなものにしてあげたい。
その気持ちはわかる、でもね。
なら、現実のほうにも「気持ち」が頂きたいですよ、義両親サマ。
飾り物だけでウン万円。
私のパート収入より多い額って分不相応でしょ?
それを勝手に決めてしまって。
それプラス、訪問客へのお接待のお金がかかるでしょ?
お寺さんへのお布施は更に桁が大きいでしょう?
ムリしてそんなことにお金をかけて、
ダンナは喜ぶんだろうか。
私にはそうは思えないけれど。
例年でも大変だったこの行事・・・
今年は本当に途方も無い。
ダンナの初盆だから。
・・・主に金銭の面で。
見栄を張りたい、リッパなものにしてあげたい。
その気持ちはわかる、でもね。
なら、現実のほうにも「気持ち」が頂きたいですよ、義両親サマ。
飾り物だけでウン万円。
私のパート収入より多い額って分不相応でしょ?
それを勝手に決めてしまって。
それプラス、訪問客へのお接待のお金がかかるでしょ?
お寺さんへのお布施は更に桁が大きいでしょう?
ムリしてそんなことにお金をかけて、
ダンナは喜ぶんだろうか。
私にはそうは思えないけれど。
昨日。
息子2人を丸刈りに♪
「もう、床屋行きなよー」
と言ったのに
「行くのが面倒だから切って」
「じゃ、面倒だから丸刈りね?」
「ええよ」
・・・もう毎年のやり取りなんだけれど。
これ一体いつまで続くんだろ。
まぁ、言われる内が花、なのかしら。
息子2人を丸刈りに♪
「もう、床屋行きなよー」
と言ったのに
「行くのが面倒だから切って」
「じゃ、面倒だから丸刈りね?」
「ええよ」
・・・もう毎年のやり取りなんだけれど。
これ一体いつまで続くんだろ。
まぁ、言われる内が花、なのかしら。
山積みになっていた文庫本だとか実用書だとか。
とりあえず手近な袋につめこんで、
買い取りしてくれる某所へと持って行きました。
38冊持って行って、830円なり。
・・・まぁ、ましなほうだな、きっと。
比較的新しいコミックが数冊入っていたのと、
実用書に少々高めのお値段がついてた。
「白蓮れんれん」が少々高めに売れた模様←なんといっても新刊本ですもんね。
別に値段にならなくてもいいんです。
古紙に出すのがイヤなだけ。
山のようにある文庫本、少しずつ処分しちゃおう。
読みなおすかもしれない、そういうのもあるけれど・・・
そうでなさそうなものからどんどんと。
少しずつ、身軽になるぞ、私。
とりあえず手近な袋につめこんで、
買い取りしてくれる某所へと持って行きました。
38冊持って行って、830円なり。
・・・まぁ、ましなほうだな、きっと。
比較的新しいコミックが数冊入っていたのと、
実用書に少々高めのお値段がついてた。
「白蓮れんれん」が少々高めに売れた模様←なんといっても新刊本ですもんね。
別に値段にならなくてもいいんです。
古紙に出すのがイヤなだけ。
山のようにある文庫本、少しずつ処分しちゃおう。
読みなおすかもしれない、そういうのもあるけれど・・・
そうでなさそうなものからどんどんと。
少しずつ、身軽になるぞ、私。
「白蓮れんれん」 読了
2014年7月18日 日常週3日、片道2時間を通勤しているため。
ここのところ、すごい勢いで文字を読んでます。
リンクのお方のように上手にレビューは書けないですけれど、
美貌 備忘のため、これからちょこちょこ書いてみます。
ざっと電車内で斜め読みだけだから、細かい部分が書と違っていても怒らないで下さいね。
数ヶ月前から書店平積みでよく見かけるようになったこの作品「白蓮れんれん」
要はNHKの朝ドラ「花子とアン」に白蓮さんが出演しているから関連商品、ってことなのでしょう。
・・・というわけで、
当初、私の脳内では白蓮(燁子)=仲間由紀恵サンとして話が展開していくのです。
でも記述は違うのね。
仲間白蓮のイメージは完璧すぎる女性なのよ。
でもこの本の蓮さま・・・ではなく燁子表記です、もちろん・・・は着付けが上手くなく、胸元がだらしない、とある。
ここでようやく、朝ドラの呪縛から解き放たれて、この本自体と向き合った私。
延々と書き綴られてゆく、福岡での生活。
朝ドラ中で描かれているのはほんの一部でしかない、鬱屈してゆく燁子の暮らしぶりが書き綴られている。
嫁ぎ先の福岡の環境。・・・そりゃ、ヤだよ。
