一路平安
旅立つ人のその先が、平穏であることを祈ると伝える言葉
小林麻央さんが旅立たれた件。
朝方に夫 海老蔵さんがブログで、「察してください」と書かれた文章について
直後のtwitterなどで
「なんではっきりと書かないんだ」
と仰っている方がおられて。
・・・違うんだと思う
はっきり「書かない」じゃないの
書けない、の。
ちゃんと分かってる、逝ってしまったことなんて。
それなのに、自分の中で折り合いがつかなくて、
「死」だとか「逝」だとか、そういう言葉を口に載せたら、文にしてしまったら、
本当だと思いたくない、そのことが本当に確定されちゃうような気がして、
いや、本当なのは分かっているのだけれども、
自分の言葉や文章の中だけでもそれをまだまだ信じたくなくて、
書くとそのことを自分が認めてしまう、それがただただ怖くて辛くて、
複雑な心のうちで、
どうやってもその言葉を、自分で書くことを、避けて通ってしまう、
海老蔵さんの中に、無意識のうちに、そういうことがあったのではないかと想像してしまいます。
嫁が亡くなったというのに、よくブログなんて書けるなぁ、とか
仕事とはいえ、よく公演こなすよなぁ、とかいう話もありましたが、
実は、私自身、夫の亡骸と病院から家に戻って
一息ついたその後、向かった先はブログだったのでした。
(そして、その時の私も、そういう決定的な語句を
文章に載せることができませんでした)
そんなことされたら、引くわ、という意見も見ましたが、
病と闘っている間ならともかく、
もう旅立ってしまったあと、葬儀の打ち合わせ、寺社との打ち合わせ
さまざまやること満載のなかでぽっかりと空いた時間が
本当に虚しくて、誰かに傍に寄り添って欲しい気持ちがどことなくあって、
現実、夜中や早朝に駆けつけてもらうわけにもゆかずで、
そうなると。
日常的にブログをやっている人間には、そこは慣れた場であって、
私には引く行動だとは思えずです。
海老蔵さんにとっては、マスコミ・・・の中でもほぼストーカーに近い類の人たち・・・へ
クギを指すのに、SNSほど効果の高いツールはないのだから
それを使うのは当然でしょう。
市井の人にも「あの時彼はこう言っていたのに」という発信ができ、
当然、該当する報道関係の人たちにも、一瞬でまんべんなく伝わるのですから
FAXにて新聞社に、なんてもどかしいものよりも、あるなら使う、
そんなの当たり前。
そして彼は役者の家に生まれた、生まれ落ちた瞬間から役者になるべく育てられた人だから、
「親の死に目にも会えない」のが当然とされる世界で、
しかも、端役ではない、座長としての自分であるなら
嫁が亡くなったからといって休むことは・・・と考えるだろうし、
それは亡くなった奥様とても、望んではおられなかったのでしょう。
そう思うなら、意地でも立つでしょう、舞台に。
彼女はとてもとても頑張られた。
たくさん勇気をもらった方がおられると聞きます。
若くして旅立たれた、でも、生き切った麻央さん、
安らかに浄土でお過ごしになられますように、
残されたご家族やご親族にこれから先、幸せが沢山ありますように。
そう祈るひとが多数なのだから。
本当ならする必要さえもなかった会見なのに。
役者であるから、見せ場を作ることには慣れているとはいえ。
それにしても、海老蔵さんの見事な会見。
あとは、その気持ちを汲んで、周囲はそっとしていてあげてほしい。
近々あるであろう葬儀もワイワイガヤガヤしないであげてほしい。
・・・なんて思う人が多くてもきっと
この先しばらくはこの話題一色になりそうですよね、ワイドショー・・・
旅立つ人のその先が、平穏であることを祈ると伝える言葉
小林麻央さんが旅立たれた件。
朝方に夫 海老蔵さんがブログで、「察してください」と書かれた文章について
直後のtwitterなどで
「なんではっきりと書かないんだ」
と仰っている方がおられて。
・・・違うんだと思う
はっきり「書かない」じゃないの
書けない、の。
ちゃんと分かってる、逝ってしまったことなんて。
それなのに、自分の中で折り合いがつかなくて、
「死」だとか「逝」だとか、そういう言葉を口に載せたら、文にしてしまったら、
本当だと思いたくない、そのことが本当に確定されちゃうような気がして、
いや、本当なのは分かっているのだけれども、
自分の言葉や文章の中だけでもそれをまだまだ信じたくなくて、
書くとそのことを自分が認めてしまう、それがただただ怖くて辛くて、
