ここの人も、
別所の人も、
ネット関係で出会った人たちはみんな
リアルでも様々、積極的に「生きて」いる人ばかりで。

漫然と暮らしている私は、
それだけで、
くずで、生きている資格がないんじゃないか、
そんなマイナス思考に陥りつつある。

ヤバい、ちょっとウツ入り気味だ。


そうなった理由は幾つもあって、それは理解できている。

その内の一つは長男の入院で、
彼の手術内容は私が決めなくてはならない。

2つするか、1つで済ますかなのだけれど、
最初、1つしかしないことに心をキメていたのに。
医者に勧められ、他所で話を聞き、揺れている。

痛い思いをするのは私ではなく、長男。
失敗もしくは良好な結果がでなければ、一生それを引きずるのも長男。
けれどうまくいけば、彼の生活と私の介護は少し楽になる。
一生、または、かなりの長い期間。

・・・どっちを選ぶ?

自分に痛みが来るのなら、将来を選ぶ。
けれど、それは保障されているわけではなく、
術の痛みも、失敗の痛みも、負うのは私じゃない・・・。

2つ目の手術はしなくったって生活することはできる。
だから一つしかしない、って決めてた、だけど。
考えれば考えるほどわからなくなる。

だって実際前の股関節の手術は結局思うようには落ち着かず、
今の問題を引き起こしている。
骨があまり強くない子だというのも不安材料。

「うまくいった」イメージもあるけれど、
「うまくいかなかった」イメージも同じくらいにある。

だから決められない。


もともと『決定』することが苦手だ。
来るものは拒まず、去るものは追わず、
風に揺れる柳のごとくしなやかにあるべし、

・・・といえば聞こえがイイけれど、
結局、「生きる」ことを積極的にすることから逃げているばかり。

そういう生き方がダメだとは思っていないし
それで上手く生き抜けたらいいのに、って思ってる。

でも、現実それじゃいけないみたい。

頑張れるかな?
じゃなくて、
頑張らなくちゃダメなんだけれど。


心にも筋肉痛みたいなのがあるのかな、
なんだかここのところずっと力を入れすぎていて
その力の緩めかたがわからなくなっていて、
だからジクジクと痛む。


つらいなー、しんどいなー。

こうつぶやいたところで、解決は何もしないんだけどね。



学校を卒業し、就職してからこっち。
就職先の同期以外で「友人」なんてのがなかなか作れなかった私。

結婚して、過疎な地域にいても、しばらくは正社員で忙しく働いていたことや、
長男が障害児になり、地元の幼稚園に入園しなかったこともあり、
いわゆる「ママ友連合」には入り込めないままに今に至っていて。

ランチする相手は大概、学生時代の友人がお決まり。
時折、ネットをきっかけに知り合った方々。
(あ、この方々は卒業後にできたお友だち、といえるのですね、きっと)

職場を変えたり(今は一人職場だから友人の作りようがない)
新しく趣味の団体に入ったりすれば、出会いはあるのでしょうが、
わかっていながらもなかなか一歩が踏み出せずで、
なんかもう、新しく友だち作るなんてないんだろうなぁ、って思ってた。


なんですが・・・
昨日、一昨日と、近々に知り合った方と1対1ランチしたんですっ♪

お一方、Iさんは、長男学校の後輩お嬢ちゃんのママ。
スクールバスを待つ間、いつもお迎えの車の中で文庫本を読んでいらして、
読書傾向が似ていたらお話できるかも、なんて思っていた。

去年の今頃に一度、お喋りしようか、って時間を持った。
その時はお互い探りあいしてた、だから話の中心は子どものこと、
学校やら卒業後にどうするか、なんて話が多かった。

でも・・・Iさんは実は5年前にご主人を亡くしていて。
その関係もあり、今回、恐らく私の心情に一番よりそって下さったのが、彼女。

外食が苦手という彼女が誘ってくれた、ご自宅ランチ。
地元産のいちごと、美味なパティスリーのケーキ片手にお呼ばれに行き、
そこで喋ること喋ること。
確かに・・・外じゃ話せないわな、みたいなことまで暴露しあって(笑)

いやー、ホント、高校生や女子大生のノリ、だったかもしれない。


もうお一方は、真ん中が今学校で一番仲良ししている男子のママ。
去年の学級懇談会で、Tさんですよね?ってお声がけして、お知り合いになった。

ダンナの事件がなければ、その週に逢ってランチする予定だったのがのびのびになっていて、
昨日リベンジを果たしたのですが・・・

いや、もう、学校のこと、成績のこと、
とにかく何の情報も持たない私に1から10まであれこれと教えて下さって。
あの学校に知り合いはいないから、もう、面白くて仕方がなかった。