出戻りで嫁いだとはいえ、嫁ぎ先の家には行くまで知らされていなかった存在、ダンナの実子が1人、養子が1人(後に2人となる)いる。
更に、お妾さんは数知れずでしかもその内の一人は女中頭で家政を取り仕切ってる(このあたりは朝ドラでも描かれているけれど)
その上、ダンナは既に種なしで、自分に実子ができることはありえないとくれば。
直系子孫を産むことができないのなら、「家」の単位で彼女は本当に死ぬまで独りきりで居続けなくてはならないということ。
自分に与する養子をとることはできたとしてもやはり実子でないとすればその立場は弱いだろうし、ダンナである伝右衛門と仲良くする手段しかないとしても、女性が燁子一人ではとても満足しないであろう人物であるのは明白なのだから。
女性の立場とすれば本当に八方ふさがりだったのだと判る。
身分の高さを自覚し、学もある燁子であれば尚のこと、「この場所から逃げ出したい」という思いが強かったと思う。
今の女性なら「冗談じゃないわよ、ケッ」って、好きだよ光線だしてくれる年下の男なんぞ現れたらとっとと走るね、間違いないよ。
それがあの当時だと「大仰な事件」に祭り上げられるんだよなぁ・・・。
しかもこの人、既に一度政略結婚で失敗して、離縁後幽閉されたという経験の持ち主なのですよね。
逃げ出すことにさえも希望が見いだせなかったはず。
結果としてその鬱屈が「歌への昇華」となったのでしょうか。
ただ、その辺りのくわしい記述はこの小説にはない。
歌だって数首載せられているだけ。
「白蓮」が世間一般的にすごく評価された歌人である、という文章はあっても、
「歌人 白蓮」ではなく「女性 燁子」のみに焦点があてられている。
とにかく物語は燁子にまつわる「恋愛」に対するあれこれを年次順に書き連ねられる。
著者 林真理子氏は私にとってはエッセイストの印象が強い。
あとは「週刊朝日」での対談のホストとしての林さんのイメージ。
だから・・・こういう文章を書くのが少し意外だった。
文体は読みやすいけれど、軽薄ではない。
燁子という人間が、福岡においてどんな生活を送っていたか、綿密に取材なさっているのだと感じる。
小説家林真理子を少し侮っていたな、と思う。
この時代の「女性」を描くためにか、著者は出てくる女性ひとりずつを燁子と対比している。
観点は3つ。
貞淑であるか奔放(今の時代じゃ充分に普通な感覚なのだけれど)であるか。
そして特権階級かどうか、お金持ちかどうか。
庶民である伝右衛門の妾たちは貞淑とは程遠い。
妾ではあるが、純粋に恋愛をし、妾をやめ、逃げ出して嫁となる記述も何人かある。
それがこの時代の現実。
であるならば、婚前の貞淑を求められているのは特権階級(つまり貴族かそれに肩を並べるような金持ちか)に限られているのかも。
だから「貞淑な妻」のサンプルは、すべて特権階級に属す女性だ。
本文の目線は燁子本人が大筋なのだが、時折、伝右衛門の妹である初枝目線が混ぜ込まれる。
最終的に、金持ちの生活と身分を捨て、つまり貧乏を選び、しかし世間一般には「貞淑」とは程遠い行動を起こす燁子と対極なのがこの初枝。
初枝は貴族階級の三男坊(だったっけ?)と薦められるままに結婚し、貧乏となり、貞淑であっただろうが失意のまま亡くなってゆく人物で、しかも燁子の想い人である龍介に淡い恋慕をしていた様子まで記される。
初枝の目線に立ったとき「燁子」は異端。
恐らくそれがこの時代のスタンダード。
その目線が混ぜ込まれることで、燁子の孤独がより一層浮き彫りになる。
時代の中で、流行の先端を生きようとし、あがく自分を見つめながらエッセイを書いてきた林氏の筆は、まずは特権階級出身でありながら成金へと下った燁子の忸怩たる思いを暴いて描く。
貞淑な妻として描かれる久保より江に対しては、文面だけを読めば燁子は下げずんだ目線を向けている。
しかし、読んでいる私には、福岡の知識階級の博士を夫とし賢婦の誉高いより江にはむしろうんと「嫉妬」を感じているように思える。
そして、歌人白蓮と同じく才能への評価も高く、しかし隠れて不倫をしていた九条武子は当初『同士』として描かれているのに、白蓮事件に臆し、結局貞淑な妻のまま過ごすことを選ぶと、燁子は仕方がない、と無関心なのかその後の後日譚さえもない。
成功者に対する劣等感を描き、高みを目指さない者に対しては自らの土俵にさえもあげない、これはエッセイストとしての林真理子の骨頂の一つではないか。
