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佩韋佩弦 IMEさんでは出てこないです(汗)
意味は、自分の短所を改善するように努力すること。
やたら「は」と「い」が多い言葉ですが、
つまり「韋」「弦」を身に着けて(佩=身に着けるという意味の漢字)自分の戒めとした、という故事からきているそう。
年賀状のシーズンとなりましたが、まだ作っていません(苦笑)
実家の分は印刷をして今月頭には渡し済みで、
いつもなら自宅用もイッショに印刷しちゃうんですけれどねぇ・・・。
5月に「転居しました」のハガキを出したので、
既にやり切った感があるのかもしれません。
正月に義祖母が亡くなっているのはどうなのかなー、と思いつつ、
調べたら「祖母」の喪中は半年くらいとのことなので
(しかも私にとっては血のつながった方ではありませんし・・・)
では賀状は出せる、と喪中ハガキを作らずにいたら気付いたらこんな時期に。
前回の日記にも書かせて頂いたとおり、
割合親しい方からかなりの数の「喪中」のお知らせが届いているのも
筆の進まぬ一つの理由かも。
本当に相手のことを想いながら添え書きする相手って
いったいどれだけいるのでしょうか。
別の方の日記に、
「年賀状は自分の在り方、歴史が反映されている」のように書かれており、
そうだよなぁ、と頷いております。
それが唯一の真理なら、私はまーったく存在価値ないなぁと考えつつ(苦笑)
学卒後の仕事先はかなり忙しい会社で、
旧友と交流する時間もなかなか取れず、
結果疎遠になっていってしまった学生時代の友人もおりますし、
退職後の付き合いといえば子ども関係が主でしたが、
長男の病気療育、療育先で知り合った皆さんって、
メールのやり取りはあれどもそれぞれ忙しい(特に子供のことで!)なので
自然消滅していくことがほとんどで・・・。
田舎の学校関係は、自治会行事で常に顔を合わすせいか、
「年賀状」なんてお付き合いはないままでずっと来てしまい、
気付けば住所がわからない状況(苦笑)
ずっとずっと繋がっている、という人たちのほうが圧倒的に少ないのです。
そういう希薄な関係しか作り上げられなかった自分に
人間的魅力が少ないのだろうな、と思うとちょっとナサケナイ、かな。
というわけで、そんなに量のない賀状は多分、
明日一日あれば十分作成できるでしょう。
それでもその数少ない友人から見捨てられないように、
自分を磨くことを心がけないと・・・とは思いますが。
「磨くこと」が何かがわからない。
それもまたナサケナイ。
でも、笑って楽しく過ごせていれば、それはそれでよいのかな、とも思う。
やりたいことは沢山あるから、ちゃんとそれを一歩一歩仕上げていく。
まずはそこから。
意味は、自分の短所を改善するように努力すること。
やたら「は」と「い」が多い言葉ですが、
つまり「韋」「弦」を身に着けて(佩=身に着けるという意味の漢字)自分の戒めとした、という故事からきているそう。
年賀状のシーズンとなりましたが、まだ作っていません(苦笑)
実家の分は印刷をして今月頭には渡し済みで、
いつもなら自宅用もイッショに印刷しちゃうんですけれどねぇ・・・。
5月に「転居しました」のハガキを出したので、
既にやり切った感があるのかもしれません。
正月に義祖母が亡くなっているのはどうなのかなー、と思いつつ、
調べたら「祖母」の喪中は半年くらいとのことなので
(しかも私にとっては血のつながった方ではありませんし・・・)
では賀状は出せる、と喪中ハガキを作らずにいたら気付いたらこんな時期に。
前回の日記にも書かせて頂いたとおり、
割合親しい方からかなりの数の「喪中」のお知らせが届いているのも
筆の進まぬ一つの理由かも。
本当に相手のことを想いながら添え書きする相手って
いったいどれだけいるのでしょうか。
別の方の日記に、
「年賀状は自分の在り方、歴史が反映されている」のように書かれており、
そうだよなぁ、と頷いております。
それが唯一の真理なら、私はまーったく存在価値ないなぁと考えつつ(苦笑)
学卒後の仕事先はかなり忙しい会社で、
旧友と交流する時間もなかなか取れず、
結果疎遠になっていってしまった学生時代の友人もおりますし、
退職後の付き合いといえば子ども関係が主でしたが、
長男の病気療育、療育先で知り合った皆さんって、
メールのやり取りはあれどもそれぞれ忙しい(特に子供のことで!)なので
自然消滅していくことがほとんどで・・・。
田舎の学校関係は、自治会行事で常に顔を合わすせいか、
「年賀状」なんてお付き合いはないままでずっと来てしまい、
気付けば住所がわからない状況(苦笑)
ずっとずっと繋がっている、という人たちのほうが圧倒的に少ないのです。
そういう希薄な関係しか作り上げられなかった自分に
人間的魅力が少ないのだろうな、と思うとちょっとナサケナイ、かな。
というわけで、そんなに量のない賀状は多分、
明日一日あれば十分作成できるでしょう。
それでもその数少ない友人から見捨てられないように、
自分を磨くことを心がけないと・・・とは思いますが。
「磨くこと」が何かがわからない。
それもまたナサケナイ。
でも、笑って楽しく過ごせていれば、それはそれでよいのかな、とも思う。
やりたいことは沢山あるから、ちゃんとそれを一歩一歩仕上げていく。
まずはそこから。
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コメント
友人たちがリア充した生活ぶりをお知らせしてくれるたびに少し慌てます。
自分を磨く事ですか…なるほど。
全く磨いていないのくすんでしまっているんです、心も身体も。
それではダメですね。と言っても磨き方がわからないし。
ねこってさんがおっしゃる様に笑って楽しく過ごせれば良い。
私も同感です。
「存在確認」
そういえば受け取っているこちらも「ああ、お元気でいらっしゃるのね」ってほこっとしますから、相手もそうなのだとしたら出す甲斐もあるのですね。
実は、主人友人の方ともまだ年賀状だけは繋がっているけれども、この扱いに不安があって。
何も書いていない印刷だけの年賀状の方は「ご迷惑なのかなぁ、もう来年から出すのよそうかな」って思っちゃったり・・・
確かに、ほんの数文字であっても、直筆があるのとないのとでは受け取る側の気持ちって違うような気がします。
ご主人さま関係ね、元気でやってる報告と割り切って出されたらいいのでは?
印刷だけの年賀状は私も出してますが、短い文章で自分で考えた文章なので、敢えて付け加えなくても、という思いもあります、人によってですが。
そんなに深く考えなくてもいいと思いますよ。
義理、ね、そう、それをなんだかムダに感じちゃって(苦笑)
学生時代の仲の良かった友人たちは意外と全国に散っているので、
彼らとのやりとり(は、年賀状に限りませんが)は意味があって
いそいそとやっちゃうのですが、今年はそのあたりに欠礼が多かったのです。
印刷だけの・・・、マダムMさまのようなのは「印刷だけ」とはいわないのでは?
もう、明らかに「〇〇の図案集」で印刷しました、的なもので、宛名もプリンタ君の印刷文字だと・・・まぁそうか、生存確認と思っておけばよいのですね。
あっさりそんなもん、って割り切っちゃえばよいかー(・・・とはいえ、来年から62円ですもんねぇ、高いっす)
来年もよろしくお願いします。
どうぞ良いお年をお迎え下さいね。
今年もどうぞよろしくお願いします。
ねこってさんにとって素晴らしい年であります様に!!
素敵な事が沢山あります様に!!
今年もどうぞ仲良くして下さいね。