恐らく彼女にとっての情報源としての私はダメの烙印もらったでしょうが、
話し相手としては・・・及第点もらえたかなぁ。

愛読書の話とか、子どもの目線の話とか、あっという間に5時間過ぎてしまった。


どちらも、また、があるといいな。

環境や背景がなくても、ずっと続く関係が今更できるとは思っていなかったから。
でも、人生まだまだ諦めなくてもいいんだな、って
ちょっぴり思った次第。

一般的には。

2014年5月10日 日常
昨日、某団体の総会に出席し、某団体への義務、完全終了。やった。

で、その後懇親会があって、ちらと参加。

隣の席になった方が
「今日お子さんはパパがみてるの?」

そう、こういうのは「父母しか参加しない」が原則のこの団体では当たり前に尋ねられる問い。

別にこだわりないし、もうかなり乗り越えているから何の気なしに、
「ううん。うちパパおらへんねん」
って返したら

「え?バツなん?」

って聞かれた。

あぁ、そっかー、普通はそう思うんだね。
多いもんね、この頃。

「へへへ、ちゃんと結婚したし、バツでもないけど独り身やねん」

っていったら「??」って顔してた。

やっぱ、レアなケースだよね、今の私。


「バツなん?」って気軽に聞いてくれるタイプの方ならこうやって誤解を解けるけれど、
そうじゃなければ
「あの人バツらしいで?」
って思われ続けるのかぁ・・・

それはヤだなぁ。

こんなに「ヨメ」の役目をちゃんとやってるのにさぁ、浮かばれないって(苦笑)

これからはそういう時の誤解が起こらないような返し方も考えておいて、自分の中で常駐文書化しとかないとダメね(笑)

どう云えば伝わるかしら。


携帯電話

2014年5月8日 日常
ダンナのスマホはまだ生きている。

でも、通話はちゃんとできますが、名義変更をしちゃったらメールが届かなくなった(苦笑)

多分迷惑メールとお商売のメールばっかりだからこなくても構わないハズなのですが
ならばなぜ安くもない維持費を払ってそのままにしておくのか意味不明な状態、ですよね(^^;


解約しようかな。


そう思う。

友人に云うと、
ダンナの機械(=iPhone5)を自分の番号に変えちゃえば?って

まぁ、私の使っているのはガラケーで、もうはや時代はスマホだし、
使いこなせるほうがいいのでしょう。
だってお高い機械代はまだ支払中だったりするのだから
ちゃんと利用しないと勿体無いとも思うし。


けれど。

そうなると、機械の中身は初期化になるよね。

まだ使って間もなかったから写真だとか動画だとか
そういった情報はほとんど持っていなくてそれには躊躇ないのですが。

電話帳。

これ、どうしようかな・・・。

もちろんダンナの交友関係であって、だから私が利用することはほぼないのですが、
でも。
なぜだか消すことに躊躇がある。


こんな小さなことでさえ決断できない私。
これからやっていけんのかよ、おい。



あの日。

2014年4月25日 日常
この1ヶ月、阿呆ほど忙しかった。

とりあえず家庭訪問という名の公開処刑行事が終了してホッとして、
某学校集団活動の役員の活動も、明日の総会(と今日の準備)で収束しそうだし。

やっと、自分の配分で時間を使えそうだぁ・・・

ダンナの後始末も少しずつ動き始め、

そして・・・

今日は、例の事故のあった日で、
あの日と同じようにとても素晴らしい好天に恵まれていて。


ダンナが亡くなったらさ?
「慰霊祭」の連絡もこないんだよ?
なんだかな、って感じがする。

正直いうと、ダンナのPTSD→ストレス所以の重病発症
この起源はこの事故にあるんだから、

ダンナの家族である私は、慰霊祭に出席する権利はあると思うんだけどね。

死人に口なし。
もういないんだからアンタとこは関係ないでしょ。
そう云われている気がするなぁ。
そうやって責任逃れするのかな、って感じ。


この賠償交渉が、これから先の一番気の重たい作業。
なんでせめてこれ片付けてから逝ってくれんかったかねぇ・・・。



母子家庭で、親と一緒に暮らしていた友だち(要するに「母」と「母の母」と「娘」、女3代3人で暮らしてた。私はその『母』と『娘』が共に友だち状態)と逢ったら、2人ともがすんごい私のために憤ってくれた。

つまり、
「障害児介護している嫁なんだったら、『手伝ってあげて普通』じゃないの?
 『手伝わせるのを普通』だと思っているのなんて言語道断、信じられない」
って。

確かに彼女のところは亡くなるまでおばあちゃんがほとんどの家事をしていたものね。
そうやって、苦労を平準化して「家族」として成り立ってた。

それを考えると。
なんか、苦労ばかりかけられてるのかな、私。

晩御飯の支度も、お風呂の掃除も、
夕方以降にやるべき家事を全部やってもらっているクセに、
なんでお風呂に入る時間が11時になるわけ?
しかも、動きが遅くてノロノロだから、出てくるのが12時前って。

こっちは、台所の始末をして、長男を寝かしつけて、
やっと手が空くのが10時過ぎ。

さっさとフロ入って眠りたいのに、入れない。
いつもいつも、日付が変わってからの入浴になる。

でもって、朝は5時台に起きる。
起きてからドタバタあれこれ準備して、往復20キロの朝の送迎をしている。

けど待てなくて寝落ちしちゃったら、お風呂のためにもっと早起きする。
4時には起きないと!

そんな生活をもう、何年来続けてるんでしょう、私。
その日のうちにお風呂に入れた日なんて、この1年の間に、多分指の数で数えられるくらいしかないはず。
そんな状態・・・辛くないわけがないでしょ?