文献から切りだされた「恋歌」の数々は重い。
そして後に添い遂げる龍介とのやりとりの書簡、これは恐らく実物そのものの書き写しなのでしょうが、それらがとても素晴らしいのです。
宛名ひとつ、署名ひとつで、打ち解け合う二人の様子が想像できる。
重い「恋歌」と書簡、そこから想像する感情と実際の記録たち。
燁子という時代と身分とに振り回された女性が、時代を驚愕させる行動力の元、苦難を乗り越え最後は80歳を越えるまで愛した人と添い遂げたその記録に、林真理子という「生身の高みを目指すことを宣言している作家」が出会った。
数百にも上ったらしい書簡と、歌の中から、どれを選び出すか。
そこにも林氏のセンスが光る。
「行動を起こす強さのある者」と「現状を受け入れるだけの者」
これが実在の人物のことを書いてあり事実だったのだろうけれど、初枝の最後はあまりにも淡々とついでのように書かれている。
林真理子の視点は、常に「強くて上を目指す女性」に寄り添っている、多分彼女自身がそうやって時代と戦ってきたヒトだから。
燁子への賛美だけではないところが、林真理子さんらしいと感じた。
欲を言うなら、もっともっと「恋歌」や「書簡」で燁子を感じたかったかも、とも思う。
・・・でもそれは、「歌集」を自分で読み解くべき、なのでしょうね。
ここのところ、すごい勢いで文字を読んでます。
リンクのお方のように上手にレビューは書けないですけれど、
ざっと電車内で斜め読みだけだから、細かい部分が書と違っていても怒らないで下さいね。
数ヶ月前から書店平積みでよく見かけるようになったこの作品「白蓮れんれん」
要はNHKの朝ドラ「花子とアン」に白蓮さんが出演しているから関連商品、ってことなのでしょう。
・・・というわけで、
当初、私の脳内では白蓮(燁子)=仲間由紀恵サンとして話が展開していくのです。
でも記述は違うのね。
仲間白蓮のイメージは完璧すぎる女性なのよ。
でもこの本の蓮さま・・・ではなく燁子表記です、もちろん・・・は着付けが上手くなく、胸元がだらしない、とある。
ここでようやく、朝ドラの呪縛から解き放たれて、この本自体と向き合った私。
延々と書き綴られてゆく、福岡での生活。
朝ドラ中で描かれているのはほんの一部でしかない、鬱屈してゆく燁子の暮らしぶりが書き綴られている。
嫁ぎ先の福岡の環境。・・・そりゃ、ヤだよ。
出戻りで嫁いだとはいえ、嫁ぎ先の家には行くまで知らされていなかった存在、ダンナの実子が1人、養子が1人(後に2人となる)いる。
更に、お妾さんは数知れずでしかもその内の一人は女中頭で家政を取り仕切ってる(このあたりは朝ドラでも描かれているけれど)
その上、ダンナは既に種なしで、自分に実子ができることはありえないとくれば。
直系子孫を産むことができないのなら、「家」の単位で彼女は本当に死ぬまで独りきりで居続けなくてはならないということ。
自分に与する養子をとることはできたとしてもやはり実子でないとすればその立場は弱いだろうし、ダンナである伝右衛門と仲良くする手段しかないとしても、女性が燁子一人ではとても満足しないであろう人物であるのは明白なのだから。
女性の立場とすれば本当に八方ふさがりだったのだと判る。
身分の高さを自覚し、学もある燁子であれば尚のこと、「この場所から逃げ出したい」という思いが強かったと思う。
今の女性なら「冗談じゃないわよ、ケッ」って、好きだよ光線だしてくれる年下の男なんぞ現れたらとっとと走るね、間違いないよ。
それがあの当時だと「大仰な事件」に祭り上げられるんだよなぁ・・・。
しかもこの人、既に一度政略結婚で失敗して、離縁後幽閉されたという経験の持ち主なのですよね。
逃げ出すことにさえも希望が見いだせなかったはず。
結果としてその鬱屈が「歌への昇華」となったのでしょうか。
ただ、その辺りのくわしい記述はこの小説にはない。
歌だって数首載せられているだけ。
「白蓮」が世間一般的にすごく評価された歌人である、という文章はあっても、
「歌人 白蓮」ではなく「女性 燁子」のみに焦点があてられている。
とにかく物語は燁子にまつわる「恋愛」に対するあれこれを年次順に書き連ねられる。
著者 林真理子氏は私にとってはエッセイストの印象が強い。
あとは「週刊朝日」での対談のホストとしての林さんのイメージ。
