前言撤回…って訳ではないのですが、四字熟語 笑
緊急事態宣言下ですが、何も変わらない日常。
……って仰る方は相当多いのではないかと思います、私も含め。
もともと不要な外出なんて滅多にしない。
月に一度二度、気の合う友と会ってのおしゃべりや、趣味ごとの集まりや買い物、
その程度。
この一年少しの期間中、友人と会ったのは3回、かしら。
約束もないけど繁華街をぶらぶら、なんて楽しみ方はまったくご無沙汰です。
あーウインドウショッピングしたいなあ。映画も観に行きたかったのに。
でも先送りです。
それがなくても、他に楽しめることがないわけじゃないから、大丈夫。
勤務の都合や学びたい学業があり都会を選ぶ人もいる。
けれど「不要不急」となされるあれこれが魅力で、
それを楽しめる場が沢山あるから都会に集まった人も当然いる。
その人たちにとっては、外飲みやカラオケ、夜の街は
常に必要なものなのですよね、たぶん。
「緊急事態」を分ける内外はその人にある価値観で違う。
その価値観はそんなに簡単には変わらない。
だから何度やったって、もうこれ以上は「自粛」する人としない人の割合は変わらないように思えてならないのです。
結局のところ「かかりたくないなら自衛しましょう」しかないのでしょう。
こう言う場所、こういう状況は危ういです、と情報を提供して。
でも感染症以外の病気は自衛だけではどうしようもないところもあり
そういう病気の治療が今までのように受けられない、というのは
怖いなぁ、と切に思うのです。
先延ばしにできる手術は後回し、というニュースみた時
いっそコロナ対応よりそれ以外を優先、て考え方はできないのかと思ってみたり
(昔の結核の扱いってそんな感じだったのでしょうか??)
もちろんコロナに罹った人が悪いわけじゃない。
でも他の病の人だって助かるべき同じ命よね?
早く治癒したい気持ちでいっぱいよね?
なんというか、ウイルスさんは誰の言うこともきかない、なんてきっと分かっているのに
宣言解除になったから
密だけど外で呑んでいるから
それだったらオッケーだよねとしちゃう心持ちが不思議です。
人の意見に流されがちな自分だけれど。
周りが、政府が、じゃなくて、ちゃんと判断しなくちゃだめですね。
私は、罹りたくない派でいきます。
その派閥はこれからどうやったら増やせるのでしょうね。
緊急事態宣言下ですが、何も変わらない日常。
……って仰る方は相当多いのではないかと思います、私も含め。
もともと不要な外出なんて滅多にしない。
月に一度二度、気の合う友と会ってのおしゃべりや、趣味ごとの集まりや買い物、
その程度。
この一年少しの期間中、友人と会ったのは3回、かしら。
約束もないけど繁華街をぶらぶら、なんて楽しみ方はまったくご無沙汰です。
あーウインドウショッピングしたいなあ。映画も観に行きたかったのに。
でも先送りです。
それがなくても、他に楽しめることがないわけじゃないから、大丈夫。
勤務の都合や学びたい学業があり都会を選ぶ人もいる。
けれど「不要不急」となされるあれこれが魅力で、
それを楽しめる場が沢山あるから都会に集まった人も当然いる。
その人たちにとっては、外飲みやカラオケ、夜の街は
常に必要なものなのですよね、たぶん。
「緊急事態」を分ける内外はその人にある価値観で違う。
その価値観はそんなに簡単には変わらない。
だから何度やったって、もうこれ以上は「自粛」する人としない人の割合は変わらないように思えてならないのです。
結局のところ「かかりたくないなら自衛しましょう」しかないのでしょう。
こう言う場所、こういう状況は危ういです、と情報を提供して。
でも感染症以外の病気は自衛だけではどうしようもないところもあり
そういう病気の治療が今までのように受けられない、というのは
怖いなぁ、と切に思うのです。
先延ばしにできる手術は後回し、というニュースみた時
いっそコロナ対応よりそれ以外を優先、て考え方はできないのかと思ってみたり
(昔の結核の扱いってそんな感じだったのでしょうか??)