はっきり云うけどさ。
・・・身が持たんわっ(怒)

せめて10時に入浴してくれたら、私もその日のうちにお布団に入れる、
でも何度遠回しに云っても全然聞いてないわけで。
・・・そりゃアナタはいいわよねぇ、朝だって起きるの遅いもの。
お風呂の時間が遅くったって全然ヘーキよね。

なんというか、ホント、思いやりという言葉が辞書にない人なんだろうなぁ。
相手の立場に立って想像することが一切できない人間っているんだね。

しかも、吐く言葉がいちいち
「なんでその語句を選ぶかな?」
「なんでそんな言い方するかな?」
ってひっっかっちゃうし(←これはでも私が被害妄想なのかもね)

もう、この家出ちゃおうかな、やっぱり。
そりゃ外に出て家賃払うのバカらしいけど、
ここにいて、受けられるはずの無料の介護福祉を何も受けられないで
長男の介護の重みをすべて自分で被って過ごさなくてはならない上に、
お風呂も入れず、
もしかすればなさぬ仲の介護まで押し付けられるだなんて。

で?見返りはなにかある?
請求が共同で来る、電気代とガス代を払ってもらってるくらい?

・・・でも他にこちらが代理で支払っている代金もいくつもあるわけで。
例えばケータイ代だとか、ケーブルテレビ代、自治会費だってそうだよ?
固定資産税だってこっちにかかってきてる。
とすれば、支払額はトンじゃないの?

そりゃ、家周りの草刈りだとか、自治体の付き合いだとか、義父がやってくれているけれど、
でも都会に住んでいたら草刈りとかは共益費支払えばわざわざ自力でなんとかしなくても快適に過ごせるというもののはず。

うーん、やっぱり割にあってないよ。

人生「割」だけで割り切れるもんじゃないとは分かっているけれど、
私の人生なのに、これからは私のために生きたっていいじゃない?
そりゃ、ダンナと「共に歩く」人生を選んだのだから今まではこれもガマンしよう、って思えたけれど、
「共に歩く」人がいなくなっちゃったんだもん、もう柵はないよ、ねぇ?

自由にお風呂も入れない生活なんてイヤだって云うの、それ、今の日本じゃ普通じゃない?


よく考えれば、
学校通学の送迎が遠い=時間と労力をとても取られる のだって、
結局は親世代が「年金」をもらうために、「跡継ぎがいることにしないといけない」からこの土地に縛られているからであって、
もっと利便性の高い場所にいれば、もっと近い場所まで送迎してくれるハズ。

今、私が通学援助に使ってる時間、1日あたり1時間半。
利便性が高い場所なら朝夕2回あっても30分くらいじゃないの?
その差は大きいよ。

「あなた方の年金?・・・そんなこと、知ったこったか」
って言ったっていいよね?

犠牲者が私じゃなくちゃいけない、って理由は全くないハズ。
別な誰かにその役目やって頂けばいい。
ソイツが嫌だといったところで、そんなのそれはそっちの2者間の問題であって、それに私を巻き込むのはお門違いだということ。


思えば、義弟夫婦にしたって、義両親にしたって、
「私がここにいること」
に対して、何らかの感謝を表したことなんてありゃしないんだよね。
態度でも、経済面でも。
少なくとも、私に「ならばもうちょっと頑張ろう」と思わせるような態度を取ったことなんてないじゃない。

いなくなったら絶対困るだろうに、

・・・いや、困らないのかもね?うん、そうなんでしょ?
困るだろうな、だから出れないな、なんて考えた私のほうが不遜なんだよ、きっと。

だったらなおのこと、もう私ここにいなくてもいいよね?



出て行かないという選択もあるけれど、
もしも、自分で決めるときが来るならば、ぱぱっと出て行けるように
除々に準備すればいいわ。

急ぐ必要もない。でもそれが明日でも構わない。
すべての決定権は私にある。


桜、終焉

2014年4月16日 日常
桜が散ってしまいました。

我が家の近くで桜が沢山あるのは学校前なのですが、桜のすぐ下に川が流れているんです。

花びら ひらひら 川流れ・・・

・・・情景思い浮かべると美しいのですが。
そして「花筏」はイメージでは清らな流れにピンクの帯で、それもまた美麗なのですが。

実際は花びらは茶色になっているし、
川の中に集まって帯、ではなく、あちらこちらにひっつきまわっているしで、

思ったほど美しくないということに気づきました。

・・・想像だけに留めおくほうがよいこともありますねぇ(苦笑)
3月、4月と式典のなんと多いことか。
今年はアチラコチラから要請を受けまして「お手伝い」として参加を致しました。
要するに受付、って役ですね。
とりあえず手持ちのグレー系のスーツに袖を通して行ってきました。

そして。
・・・来年、卒業式x2+入学式があるからね、こそっとチェックです。

ふむふむ。
最近の「卒業式」はブラックフォーマルを着るのね。
合わせるアクセは、真珠だったりコサージュだったり。
たまにブラウスだけ白、なんて方もおられる。
でも基本はブラックフォーマル。