複雑な心のうちで、
どうやってもその言葉を、自分で書くことを、避けて通ってしまう、
海老蔵さんの中に、無意識のうちに、そういうことがあったのではないかと想像してしまいます。
嫁が亡くなったというのに、よくブログなんて書けるなぁ、とか
仕事とはいえ、よく公演こなすよなぁ、とかいう話もありましたが、
実は、私自身、夫の亡骸と病院から家に戻って
一息ついたその後、向かった先はブログだったのでした。
(そして、その時の私も、そういう決定的な語句を
文章に載せることができませんでした)
そんなことされたら、引くわ、という意見も見ましたが、
病と闘っている間ならともかく、
もう旅立ってしまったあと、葬儀の打ち合わせ、寺社との打ち合わせ
さまざまやること満載のなかでぽっかりと空いた時間が
本当に虚しくて、誰かに傍に寄り添って欲しい気持ちがどことなくあって、
現実、夜中や早朝に駆けつけてもらうわけにもゆかずで、
そうなると。
日常的にブログをやっている人間には、そこは慣れた場であって、
私には引く行動だとは思えずです。
海老蔵さんにとっては、マスコミ・・・の中でもほぼストーカーに近い類の人たち・・・へ
クギを指すのに、SNSほど効果の高いツールはないのだから
それを使うのは当然でしょう。
市井の人にも「あの時彼はこう言っていたのに」という発信ができ、
当然、該当する報道関係の人たちにも、一瞬でまんべんなく伝わるのですから
FAXにて新聞社に、なんてもどかしいものよりも、あるなら使う、
そんなの当たり前。
そして彼は役者の家に生まれた、生まれ落ちた瞬間から役者になるべく育てられた人だから、
「親の死に目にも会えない」のが当然とされる世界で、
しかも、端役ではない、座長としての自分であるなら
嫁が亡くなったからといって休むことは・・・と考えるだろうし、
それは亡くなった奥様とても、望んではおられなかったのでしょう。
そう思うなら、意地でも立つでしょう、舞台に。
彼女はとてもとても頑張られた。
たくさん勇気をもらった方がおられると聞きます。
若くして旅立たれた、でも、生き切った麻央さん、
安らかに浄土でお過ごしになられますように、
残されたご家族やご親族にこれから先、幸せが沢山ありますように。
そう祈るひとが多数なのだから。
本当ならする必要さえもなかった会見なのに。
役者であるから、見せ場を作ることには慣れているとはいえ。
それにしても、海老蔵さんの見事な会見。
あとは、その気持ちを汲んで、周囲はそっとしていてあげてほしい。
近々あるであろう葬儀もワイワイガヤガヤしないであげてほしい。
・・・なんて思う人が多くてもきっと
この先しばらくはこの話題一色になりそうですよね、ワイドショー・・・
コメント
海老蔵さんにかんしては、以前麻央さんの病気を発表した際、マスコミにそっとしていて欲しい、と発言した時、非常識な(私にはそうとしか思えない)記者が、反論してましたね。「都合のいい時だけ取材させ、都合の悪い事は拒否する」と。馬鹿も程々にしろ、と腸が煮えくり返りましたね。人の生き死にが係っているのに!!
今回も変な憶測で記事を書かれるより、はっきり事実を知らせ、これ以上踏み込まないで欲しいという思いを感じました。
心よりご冥福をお祈りします。
ご自身のお辛い経験、その時のねこってさんのお気持ち察するに余りあります。
だからとても説得力があります。
私も真央さんは生き切ったのだと思います。
そして海老蔵さんの役者魂ても見事な会見日記涙しました。
月並みになりますが、心からご冥府をお祈りします。
これから先の海老蔵さん、お子さんに沢山幸せがあります様に。
そう祈らずにはいられません。
麻央さんが安らかであります様に。
「都合のよいとき、悪いとき」って・・・「都合」じゃないですよね、公人と私人に近いような何か。それは就業時間後に「仕事しろ」と言っているのに近いというか。
それだけでも違うぞ、と思うのに、ことはもっともっとデリケートな問題で・・・そんな違いも分からないようなら「コトバ」を職業にするのは辞めちまえ、です。
すごく違和感あるのです。
だって病に侵される前の麻央さんに対しては敵意を持った記事が多かった。
たとえば海老蔵さんが暴行事件で入院したとき。病院内盗撮まがいのことをして「麻央は梨園の妻らしからぬだらしなさ」。オフの時間にジャージを着て、何が悪い?どうしてもこの人のイメージを下げて叩きたいんだな、って感じでした。
ところが今はどうでしょう?