だから・・・こういう文章を書くのが少し意外だった。
文体は読みやすいけれど、軽薄ではない。
燁子という人間が、福岡においてどんな生活を送っていたか、綿密に取材なさっているのだと感じる。
小説家林真理子を少し侮っていたな、と思う。
この時代の「女性」を描くためにか、著者は出てくる女性ひとりずつを燁子と対比している。
観点は3つ。
貞淑であるか奔放(今の時代じゃ充分に普通な感覚なのだけれど)であるか。
そして特権階級かどうか、お金持ちかどうか。
庶民である伝右衛門の妾たちは貞淑とは程遠い。
妾ではあるが、純粋に恋愛をし、妾をやめ、逃げ出して嫁となる記述も何人かある。
それがこの時代の現実。
であるならば、婚前の貞淑を求められているのは特権階級(つまり貴族かそれに肩を並べるような金持ちか)に限られているのかも。
だから「貞淑な妻」のサンプルは、すべて特権階級に属す女性だ。
本文の目線は燁子本人が大筋なのだが、時折、伝右衛門の妹である初枝目線が混ぜ込まれる。
最終的に、金持ちの生活と身分を捨て、つまり貧乏を選び、しかし世間一般には「貞淑」とは程遠い行動を起こす燁子と対極なのがこの初枝。
初枝は貴族階級の三男坊(だったっけ?)と薦められるままに結婚し、貧乏となり、貞淑であっただろうが失意のまま亡くなってゆく人物で、しかも燁子の想い人である龍介に淡い恋慕をしていた様子まで記される。
初枝の目線に立ったとき「燁子」は異端。
恐らくそれがこの時代のスタンダード。
その目線が混ぜ込まれることで、燁子の孤独がより一層浮き彫りになる。
時代の中で、流行の先端を生きようとし、あがく自分を見つめながらエッセイを書いてきた林氏の筆は、まずは特権階級出身でありながら成金へと下った燁子の忸怩たる思いを暴いて描く。
貞淑な妻として描かれる久保より江に対しては、文面だけを読めば燁子は下げずんだ目線を向けている。
しかし、読んでいる私には、福岡の知識階級の博士を夫とし賢婦の誉高いより江にはむしろうんと「嫉妬」を感じているように思える。
そして、歌人白蓮と同じく才能への評価も高く、しかし隠れて不倫をしていた九条武子は当初『同士』として描かれているのに、白蓮事件に臆し、結局貞淑な妻のまま過ごすことを選ぶと、燁子は仕方がない、と無関心なのかその後の後日譚さえもない。
成功者に対する劣等感を描き、高みを目指さない者に対しては自らの土俵にさえもあげない、これはエッセイストとしての林真理子の骨頂の一つではないか。
文献から切りだされた「恋歌」の数々は重い。
そして後に添い遂げる龍介とのやりとりの書簡、これは恐らく実物そのものの書き写しなのでしょうが、それらがとても素晴らしいのです。
宛名ひとつ、署名ひとつで、打ち解け合う二人の様子が想像できる。
重い「恋歌」と書簡、そこから想像する感情と実際の記録たち。
燁子という時代と身分とに振り回された女性が、時代を驚愕させる行動力の元、苦難を乗り越え最後は80歳を越えるまで愛した人と添い遂げたその記録に、林真理子という「生身の高みを目指すことを宣言している作家」が出会った。
数百にも上ったらしい書簡と、歌の中から、どれを選び出すか。
そこにも林氏のセンスが光る。
「行動を起こす強さのある者」と「現状を受け入れるだけの者」
これが実在の人物のことを書いてあり事実だったのだろうけれど、初枝の最後はあまりにも淡々とついでのように書かれている。
林真理子の視点は、常に「強くて上を目指す女性」に寄り添っている、多分彼女自身がそうやって時代と戦ってきたヒトだから。
燁子への賛美だけではないところが、林真理子さんらしいと感じた。
欲を言うなら、もっともっと「恋歌」や「書簡」で燁子を感じたかったかも、とも思う。
・・・でもそれは、「歌集」を自分で読み解くべき、なのでしょうね。
用紙が届きました。
これ、住民票の世帯主あてでくる。
そしてお金が入るのは世帯主の口座。
つまり我が家の給付金は全部義父の口座へ。
・・・住民票、早くわけよう、長男が退院したら、すぐにでも。
これ、住民票の世帯主あてでくる。
そしてお金が入るのは世帯主の口座。
つまり我が家の給付金は全部義父の口座へ。
・・・住民票、早くわけよう、長男が退院したら、すぐにでも。
ニュースで騒がれてる某通信教育社の名簿問題。
我が家、漏れてること、決定。
J社のDM来てたし!