で、「入学式」は一転して、白系のスーツ!多し!
あぁ、もう春ですもんね、という格好です。
そしてスプリングコートを羽織る。
笑えるほど画一的でした。

こんな風に保護者の方々はそうやってまるっきり保守的。

むしろイレギュラーだったのは。
先生方やご来賓という学校側の参式者たちです。

卒業式:袴姿の先生がおられました。
これは私的には好きなスタイルで、好感度ありました。
保護者はダメだよねー、袴は・・・。和服、はありでしょうけれど。

そして卒業式も入学式も、ご来賓のお姉さま方はバラエティ豊か。
銀色メッシュなパーティ風のワンピだとかスーツだとか着用の方もおられて。
・・・いやー、こういう服を持っておられるんですね、この年代の方は!
お金かかってるよね、って感じがしました。
スーツにしても総レースのだとか、きっと値が張ってるゾこれってモンが多くてね。
タイマン張るかのごとく、校長先生(女性です)も
高そうなスーツ着てはったなぁ・・・。
そしてココゾ!とばかり大ぶりの宝石のついた指輪してたりしてね(笑)

こういうトコロに「生活の余裕」ってのが出るんですねぇ。

ってコトは。
余裕なぞまるっきりない子育て真っ最中の私は、
冠婚葬祭用ブラックフォーマル+春秋に使えそうな白系スーツがあれば
とりあえず服を新調しなくてもしばらくやっていける、ってことだな(笑)

確認してちょっぴりホッとして。
これはこの近辺だけの傾向なんでしょうか?

去年真ん中の入学式では、あぁやっぱ違うなー、なんて思ったけれど
それは私学と公立の違いもあるんでしょうねぇ。
こういうのにも、地域性っていうのはあるのかな。

昨日、長男の手術を決めてきました。

数年前から勧められていたのです。
でもなかなか行動に移せず・・・。

だってそのままでも生きていけるのに。

ただ、「もしかすると」これをすれば
体を支えるのが今より上手になるかもしれない
介護介助がラクになるのかもしれない

それだけの理由で、

人工的骨折に当たるような大きな・・・全身麻酔必須の手術を受けて
痛い思いをさせ、
入院で寂しい思いをさせ、
そんなことを、親だというだけで当人は納得も同意もしていないのに、
決めてもいいんだろうか、って。


当人は痛いのはイヤだよ。
家じゃないところに入院させられて、何ヶ月も過ごすのなんて、イヤだよ。

きっとそう。
そうだけれど。

立位の介助をするのに今の状態だと大変なのも事実。
一人で抱え上げて介助するとき、片方の足だけが残って危ない思いをしたことも事実。

これから先、介護を受けなければ生きていけないのであれば。
介護を受けやすいように整えてあげるのもまた、
親の義務かもしれず
そしてこの手術、「学齢期」の今受けておくほうがよいのも現実で。


ごめん、ごめんね、と何度も云うと
長男は不思議そうな顔をしてじっと見ている。


これから先、何度も訪れるだろうこういう判断を
一人でしなくてはならないことが、重い。


今日は何の日?
今日はダンナの誕生日です。
当人が不在であろうと何であろうと、ケーキは登場するのです(*^_^*)

白秋曰くの「恐や赤しやまだ七つ」とは少し違いますが・・・

でもきっとこれから何年もこうやってこの日を祝うんじゃないかな、私。
(大手を振ってケーキを食べられる口実、ともいいます(苦笑))

 自分だけが若いまんまだなんて許さへんで?>ダンナ(^_^;



ダンナの引き出しから、クレジットカードが出てきた。

この会社からの請求書は長らく見ていないから、
多分、ここ関係に就職した誰かに頼まれて入会してそのまんま、
(年会費だけは支払い続けて)継続している、という状態なんだと思う。

・・・年会費取られるのもばからしいよね?

ということで、解約手続きのためにカスタマーに電話。


最近のカスタマーセンターというところは手間を省くために
音声操作のみでかなりのことができるようになっている。

で。
この会社。

なんと、カードの解約、を音声だけ、でできてしまう。

入力を求められるのは、カード番号だけ。


・・・いいの?そんなんで。

正直ちょっとビックリした。

意図してではなくても、手が滑って番号間違っている可能性だってあるよね?
この番号の人はなんて名前ですか、とか
暗証番号は?っていう
そういう手続もなし。

カード番号だけで、

「解約の処理を受け付けました」

・・・大丈夫か?

せめて、もう一度確認のために、カード番号の入力を求めるとか、
音声でカード番号を復唱して、あっているか確認してください、くらいのクッション必要ない?
そんなチェックは何もなく、ただ1度だけカード番号入れただけなんですけど!


もし1番違いの人がいて、
解約手続き時に間違えて番号入れちゃって、
全然気づかなくて、なんてこと、絶対にあり得る。

そしたら現役で使っている人・・・しかも
ETCなんぞで使っているかもしれない人のカードが、
その人が意図しないまま解約されて、即座使えない状態になるってことなのよ?

自分は有効なカードを入れて運転しているつもりなのに、
赤の他人が間違ってカード解約してしまって、
ゲートのバーが上がらない、なんてことだってあり得る話なわけで。


・・・怖い。

絶対この会社のETCカードは使わないでおこう、そうしよう!


