せいしゅはくげん・・・っていう四字熟語はない(ハズ)ですが。
「春夏秋冬」を表す色を並べてみました。
あけましておめでとうございます・・・って遅いですよね(苦笑)。
元気です。
去年はとりあえず「あれこれなんでもやってみる」を実践した1年でした。
資格取得→新しい職場ゲットとか
楽器を始めたり、第九を歌いに行ったり。
第九はとても楽しかったです。
私の入った団は、平均年齢が65歳よりちょっと下くらいのところで、
「初第九なんですー」っていうと、「まぁっ(ハートマーク)」って反応の
お姉さま方がもうあれやこれやと面倒を見て下さって、
なんというか受け入れて頂いている感満載♪
休憩時間は見知らぬ方からでも飴玉をどうぞって渡されるし(関西のおばちゃんは飴ちゃんを必ずバッグに持ってます(笑))
以前息子のPTA活動で合唱をしたときは、周囲の皆さまが上品でいらして、
自分の声しか聞こえない状態だったのですが、
流石、自分からお金を払って何度も第九を歌っていらっしゃるお姉さま方は
年齢を重ねておられてもとても良いお声をしていらして。
存分に腹の底から声を出しても、全然目立たないって!\( ’ω’)/(喜)
ってことで、ちょっと痩せました。
きっと大声出したのと、練習場への通勤?が功を為したのだと思います。
けれど、今年はどうしようかなぁ・・・と考え中です。
実は「人手不足」の影響で、長男グループホームが週6開設となり、
日曜の朝から月曜朝まで自宅で過ごさなくてはならなくなった(涙)
なので、土日で旅行♪なんて予定は組めなくなりました。
まぁそれでも、平日預かって頂けるだけでも、とっても助かってるから!
第九=日曜日に練習がある はムリでしょうが、そのほかの何かを見つけよう。
とりあえず、地元の七福神を祀った神社巡りを企画中です♪
こんな私ですが、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
*--
今日は「あの日」なんだなぁ・・・と。
今朝は何故か目覚まし鳴るより少し前に愛猫に起こされました。
・・・コヤツ、実は何かの生まれ変わりなのかしらん???
東遊園地までは行かなかったけれども、
一人、黙とうを捧げました。
我が家は激震地域ではなかったから。
「被災地」市民であっても、被災者という意識が低いです。
むしろ、近くにいながら何もできなかった自分、
あまり被害を受けなかった自分、
という状況に、引け目を感じることさえあります。
東西の道路は寸断が激しかったのだけれど、
我が家方面の道路は比較的繋がっていたので、
そういえばあの年の1、2月中って毎日誰かがお風呂に入りに来ていました。
親戚はもちろん、会社の同僚だの、親戚の知り合い、お友だち、などなど・・・
全然見ず知らずの人もいたし、
脱衣場のタオル掛けが壊されたなんて事件もあったなぁ(笑)
大したことはできなかったけれど、暖かいものを食べて頂きたくて。
田舎なので外に出れば畑に売るほど大根や白菜があるわけです。
だから毎日のように土鍋2つ分、おでんやら鍋ものを作っておふるまいしたなぁ、なんていろいろと思い出しました。
婦人会の炊きだし活動で山のようにおむすび作った、とか、
ダンナは地域消防で何日も出かけた、とか、
被災マンションに住む友人たちのお引越し手伝いに何度も行った、とか。
マンションの廊下に亀裂が入っていて、
4階なんだけれども、その隙間から地面が見えた。とか、
一階から入室できず、お隣のおうちから飛び移って中からドア蹴破ったとか、
半分落ちかけている文化住宅の2階に潜り込んで貴重品取り出した、
そんな経験なかなかできないですよねぇ、全部やったけど(笑)
親しい知り合いで実家も含めて被災した人は結構いるのです。
でも亡くなった方がいなかったから、割とのんびりした
武勇伝的な思い出が多いのですね、きっと。
あぁ、でも高校の同級生に亡くなった方がいます。
中学はどうだったのだか、同窓会がないからちっともわからないや。
地域からいえば激震地ど真ん中で燃えた地区もあった学区だから、
ひょっとすると知らないだけなのかもしれません。