今後ダンナ名義で送られる子ども向けのダイレクトメールはそっち発かも。
管理不行き届きだった某通信社はともかく。
株価大暴落らしいけれど、J社はとばっちりよねぇ・・・。
だって正規価格で、盗品と思わずデータを買ったのなら。
それでも罪になるんでしたっけ?
我が家、漏れてること、決定。
J社のDM来てたし!
今後ダンナ名義で送られる子ども向けのダイレクトメールはそっち発かも。
管理不行き届きだった某通信社はともかく。
株価大暴落らしいけれど、J社はとばっちりよねぇ・・・。
だって正規価格で、盗品と思わずデータを買ったのなら。
それでも罪になるんでしたっけ?
昨日、真ん中とじっくり話をしたのですが。
「俺は学校で浮いている」
自覚してるだろうなぁ、とは思っていたけれど。
まぁ、一般受けする性格ではないもんね。
決して「爽やか」で「明るい」タイプではない。
オタク・・・とも少し違うけれど、そっち系、みたいな。
原因も自分なりに分析している。
小学校は超少人数だったから、周囲が
「まぁアイツはこんなヤツだから」
と認めてくれて、居場所があった。
合わないところがあっても良い所もあると、認知してくれていた。
でも、今度は大人数校だから、どうかなぁとは思ってた。
逆に色んな子がいるから、同系統のコだっているかも、という期待もあって、
そちらは見事、図にあたって、話の合う友人は数人できたみたい。
ただ、真ん中曰く、
「宙に浮いたヤツラばっかで集まったら、意外と意見が似通ってた」
らしい。
・・・となれば、こっちは静観、ですわね。
多数をヨシとする集団の中で、少数派を声高に叫ぶ人間はどうしたって鼻つまみになる。
それは外部の人間では何も手出しはできないことだから。
でもだからといって、その状況がイヤだとは言わない。
原因のことも、それなりに気をつけるけれど、
根本から直すことなんてできないから仕方がねぇ、と開き直ってる。
折れそうならば、添え木をする。
そのくらいしか、できることなんてない。
彼は
純粋すぎる面と、
修造ばりの熱い面と、
覚めた大人びた面とが混在していて、
その度合が周囲のお子さんと足並みが揃わず、受け入れてもらえない経験を何度もしてきている。
そのうち周囲のお子さんも、彼自身も成長すれば
それなりに迎合できるようになってゆく、と信じるしかないかな。
小学校のときだって、結局3年くらいかかってやっと受け入れられたんだし。
ただ、思春期というある意味攻撃的でもある年代の周囲が
「異分子」をどれだけ受け止める度量があるか。
一旦張られたレッテルを剥がす、もしくは書き直すことは
新たな異分子を受け入れる以上に難しいことだから。
「別にひとりきりでいても、やりたいことは沢山あるからなぁ」
多分それは本音。
だって私の中学時代がまさにそれだった。
だからこそ
「学校が面白くない」「淡々としていていつも同じ日々だから」
というアンケートを書くことになる。
でもそれは「ツライ」とか「イヤダ」とかそういうのではなくて。
ただただ単純にそれを受け止めている状況であって
追い詰められてはいないのだ。
ごめんねぇ。
なんか、お前さんの考える方向性って、
昔の私そっくりなんだもん。
影響、与えてるんだよね、多分。
そしてその私は、
高校時代の友人たちにとても助けられて今まで過ごしてきている。
これから彼にもそういう出会いがあることを祈る。
ただ、中高一貫に入ってしまい、高校で新たな出会いがあるのかどうだか。
そこはなんとか乗り越えて欲しい、かな。
少なくとも私にとっては、
絶対無二の可愛いコなことには変わりがない。
そこだけはゆるぎがないようにしなくては。
「俺は学校で浮いている」
自覚してるだろうなぁ、とは思っていたけれど。
まぁ、一般受けする性格ではないもんね。
決して「爽やか」で「明るい」タイプではない。
オタク・・・とも少し違うけれど、そっち系、みたいな。
原因も自分なりに分析している。
小学校は超少人数だったから、周囲が
「まぁアイツはこんなヤツだから」
と認めてくれて、居場所があった。
合わないところがあっても良い所もあると、認知してくれていた。
でも、今度は大人数校だから、どうかなぁとは思ってた。
逆に色んな子がいるから、同系統のコだっているかも、という期待もあって、