増税前の買いだめって、やっておられます?>主婦なみなさま

私は・・・在庫管理が出来ないヤツなので、諦めました(苦笑)
食品関係、買いだめしても結局賞味期限を切らしてしまったりして
上手に使えない可能性が大なんだもん。

ただ、毎日必ず使うもので、賞味期限が長いものだけは、と思って
ハチミツとインスタントコーヒー、ココアだけは買っておこうと考えていたのに。

大きなサイズのハチミツは既に売り切れて店頭にありませんでした。
あーーー。


そして後は家電関係で、もう買い替えたほうがよさそうなもの・・・。
イロイロあるんですよねぇ。
冷蔵庫もかなり古いし。
液晶テレビは端のほうの画面にキズがあるし。
PCの愛機はVistaだし。

でもどれもみんな使える。
となると、ビンボー症な私は買い替えってなかなか思い切れなくて。


ま、いっか。
仕方がないから必要になったら支払ってあげましょう>値上げ分3%
でもさ、その支払った税金、何に使うのかもちゃんと見るよ、ということで!


それでも周囲があれこれと新しく買ったり買い替えしている話を聞くと
ウズウズしちゃうんですよねぇ、買いたい病になっちゃう。
なので。
以前から欲しかった、増設ディスクとUSBキーボードなど
細々したPC周辺機器を買っちゃった(^^;

・・・結局ソンしてるんでしょうか?
まぁ、楽しいのです、♪遊びは!
「絶対必要なもの」ではないけれど、「ちゃんと使うもの」だったら
買っちゃったって・・・・いいよね?←誰かに肯定してほしい(笑)
早めにガソリンを満タンにしておこう・・・
この土日、スタンドは長蛇の列になりそうだもの。

無くなったら入れる。
そういう生活をしているのに、予定外でスタンドがいっぱいだと本当にこまる。

毎日クルマがないと生活できない人には迷惑この上ないのよねぇ。

某、障害者であることをウリに音楽を売りだそうとした御仁と、
日本人ウケのよい割烹着をユニフォームにして話題づくりをした研究者とを
比較しての報道記事がたくさんでているみたいですが。

なんだかどうなの??

エセ音楽プロデューサーに関しては、確信犯だろうから罰せられて当然。
ってか、「障害者」であるから所以の驚愕・憐憫・同情を利用して売りあげをあげたってのが気に食わんのよ。
そして内部告発がなければ、これ、発覚しなかったよね、きっと。

研究者の彼女のほうは。
A+BはCである、∴C-BはAである みたいな道筋がハッキリ万人が(ではなくとも専門の研究者ならば)理解できるのが「研究成果の発表」であるべきならば、今後検証されるのは当たり前、それを知らない「研究者」はいないんじゃ?

・・・そんなコトが分からないほどオバカさんなの?
ずっと研究畑に籍をおいていてそれはないんじゃ、って感じたんだけれど・・・。

彼女が学生のときに不思議チャンだったとか、虚言癖があったとかの記事。
出ると思ったわー、まぁ人となりを知るにはアリな記事なのかもしれないけれど、それ必要なんだろうか?
無理やり「仲の良かった友人」をこじつけて作って云わせてるみたいな気がして仕方がないわ。

佐村某は「バレたらヤバいけど、ダマしてりゃ儲かる」って分かりながらやっていただろうけれど、コボカタさんはどうなの?
世間さんをダマして得するの?彼女は。

そりゃ、発表の内容は衝撃的だったし、名前は売れる、研究費も格段に増額されるんだろうけれど。
でもだからといって、本当に内容がウソだと、STAPは存在しない、できていないと自覚していたって、今後も第一人者としてその研究をし続けなくちゃならないのに?

「ある」と思ってるから、増額を望むんだよねぇ。。。?

研究発表した内容が全世界的に検証されて、グズグズだったら評価が地に落ちることくらい、判るハズ?
結局は信頼も、研究の機会も狭められてしまうんじゃないの?

じゃ、得、しないよね?

 自分の音楽でないと判っていながら「自分の音楽」として売り上げたサムラ某と
 自分の研究はありだ!と盲信?しつつ突っ走って発表しちゃったコボカタさんと

基本の部分がちと違うんじゃないか、
・・・と、完全文系な私は考えてしまうのでした。

もし、ウソではなくSTAP細胞の存在が「ある」のだとしたら。
それがこのウヤムヤな状況のままで埋もれてしまうのは大損害だから、
慎重に調べて頂きたい。

ウソだと判って発表したのだとすれば、それは、山中教授を初めとした、真摯な日本人研究者の実績を覆すほどの阿呆で愚劣で軽率な行いで罪は重いですよね。

どっちなんだろ?

そして、研究者の彼女は・・・組織の一員なんですよねぇ?

理系の分野はよく分からないけれど、
この研究に関しては「彼女個人の利益になる」ものなのですか?
それとも所属している「理研」サンに利益をもたらすものなのですか?