もちろんコロナに罹った人が悪いわけじゃない。
でも他の病の人だって助かるべき同じ命よね?
早く治癒したい気持ちでいっぱいよね?
なんというか、ウイルスさんは誰の言うこともきかない、なんてきっと分かっているのに
宣言解除になったから
密だけど外で呑んでいるから
それだったらオッケーだよねとしちゃう心持ちが不思議です。
人の意見に流されがちな自分だけれど。
周りが、政府が、じゃなくて、ちゃんと判断しなくちゃだめですね。
私は、罹りたくない派でいきます。
その派閥はこれからどうやったら増やせるのでしょうね。
コメント
「ああ、外出たらダメだわ、やっぱり」ってなりました。
本音は「このオッサンを外に出すな」なんだけど(笑)
マナー違反もいいところだわ、本当。ばかなのか、あのオッサンは。
ちょっとズレた感想だけれども…
思ってもらえるというのは、うらやましいことだなあと思いました。
私は多分、周りの人間の誰よりも長生きすると思う。
なおかつ、子孫と称する存在がいない。
きっと、思い出されることはないんだろうなあと自分のその時のことを漠然と。
あの時のニュース画像・映像は、画面のこちら側で見ているだけでも
理解不能な状態だった。無傷とは言え、現場にいた方なら…なんてことは
想像に容易いけど、偉い人にはわからんのかなあ…
「長生きする、と書いているみいちゃんより長生きする年上の私って何」
って笑えてしまいました 苦笑
コメント付けにくい話にコメント下さってありがとう。
たぶん、普通に生きている人って、忘れられることも普通なのじゃない?
私には子どもがいるけど、彼らが子孫を作るとも限らないし
思い出してもらえるほどのよき母だったとも思えず。
ただ、震災被害者も原爆被害者もかの災難に巻き込まれた人として
関連者としてずっと認定されるのに
この562人はそうではないのだな、って感じが虚しいのかも。
大怪我なさった方とお話ししたことがあります。
「自分は大変だったし痛かったし家族にも心配や迷惑かけたけど
気づいた時には病院だったから、あの場の悲惨さの実感はない」
だからPTSDもあまりなかった、って。
この方の好奇心旺盛な明るい性格のせいもあるとはいえ、
回復することに全力注ぐだけだったよ、っていう言葉に
後から前を向くことから始めた人たちは、全く違う苦労しているよね、って
でも心療内科の病状については、評価されないよね、って
なんだかもやもやするのです。
福知山脱線事故は申し訳ないけど、左程身近に感じていません。それよりサリン関係は身近に感じています。今でも当時サリンが撒かれた駅などに行くと、事件を思い出します。夫や友人など、たまたま「その時間」に「その場」に居なかった、普段なら居るのに、と。職場が同じ人で被害に遭った方もいらしたそうです。
大きな災害も距離で随分感じ方が違いますね、あくまでも身内の被害が無いとして。マスコミの報道の仕方にも影響されてますし。アンテナをしっかり張り巡らし、きちんと情報を収集しなければなりませんね。
独りでスーパー買い物はいいのに百貨店は閉めろ、とか
ランチ食べるのはよいのに晩はダメとか(ランチにお酒がNGになったのはよかったことかと思っていますが)
本当に抑えるべきはそこなのかしら?って思えてならないのですよね。
でもGWもほとんど自宅から出ないつもりです。
美味しいものを買ってきて家で食べるくらいの贅沢はしようかと思っています。
私は逆にサリンは他人事・・・当時勤めていた会社の本社の人が危うかったとかいう話にゾッとはしましたが、幸いにして巻き込まれた知り合いもなかったのでTVの中の事件でした。そのころは「どこそこはやっとガスが通ったらしい」「あそこの電車はまだ運休しているって」なんて日常のことの方が話題の中心、まだまだ阪神の震災から数か月で不自由な生活をしていた時期でした。
地域性で温度差があるのは状況が違うのだから当然かな、って思います♪
でも昔と違ってTVやラジオ以外でも情報が入手できるから、偏向なく判断できるようでありたいなぁって思います。