25年も経つといろいろ変化がありますね・・・。
何より「あの時こうだったよねー」って思い出して分かち合うべき
パートナーが横にいないじゃないか(^_^;
次がないに越したことはないけれど
次のときにダンナの力や知恵があてにできないのは確かな事実。
子どもたちに「伝える」ことで、何らかの経験値を植えてあげないといけないのだなぁって感じています。
しかし・・・ネコさま連れて、避難所は行けないなぁ・・・
シミュレートしとかないとダメですねえ。
「春夏秋冬」を表す色を並べてみました。
あけましておめでとうございます・・・って遅いですよね(苦笑)。
元気です。
去年はとりあえず「あれこれなんでもやってみる」を実践した1年でした。
資格取得→新しい職場ゲットとか
楽器を始めたり、第九を歌いに行ったり。
第九はとても楽しかったです。
私の入った団は、平均年齢が65歳よりちょっと下くらいのところで、
「初第九なんですー」っていうと、「まぁっ(ハートマーク)」って反応の
お姉さま方がもうあれやこれやと面倒を見て下さって、
なんというか受け入れて頂いている感満載♪
休憩時間は見知らぬ方からでも飴玉をどうぞって渡されるし(関西のおばちゃんは飴ちゃんを必ずバッグに持ってます(笑))
以前息子のPTA活動で合唱をしたときは、周囲の皆さまが上品でいらして、
自分の声しか聞こえない状態だったのですが、
流石、自分からお金を払って何度も第九を歌っていらっしゃるお姉さま方は
年齢を重ねておられてもとても良いお声をしていらして。
存分に腹の底から声を出しても、全然目立たないって!\( ’ω’)/(喜)
ってことで、ちょっと痩せました。
きっと大声出したのと、練習場への通勤?が功を為したのだと思います。
けれど、今年はどうしようかなぁ・・・と考え中です。
実は「人手不足」の影響で、長男グループホームが週6開設となり、
日曜の朝から月曜朝まで自宅で過ごさなくてはならなくなった(涙)
なので、土日で旅行♪なんて予定は組めなくなりました。
まぁそれでも、平日預かって頂けるだけでも、とっても助かってるから!
第九=日曜日に練習がある はムリでしょうが、そのほかの何かを見つけよう。
とりあえず、地元の七福神を祀った神社巡りを企画中です♪
こんな私ですが、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
*--
今日は「あの日」なんだなぁ・・・と。
今朝は何故か目覚まし鳴るより少し前に愛猫に起こされました。
・・・コヤツ、実は何かの生まれ変わりなのかしらん???
東遊園地までは行かなかったけれども、
一人、黙とうを捧げました。
我が家は激震地域ではなかったから。
「被災地」市民であっても、被災者という意識が低いです。
むしろ、近くにいながら何もできなかった自分、
あまり被害を受けなかった自分、
という状況に、引け目を感じることさえあります。
東西の道路は寸断が激しかったのだけれど、
我が家方面の道路は比較的繋がっていたので、
そういえばあの年の1、2月中って毎日誰かがお風呂に入りに来ていました。
親戚はもちろん、会社の同僚だの、親戚の知り合い、お友だち、などなど・・・
全然見ず知らずの人もいたし、
脱衣場のタオル掛けが壊されたなんて事件もあったなぁ(笑)
大したことはできなかったけれど、暖かいものを食べて頂きたくて。
田舎なので外に出れば畑に売るほど大根や白菜があるわけです。
だから毎日のように土鍋2つ分、おでんやら鍋ものを作っておふるまいしたなぁ、なんていろいろと思い出しました。
婦人会の炊きだし活動で山のようにおむすび作った、とか、
ダンナは地域消防で何日も出かけた、とか、
被災マンションに住む友人たちのお引越し手伝いに何度も行った、とか。
マンションの廊下に亀裂が入っていて、
4階なんだけれども、その隙間から地面が見えた。とか、
一階から入室できず、お隣のおうちから飛び移って中からドア蹴破ったとか、
半分落ちかけている文化住宅の2階に潜り込んで貴重品取り出した、
そんな経験なかなかできないですよねぇ、全部やったけど(笑)