もし後者のほうが比率高いんだったら。
コボカタさんだけがこうやって「個人」あての責めを受け続けるのは
それもなんだか気の毒なのかな、とも思う。
「リーダー」っていうからには他のメンバーもいたんでしょ?
その人達の立場はどーなのよ?
リーダーだけが研究を進めて、他の人は助手的な補助作業しかしない、そんな感じなの?




けれど、ヤな気持ちを持つことはあるんだなぁ、と。


すごく面白いと思ったのは、
地元の人たちは「私がここに住み続けること」が普通だと思っているらしいこと。

長男学校友だちママはほぼ全員が「実家に戻るんでしょ?」
それが当たり前のように言う。 

・・・私自身としても、どちらかというとママ友の意見のほうが常識だと感じている。

まぁこの家、義父の父親が早逝していて、
その後もずっと義祖母はここで暮らしてきている。
だから、義父母・叔父は、「それで当たり前」という意識がある、のかもしれない。

けれど事情が違うのは、義祖母の場合、
跡継ぎ=義父がもう成人年齢だったということだよね。
おまけに、義母より上の世代はもう鬼籍に入って誰もいなかったのだし。

要するに「担い手の親」の立場で居残ったということ。
実子にすべての権限が委譲されていて、その親としてその場にいた。
私はそうじゃない。
子ども達はこの土地に縛られてはいないし、
だからどんな選択をしたってかまわない状況にある。


いずれにしても、私は
「自分自身の人生」を生きることをあきらめたりはしない。

この「家や田畑」のことを優先して考えていたダンナとは違って、
いの一番に考えるべきは子どもと自分のこと。
そこをはき違えたりはしない。

子どもがこの土地で生計を立てたいと望むならそれはそれ。
この土地から羽ばたくのであれば、それもまたよし。
だから、誰が何と言おうと出て行きたくなったらここを旅立つと思う。


そうなった場合、義父母が困ることになるのは容易に想像できるけれど、
それをフォローするのは私の役目?

もう一人の実子がしたってよいこと(というより本来ならそっちがするべきこと)であって、
もし実子がそれを拒否したからといって私が足止めされる理由になるわけではない。

むしろ、「実子が拒否するくらい大変」なことなのだとしたら、
それを社会的には断然弱者である私たちに押し付けて
平然としていられる周囲のほうが絶対にどこかがおかしいハズ。

「出ていきます。後のことは残った人たちで話し合ってね」

彼らのことがキライなわけではないし、困らせるのは本意じゃないけれど、
困っているからといって、自分の人生を曲げ、苦しむのが私である必要はない。

 ・・・余力のある人にやってもらいましょ?ねぇ?それでいいよね?


まずは・・・来年の3月がメド。
末っ子と長男が卒業して、はて、どんな生活になるんだろう。
すべては機を見つつ、自分らしくあればいい。 

今日は祥月命日。
もう3ヶ月経っちゃったんだ・・・。
早いような、長いような。

けれど、この3ヶ月、表面上は本当に殆ど変わっていない。
経済的不安はモチロンあるんだけれど、
とにかく子どもを動揺させたくなかったから、まだほぼ生活を変えていないし・・・。

そういう意味で、朝から晩まで家にいないオトーサンというのは
やっぱりちょっと可哀想な存在なのかもしれない、と思ったりする。



My Funny Valentine

2014年2月14日 日常
今年はなんと、ホワイト・バレンタインデー♪

・・・ってあんまり言わないですよねぇ。
バレンタインデーはやっぱり「情熱の赤」のイメージがあります。


それにしても、よく降るわー。
「日本列島冬景色」ですね、うん。

我が家近辺は寒いとはいえ、豪雪地帯とは程遠く、
だから車もノーマルタイヤのままでいる方も多数おられて・・・。
雪道の何が怖いって、無防備な車に突っ込まれることが一番。
あとは、路傍の木や竹が雪の重みに耐えかねて垂れ下がり、道に被さってくること。

どちらも雪国だと逆にあり得ないことですよね。
滅多にないから備えが充分じゃないんだというか。

こんな日は外出しないに限る、のですが、今日は平日、
学校往復だけは・・・させないわけにもいかず。
ちゃんと無事に家に戻ってこいよー、と送り出した朝でした。

そしてさー。
ふふふ、うちの男児はなにか持って帰ってくるかなー、的な楽しみもあるぞ。
(そして来月14日にウンウンと唸る羽目になるのは当人ではなく母だったり)


日本だとValentineの曲は例の「バレンダインデーキィッス」って音程ブレブレの曲で
うーん、なんか幼すぎるわ、コレ、って感じで、
だからValentineソングといえばやっぱりこっちがいい。

「My Funny Valentine」

ホントにもう、あんたってばさ、ぜーんぜんイケてなくて笑えちゃうわね。
私にとっては芸術作品かってくらいよ?
キリっとした顔してないし、喋ってもシャキシャキしてないし、さ?