そちらは見事、図にあたって、話の合う友人は数人できたみたい。
ただ、真ん中曰く、
「宙に浮いたヤツラばっかで集まったら、意外と意見が似通ってた」
らしい。
・・・となれば、こっちは静観、ですわね。
多数をヨシとする集団の中で、少数派を声高に叫ぶ人間はどうしたって鼻つまみになる。
それは外部の人間では何も手出しはできないことだから。
でもだからといって、その状況がイヤだとは言わない。
原因のことも、それなりに気をつけるけれど、
根本から直すことなんてできないから仕方がねぇ、と開き直ってる。
折れそうならば、添え木をする。
そのくらいしか、できることなんてない。
彼は
純粋すぎる面と、
修造ばりの熱い面と、
覚めた大人びた面とが混在していて、
その度合が周囲のお子さんと足並みが揃わず、受け入れてもらえない経験を何度もしてきている。
そのうち周囲のお子さんも、彼自身も成長すれば
それなりに迎合できるようになってゆく、と信じるしかないかな。
小学校のときだって、結局3年くらいかかってやっと受け入れられたんだし。
ただ、思春期というある意味攻撃的でもある年代の周囲が
「異分子」をどれだけ受け止める度量があるか。
一旦張られたレッテルを剥がす、もしくは書き直すことは
新たな異分子を受け入れる以上に難しいことだから。
「別にひとりきりでいても、やりたいことは沢山あるからなぁ」
多分それは本音。
だって私の中学時代がまさにそれだった。
だからこそ
「学校が面白くない」「淡々としていていつも同じ日々だから」
というアンケートを書くことになる。
でもそれは「ツライ」とか「イヤダ」とかそういうのではなくて。
ただただ単純にそれを受け止めている状況であって
追い詰められてはいないのだ。
ごめんねぇ。
なんか、お前さんの考える方向性って、
昔の私そっくりなんだもん。
影響、与えてるんだよね、多分。
そしてその私は、
高校時代の友人たちにとても助けられて今まで過ごしてきている。
これから彼にもそういう出会いがあることを祈る。
ただ、中高一貫に入ってしまい、高校で新たな出会いがあるのかどうだか。
そこはなんとか乗り越えて欲しい、かな。
少なくとも私にとっては、
絶対無二の可愛いコなことには変わりがない。
そこだけはゆるぎがないようにしなくては。
リンクの方に触発され、某サイトでの性格判断をやってみた。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/
私、ISTP型:なんでも一度は試してみる だそうです。
I = 内向性(反するのは外向性)
S = 現実型( 〃 直感型)
T = 思考型( 〃 情緒型)
P = 柔軟型( 〃 模範型)
ちょっと意外でした。私情緒型だとばかり思っていたから。
でも・・・
・・・かなりあたっているかも、なんて思う次第。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/
私、ISTP型:なんでも一度は試してみる だそうです。
I = 内向性(反するのは外向性)
S = 現実型( 〃 直感型)
T = 思考型( 〃 情緒型)
P = 柔軟型( 〃 模範型)
ちょっと意外でした。私情緒型だとばかり思っていたから。
でも・・・
ISTP型:なんでも一度は試してみる
控えめで、打ち解けず、対人関係に用心深いが、なんでも一度は試してみようとする。
内面を見つめるタイプで(I型)、それが客観的な決断をくだす傾向とあいまって、会話がどう進むのかほかの人がどうするのか、ようすを見ていてから、手のうちを見せる。
ものの考え方が具体的で(S型)、なんでも自分のまわりのことに関連させてとらえるので(P型)、元来ひっこみ思案な性格からすれば行動的で自発的な役回りになってしまう。
突然、意表を突いたユーモアをいったり、柄にもなく任せてくれという態度をとったり、壊れたものを不意に直したくなったりして、ほかの人たちを困惑させる。
ISTP型は手先が器用で、すぐに目に見える形で成果があがると満足感を覚える。
観察力が優れているので、気になることがあると、手順を踏んだり手引書を読まなければいけないなどとは思わずに、すぐに取りかかってしまう。
だから、仕事好きで、結果がうまくいくと、やり遂げた満足感が大きい。