あの人は素晴らしい人格者だった、という持ち上げ方・・・結局「受け取る側」が喜ぶと勝手にあちらの人たちが考えている、マダムのお言葉をお借りするなら「変な憶測」をもって押し付けているだけ。
都合のよしあしを勝手に切り分けているのはどっちなのでしょう?
もうほんと、静かにしてあげて欲しい、小さなお子さんもおられるのに。
別に刑事事件でもないのに騒がなくてもよいではないですか。
ただ、同じ病に悩む人が、同じ病にありながらこんなに前向きに生きた人がいる、
病を持っても前向きであってよいのだと(病を得ると、暗くならなくちゃいけないと勘違いする本人・周囲っていると感じているのですよ、それは違うから!)わかっていただくためには、彼女のブログほど説得力のあるものはないです。
その功績はスゴいと思うんです。
だから、そういう状態のとき、彼女を思い出すのが一番の供養ではないかと。
まるこさま
我が家の場合と彼らの場合とでは、「闘病」の有無という点で大きく違うから、
それこそ憶測の域の話で、お恥ずかしい限りです・・・。
海老蔵さんの会見、
あまりにも一つ一つの言葉が整いすぎていて、なんだか演じているようにさえ見えて、
でもその憔悴したお顔のラインは「一生で一番泣いた」という言葉を裏付けているようで、
この会見のために、この方はどれだけの言葉を選び、順序立てたのだろうと感じ入りました。
ただ、すごーく不謹慎なのですが。
そこまで「夫婦愛」を全面に押し出して大丈夫なのかしら・・・
というのも素直な感想。
これだけの美丈夫、才能も知名度もある魅力ある男性なのだから、
この先、麻央さんとは違う素晴らしい女性との出会いもあるかもしれないのに。
裏方仕事も重要である梨園で、伴侶のないまま、しかも子育てまですることは並大抵のことではないはず。
これから先の彼・・・稀有な才能のある役者さんに素晴らしいよい出会いがあるのなら、この会見を理由に叩くことは辞めて頂きたいなぁと、そんなことまで思ったりしました。
まぁ・・・少なくとも麻央さんの三回忌越すくらいまでは、「海老蔵、再婚」なんて見出しは見たくはないですけれども。
海老蔵さん、最期の言葉「愛してる」、これは後々厄介な言葉になりそうな予感・・・私もします。
散々下げ記事を書いておいての手のひら返し、かつてプロ野球の野茂さんが大リーグに挑戦すると言った時のブーイング記事が、大リーグで活躍したらヒーロー扱い!ブーイングの舌のねも乾かぬうちに。あまりの扱いの違いに当時腹が立ちましたね。すべてとは言いませんが、マスコミに関わる方々に『恥』という概念は少ないのでしょうか?マスコミ側は直ぐ忘れるのでしょうが、受け取る側は意外と覚えているんですよね(苦笑)
・・・ですよね。少しばかり「美談」に仕立て上げすぎた感じが・・・
野茂さんかぁ・・・確かに最初、大リーグに日本人のピッチャーなんて通用するわけがない!って吠えてましたよねぇ。それが「Mr K」だもん、現地で評価されたらあっけなく掌返して。
ただ、もしある一人の個人が同じ事柄について「喝」と「あっぱれ」と日を替えて言うのなら「そりゃアンタ、前と言ってることちゃうやんけ?」なのですが、
十把一絡げに「マスコミ」と表現しているその中身は個人の集合体で、やたら神格化している人と、こき下ろしている人が同じ人だとは限らずなのかな、とも思います。
まぁ受け取る側としては、どっちだって同じ。
同じ媒体から発信されているのなら、意思統一しないと優柔不断で信じられないよね、コレ、って感想を持っちゃいます。
ほんと、ポリシーってのはどこにいっちゃったんでしょうねぇ?