でも・・・。

私のために髪の毛一本変えたりしないでよね?
絶対よ?私が好きならね?
そのままで私と一緒にいてよ、そうすれば私、毎日がバレンタインデーなんだから。


って無茶苦茶な意訳ですが
(きゃー、すみません、私の脳内で言語変換しちゃってます)

なんか、すっごく・・・キュートな女の子の絵が浮かんできません?
実はこの曲ってオトコのほうがオンナのことを歌っているのかなと勝手に思っていたのですが、今日初めてしっかりと歌詞みてちょっとビックリ。

でもよく考えれば女性ボーカルのほうがこの曲をよく歌ってますよね。


実はほぼ徹夜しちゃって、妙にハイテンションです。
もちろんフィギュア男子SPを見ていたせいです。
いやー、羽生クン、すごすぎ!
大輔も、町田クンもまだまだ3位なんて余裕で目指せる!

三人ともフリーで悔いのない演技ができますように。

それにしても今回、十代の活躍が素晴らしいですね!
ただ、受け答えは「予習してきました、こんなのなら怒られないですよね?」みたいで天真爛漫さがない気がする(苦笑)

メダリストになったボードの選手くんたちとか羽生クンとか、淀みなく返していたから
もともとそういう素養はあるコたちなんだろうな、しっかりしているんだろうな、って思ったけれど、
いつからあんな風に「かしこまった」態度を求められるようになったのでしょうか?

ボードHPの女性選手の方がすごく素直な言葉でインタビューを返していて
あぁ、これが普通だな、と。

前回の国◯クンのような「だらしのないふてぶてしさ」はウケないし、
会話の相手に対して失礼だと思うのですが、

水泳の「金がいいですぅ~」と云った銀メダリスト女子とか、
「やった、やったぁ!」って呻くように云ってたジャンプの原田サンとか、
ああいう、歓喜や感情の爆発って見ないなぁ・・・
今の若者はそうだということ?

 そうかと思えば、解説の荻原さんが爆泣してたし?

そういう風潮なのか、
30代以降という年齢が、そうさせるのだかは不明。

でも自分が演じているわけでも、メダルを取るわけでもないのに、
熱くなってTVの前から動けない私自身はやっぱり、
荻原さんよりの人間なんだろうな。

あぁ、オリンピックって罪だわー。
私の睡眠時間はどこに行ったんだろ?

・・・まぁ、いろんなことでタイトルのことを感じているのですが、
今回は「農業」のことについて。

今回ダンナのあれこれを引き継がざるを得なくなり、
まぁ、普通の資産の相続はほぼ終了したわけなのですが、

まぁ、とにかくメンドウなのが、「農業」にかかわるアレコレ。

その辺りのことは「私はやらない」という前提のもと結婚したので、
今まで一貫して関わらない姿勢を貫いてきたわけです。
だからどの出来事も、へへ~ぇ?ほぉ?ぐぇ?的反応ばかりしています。

農地。
「個人の土地」なんだけど、「個人の持ち物」じゃないんだね、農地ってもんは。

これは登記簿的には義父が所有している。
そして、生前分与又は相続が発生するまでは親のものなのだけれど、
会社でいえば「経営権」にあたるものはダンナに委譲された形になっています。

・・・なんでこういうことになるかというと、

要するにカンタンに云えば、親世代が「年金」をもらうため。

会社員と違って「定年」がないため、農地を他の人に譲ることによって「退職とする」取り決めなわけですね。

だから、

「跡継ぎがいないと、親は年金ももらえない」=「長男長女などが無理やり土地に足止めされる」

結局、制度と親を思う人情によって雁字搦めにされちゃってる訳ですね。
あぁ、なんて時代錯誤なんだろう・・・。


そしてその上、

「農地」として登記されている場所について、「農業委員会」という組織が管理監視をしている。
(いや、管理監視、という言葉が適切なのかはわからないけれど、
 ほぼ第三者的立場であった私にはそうにしか見えない)

「委譲」するにあたって「農地」はすべて

「農業できる状態でなくてはならない」

つまり、田畑として利用できるよう、整備されていなくてはならない。

けどさぁ・・・
年齢を重ねて、体力がなくなって、
家から遠く離れた場所だとか、治水がうまく行っていないところとか、
もう、ここで作っても採れないから放っておこうか、という場所なんて実質あるわけね?

しかしながら「委譲」するためには整っていなくてはならない。
だからムリしてでも手を入れて、形を整える。

 ・・・土地を荒らす自由さえもないわけです、農家には。
 自分の土地なのに、だよ?

更に言うなら、最近「土地改良」などというものが行われていて。
つまり「ある地域の個人農家の土地を合わせた場所について、
耕地の整理を行い、機械が入れやすい形に整えることにより、農業を守る」
という考え方のもと、田畑の場所を整備し、移動させする、
その事業自体はいいことだと思うのですが、

個人で持っていた田畑の面積を、新しく整備した田畑に割り振る、
その過程で、どうしても端のような細切れの土地ができてしまい、

・・・そんな土地まで面積の都合で割り当てられていて、
そこは田んぼの法面だったり、あぜ道の脇の細長い土地だったり、
そんなところで水田はおろか、野菜でさえも作れるはずもない、みたいな場所なのに

そこを荒らしているから、農産物がとれる状態じゃないから、委譲できません、なんて判断されたって

・・・ムリでしょ、それ?