やっている最中に、手引書を読まなければならなくなると、直接関連のある個所だけを読む。
時間や労力を無駄に使わないことが、ISTP型にとってはきわめて重要な問題なのだ。
割り当てられた仕事がつまらない、退屈、実際的ではないと思うと、その仕事より自分の関心事を優先させる。
自分のやりたいことに熱中するあまり、ほかのやるべきことを-無視したり忘れるわけではないが-二の次にしてしまう。
気が乗ると、非常に正確かつ厳密に仕事をするので、ほかの人を驚かせたり、うらやましがらせたりする。
仕事のためとあれば危険もかえりみない。
ISTP型の男性は、伝統的に男の活動とされているもの(一対一でやるスポーツ、重い装置を扱う作業、自動車レーサー、大工など)にやりがいを感じ、満足感を覚える。
ISTP型の女性も、そういうものが得意で満足感も大きいが、実際にやると、おてんばと見られてしまう。
ISTP型は往々にして、とくにE型やJ型の人には不可解に思われてしまう。
予測できない行動をとったり、人との付き合いに無関心に見えるところが、E型やJ型の気にさわり、文句をいわれる。
ISTP型はそうした押し付けがましさに反発を覚えるだけではなく、わざと期待はずれに振る舞い、内心ではほくそ笑んでいるので、結局は相変わらずよくわからない人だと思われてしまう。
親子関係
ISTP型の親は、ものごとが計画どおりにいくとは思っていない。
ようすを見ていて、いざというときにやる。
どんなにきちんと立てた計画でもうまくいかないことがあると思っている。
興奮したり、感情的になったり、冷静さを失うまいとする。
そんなことをしたら、余分なエネルギーを使ってしまい、次に起こることに対処できないという、もっともな理由があるのだ。
ISTP型の親は子どもに自分を押しつけない。
子どもの主体性、干渉されたくない場所、関心や発達の違いを大切にして、言葉でも行動でもその価値観を実行しようと努力する。
だが、意見が衝突すると、ISTP型の親でも声をあらげて感情的に応じてしまうことがあるが、いったん気をしずめると、いくつかの選択の余地を冷静に示す。
ISTP型の子どもは、機械などがどういう仕組みになっているのか知りたくなると分解してしまったり、やりたいことがあると、承諾も得ずにさっさとやってみようとしたり、ほかのタイプの人からはいつも面倒を引き起こしているように見られてしまう。
オートバイに関心を持ち(乗るのも修理するのも好きである)、家族の心配の種になることが多い。
目下の関心事で実際に経験できるものを学ぶのがいちばん楽しい。
何かを学ぶには実際にやってみるしかないと思っている。
だから、抽象的なことや日常生活に直接関係のないことになるほど、関心がなく、やる気が起きない。
ISTP型は子どもも大人も、歓迎会、記念日、親睦会といった家族の特別な行事を楽しみにするが、行事そのもの内容よりも、特別なケーキを焼いたり、贈り物を用意したりといったその下準備のほうに関心を向けることが多い。
本番をないがしろにするので、ほかのタイプの人はそうした行動を気配りがない、協カ的でない、つきあいが悪いと受けとる。だが、そうではない。
ISTP型は社交的なつきあいをあまり必要としていないだけなのだ。
その行事が終わると、ニ、三のごく親しい友人には、まだ帰らなくてもいいではないかと勧める。
それからが「ほんとうの」パーティーで、気の合う友人と楽しいときを過ごすのである。
・・・かなりあたっているかも、なんて思う次第。
「えらい目にあわすなぁ」
2014年5月28日 日常 コメント (3)「えらい(大変な、の意)目に合わすなぁ」
この言葉にすごくイライラする。
相手を大変な目に合わせていると本当に実感し、申し訳ないと思うなら、
それが軽減するように自発的に動くか提案すればよいのに、
座したままでそんなこと云われても
結局「他人ごと」でいるようにしか感じられない。
そして微妙に上からモノを云われている気もする。
そう、
「あら、大変ね、でも私は手を貸さないわよ」
と云われている気持ちになってしまう。
この辺りでは慣用的に使う言葉なんだろうけれど。
どうもそんな意図が見える気がして仕方がない。
本心。
「えらい目」は私が選んだ道であって、
別にあんたが合わせたわけやあらへんねん。
でもな?