親しい知り合いで実家も含めて被災した人は結構いるのです。
でも亡くなった方がいなかったから、割とのんびりした
武勇伝的な思い出が多いのですね、きっと。
あぁ、でも高校の同級生に亡くなった方がいます。
中学はどうだったのだか、同窓会がないからちっともわからないや。
地域からいえば激震地ど真ん中で燃えた地区もあった学区だから、
ひょっとすると知らないだけなのかもしれません。
25年も経つといろいろ変化がありますね・・・。
何より「あの時こうだったよねー」って思い出して分かち合うべき
パートナーが横にいないじゃないか(^_^;
次がないに越したことはないけれど
次のときにダンナの力や知恵があてにできないのは確かな事実。
子どもたちに「伝える」ことで、何らかの経験値を植えてあげないといけないのだなぁって感じています。
しかし・・・ネコさま連れて、避難所は行けないなぁ・・・
シミュレートしとかないとダメですねえ。
コメント
それにしても遅い…。(笑)
でも、お元気そうで、充実した暮らしを送られているようで、安心しました。
阪神淡路大震災は実際に体験されたのですね。そして色々被災された方々へのお手伝いも沢山されたのですね。私など遠いのを理由に(それだけではない!)、寄付くらいしかしていません。
第九はいいでしょうね、私も参加したいと思うのですが思うだけ(-_-;)
災害時のネコさん、私も心配です。取り敢えず家が倒壊しない限り紋ちゃんと過す予定です(^^♪
それにしても充実した日常をお過ごしのご様子!見習わなくては。
第九いいですね!私は原語では歌えないので、中学で習った「喜びの歌」の歌詞を日本語で歌っています。ええ、テレビ前で一人。笑。
今年もねこってさんにとって素敵な年でありますように!!
どこも人手不足なんですね。
母のホームも看護師さんが一人辞て、スタッフさんも一人辞めて
ちょっとだけ負担が多くなりましたが、そこはなんとか乗り越えますね。
25年前の震災。忘れないでいます。
へへへ、のーんびりお正月をしておりまして、失礼させて頂いています。
でも皆さんの日記はスマフォから読んでます。
スマフォではログインさせていないので(だからそっちから書くことはしないんです)、足跡はついていないでしょうが。
今年もよろしくお願いいたします。
マダムMさま
震災・・・揺れは怖かったですけれども、あまり実害なかったのです、うちの家。
たまたま揺れた方向と家具の向きが良い意味でマッチしていたようで、大きな家具が倒れることもなく、
棚の上にあったテレビが落っこちて割れたのが一番大きな被害でした。
あれを「体験した」といっていいのだか・・・と思っています。
「遠い」は理由にしちゃダメですか?
私自身、東日本に行ってボランティア、なんてしてないので・・・ツライものがあります。
自分に出来る何かを考えて行動することがまずは大切で、
寄付をする、という活動は小さくても気持ちをがあるだけで「見向きもしない」とは違うんじゃないかと
そう信じていたい自分がいます。
第九、私のお隣で歌っていらしたお姉さまは81歳でいらっしゃいましたよ♪
でね、素敵なのは、本番終わったあとに
「また来年ね!来年必ずお会いしましょうね」
って別れるのです。
年齢差なんて関係のないお友だちができて、本当に充実した時間でした。
是非是非体験なさってみてくださいませ!
まるこさま
人手不足、自分にはあまり関わりないかと思っていたら、まさかまさかの(苦笑)
介護業界が大変なのは身をもって知っているだけに、
なかなか求人かけても人が来ないっていうのを責められないです。
せめて今おられる優秀なスタッフが、辞めてしまわぬように
会社側は大事にしてあげて欲しいなぁと思います。
今回の第九は原語&暗譜でした。
11月くらいから車の中にも練習CD持ち込んで、ずっと歌いっぱなしの日々でようやく覚えたって感じです。
でも合唱だから。
周囲の皆さま「えっとそうね、20年はやってるかしら」みたいな方がザラにおられて
分からないところは誤魔化しちゃっても他の誰かが歌って下さるから甘えてしまいました(笑)
歌うことがお嫌いでないのなら、チャレンジ、ありだと思います!