今回、名義をダンナから私に変更するにあたって、
農地の状態を再度調査する、ということになったんですよね。

そしてまぁ委員会の人もその辺りの荒れている事情は分かっているから、
そうですよねぇ、あの場所じゃムリですよねぇ、なんて云ってる。
そして、農地の転用を認可するのは農業委員会の権限だと思っていたのに、

これ、なんとか除外に持って行きたいですよね、という前置きのあと委員会の方がいった言葉が。

 「農業会議」に出して判断を仰ぎます。


・・・??

「委員会」の上に更に「会議」っつぅもんがあるわけなんですか?
「委員会」の上は都道府県知事だとばかり思っておりましたよ、私。

委員会に何人のお役人が関わっていて、
会議にどれだけの人が時間を割いているのだか知りませんが、

そんなに色々と仕事しているんでしょうか、この方々。
「農業」ってそんなに稼いでいないのに、そこにそれほどまで税金を投入しちゃっていいんだろうか?
それは「農業の保護・振興」のためになることをしているのかしら?
↑よく仕事内容も知らないのに、偉そうに申し上げてすみません・・・。


食料、というものが、人間の生命の基本であることは間違いなく、
そして租庸調制の昔から、「食物の生産」というものが租税の基礎となっているからか知らないけれど。

工業・商業の事業についてだったら、そこまで厳しく役所に管理されていないんじゃ?
・・・農地の転用については恐ろしく細かく区分が分かれているのは存じていますが、
それだって古来からの状況での判断であって、
耕地整理によって同じ地番が同じ状況でさえもないのに、ねぇ・・・?

こんなにあれこれとややこしいと、
新規で農業参画、なんていうのが大変だというのは想像に難くない。

意欲をもって「やろう!」って思う若者がいたとしても、田舎にツテがあったとしたって、
潜り込むことさえもややこしく、この段階で挫折しちゃいそう。

だって
「僕がここを開拓します!」
と宣言したって、
「現在荒れているから、委譲できないとしかみなせません」
って云われちゃうんだよ?
(まぁ、先に「僕」が整備してから申し込めばいいわけなんだけどさ)

まして、自分で農地を手に入れようなんて思えば、どれだけやっかいな交渉事が立ちはだかることか!

・・・だから衰退しちゃうんじゃないの?

って気がした。


そうやって「農地世襲制」のような形でこれからの「農業」が守れるんだろうか?
少なくとも普通の土地売買のようにはカンタンにいかないのは吉なんだろうか?
「投機目的」を排除するための手段であるとはわかるものの、あまりにも・・・閉鎖的すぎないか?

「農業」に関わってある意味依存しているお役人がそんなにたくさんいるのであれば、
「農業」をやっていきたい!という人に対して、
「投機目的かどうか」をもっと調査する時間をとることだって可能だと思うんだけど。

・・・どうみたって、生産物あげられないような土地のことを
どうのこうのっていう会議する時間があるくらいならさ。


お役所組織がカンタンに変われないのもわかるけれど、
PPTでどのように変わっていくかわからないけれど、

やっと『法人の農業経営』への道が緩やかになったのに、
もっともっと老齢化の進む個人農家の実情に合わせた行政にならないと、
うまく回らないんじゃないかなぁ。


そして。
はてさて、私はこの「経営委譲」された土地を荒らさず次代へ繋ぐことができるんだろうか?
子育てしながら、家事しながら?

・・・ムリでしょ、そんなん。


なのに、
「委譲する人がいなければ年金だせません」
それは生活を脅かし、脅されてる気分。

委譲できなければ、親の生活が。
委譲されれば、私の生活が。


そうならば「農地委譲を求む人」を斡旋する機関でも会社でも作ればいいんだよ。
お役所主体で。
・・・ってダンナはそれをやろうとしていたわけなんですが。

年金を諦めるか、
ムリしてでも、できぬ土地に無理やり作物をつくるか、
どっち?

なんて云われても・・・ねぇ。


ちなみに私は「農業者年金」とは関わりがないので、
土地が荒れようがどうしようが、
年金問題はまったく関係なし。

農業権委譲のみできずのまま先送りになる、というのもアリ。

ご近所、そんな土地もちの方、多いと思います。

最初から「自分で全部しなくちゃならない」という方が、

もしかしたらやってくれないかな、とあてにするとか、

「自分ばかり『やらされてる』」みたいなムカつく気持ちだとか、

そういうものがない分、気持ちの上ではずっとラクだということに気づいた。


一人暮らしを止められない人というのは、
「自由気まま」というだけじゃなく、こういうところも魅力に感じているのかもしれない。


そして、これに気づいたからには、

たまーに「やってもらえた」ときに、相手に素直に感謝できる自分でなくちゃダメだと思った。


灯油、入れてくれてありがとう>真ん中。


佐村河内氏の弦楽曲のCD、買おうか迷っていたところだったんだ(苦笑)
アマゾンの「ほしいものリスト」に入ってるはず。

いや、でも、高橋大輔のSP曲、結構好きなのよ、私。
交響曲「HIROSHIMA」は長さにちょっと滅入ったので欲しいと思わなかったのですが。


JRと対決第一回目。
どうやら相手は、「こちらが死亡したこと」は事故とは無関係、のスタンスらしい。

静かに啖呵切ってきたぜ。あの場での私は女優になるよ。
無関係なわけ、あるか!

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