副次的な「えらい目」はあんたらでなんとかせえや!
(あんたらおらんかったら、もっとラクなんじゃ)
なんもせんと、口先ばっかで心配する素振りすんな!
自分の食べる分のコメひとつ研がない人が云っても、
何も心が伝わらない。
そういうことですわ。
さ。
明日の弁当の用意しなくっちゃ。
この言葉にすごくイライラする。
相手を大変な目に合わせていると本当に実感し、申し訳ないと思うなら、
それが軽減するように自発的に動くか提案すればよいのに、
座したままでそんなこと云われても
結局「他人ごと」でいるようにしか感じられない。
そして微妙に上からモノを云われている気もする。
そう、
「あら、大変ね、でも私は手を貸さないわよ」
と云われている気持ちになってしまう。
この辺りでは慣用的に使う言葉なんだろうけれど。
どうもそんな意図が見える気がして仕方がない。
本心。
「えらい目」は私が選んだ道であって、
別にあんたが合わせたわけやあらへんねん。
でもな?
副次的な「えらい目」はあんたらでなんとかせえや!
(あんたらおらんかったら、もっとラクなんじゃ)
なんもせんと、口先ばっかで心配する素振りすんな!
自分の食べる分のコメひとつ研がない人が云っても、
何も心が伝わらない。
そういうことですわ。
さ。
明日の弁当の用意しなくっちゃ。
佐世保で小6の女児がいじめによって死亡した事件の
被害者少女の兄という方が、
精神的ケアを受けることができずに苦痛だったという記事を見た。
うちはダンナが福知山線の事故にあって、
そしてそのダンナが去年亡くなった。
ダンナの死因は病死だけれど、
その病気を発症する経緯の元は
あの事故のPTSDがある、と私たち遺族(とあえていう)は思っているけれど、
JRは今年の4月の慰霊祭への案内さえも我が家には送ってこなかった。
当事者が死亡すればもううちは関係ないんだね。
もう示談済みならそれは理解できる。
でも、うちはこれから示談、というトコロにいるというのに。
一緒に生活をしている人間が影響受けないわけがないんだよ。
被害者の家族だって、被害者。
あの事故がなければ、
ダンナは会社を辞めることもなく、
その後の苦労をすることもなく、
だから、あんな風に呆気なく逝ってしまうこともなかった、
これはあまりにもいいがかりすぎだろうけれど、
でも心情としてはそういいたくなる。
被害者少女の兄という方が、
精神的ケアを受けることができずに苦痛だったという記事を見た。
うちはダンナが福知山線の事故にあって、
そしてそのダンナが去年亡くなった。
ダンナの死因は病死だけれど、
その病気を発症する経緯の元は
あの事故のPTSDがある、と私たち遺族(とあえていう)は思っているけれど、
JRは今年の4月の慰霊祭への案内さえも我が家には送ってこなかった。
当事者が死亡すればもううちは関係ないんだね。
もう示談済みならそれは理解できる。
でも、うちはこれから示談、というトコロにいるというのに。
一緒に生活をしている人間が影響受けないわけがないんだよ。
被害者の家族だって、被害者。
あの事故がなければ、
ダンナは会社を辞めることもなく、
その後の苦労をすることもなく、
だから、あんな風に呆気なく逝ってしまうこともなかった、
これはあまりにもいいがかりすぎだろうけれど、
でも心情としてはそういいたくなる。