精神鬱怏 ・・・要するに気落ちしていたり気鬱な様子のこと。
時折こういう時期が訪れます。
バイオリズムとでもいうのかもしれません。
頭を低くしてやり過ごすしかありませんが、今回の主因は
現在取り組んでいる仕事が難しいから、です。(´・ω・`)
一応フリーランス(といえば恰好よいけれども、要するに日雇いですね(苦笑))なので
仕事ができないと、お金が頂けません。
今の私は「大黒柱」なので気鬱にもなろうというもの。
一旦仕事ができないというレッテル貼られちゃうと次に仕事来ませんから。
修学児もいることだし、まだまだ頑張って稼がないといけない。
蓄えを大放出した後なだけに、なおのことです(^_^;
原因は明確なのだから、がんばって勉強しなくちゃ、と思いつつ、
こういうときは空回りばかりしますね。
困ったものだわ。
でも、焦っちゃダメ、よけいに泥沼にはまるから(←経験済み 笑)
精神の扱いに困るのは季節のせいもあるのかも。
昨日はやたら暑かったし、かと思うと肌寒い日もあったりするし。
落ち着かない。
安眠できているようでできていないような心持ちです。
しかも季節外の服は先に新居に持ち込んでしまっているものもあり、
ちょっと先走りすぎたかなぁ・・・だって入居がこんなに先延ばしになるなんて
思ってもいなかったのですもの。
薄手のニットを洗ったらそれと交換に長袖のカットソーを何枚かこちらに戻そうっと。
春ですし、少し色目のある服に身を包むのもよいかもしれません。
髪の毛も切りに行きたい。
あぁこうやって「やりたいこと」を書きだしたら少しばかり浮上した気がする(←単純 笑)
たぶん、「必要なものは必要」と割り切って、
買わなくちゃのものをガッツリ買い物したので、その反動もあるのかな。
買った時には高揚するのですが、あとは支払いだけですもんねー(^_^;
それを考えたら落ち込むわ、うん。
とはいえ。
あれこれ倹約もちゃんとやっておりますし。
なんとかなるよ、うん、きっとなんとかなる。
以前何かのニュースで、
「『知らない人』に声をかけるのはいけないことなので、
集合住宅内で挨拶するのはやめましょう」
という話があると聞いたことがありました。
えー?挨拶しないって、それ何?
ってその時はすごくビックリして。
けれど・・・
PTA会長(なの? 今の報道は「保護者会」ってなっているけれども)が
殺人犯になっちゃった事件の報道を見ると、
そんな風に過剰に「他人」を排除することは仕方がないのかな・・・
と少しばかりナットクして、
それでも、やっぱりどこか間違っているような気がするのです。
ということを思ったのは、こんなことがあったからです。
先日、どうしてもな用事があり、いつもと違う時間に転居先に出かけていったら
茶髪ピアスな青年とエレベータが一緒になりました。
あ、こんな人も住んでいるんだ、って思った、次の瞬間、
「・・・ちわっす」って彼のほうから挨拶が。
にこやかに「こんばんは」って返事したのは当然だとはいえ、
なんだか気持ちがほっこりとしたのでした。
いや、知りませんよ?
その青年の人となりだなんて、初対面だし。
分かるのは「茶髪」「ピアス」、入社面接ではほぼ禁忌とされるような
外見を自ら選んで主張をしている若者であることだけ。
でも、その時のあいさつは確かに
「ご近所の人とは上手にやってゆこう」という態度が彼の中にあることの証明です。
少なくともその狭い空間の中に
「ご近所の人」である私にとって心地よい状況を作ってくれたわけです。
その気配りができる、できない、っていうのは人付き合いの基礎なのでは。
「気持ちのよい付き合い方」を学ばない、学ぶ機会を取り上げられた
子どもたちがいるのなら、その子たちはこの先どう育ってゆくのでしょう。
実際「善意の顔」を見せながら、
内側真っ黒だった人間がいる事実が露呈してしまい、
子を愛する親として、心配するのは当然のことです、
でも遠ざけたらOKというのもまた、何か間違っているような、
対策としてそれがヨシとはなかなか言えないような・・・
もどかしい気持ちだけが残ります。
子どもは判断できないから、
だから安全を守れないから、
すべてを排除しちゃえばよいの?
コミュニケーションを否定してしまえば、
今後、「庇護されるべき子ども」でなくなったときに、
他者の善悪、好悪、そういう判断は、どこの何ですれば?
そういう判断の経験も積まないままで?
そして「挨拶をしない人」として成長しちゃった子どもは、
どんなに内面がよかろうと、
「挨拶もしてくれない感じの悪い人」として評価されちゃいはしない?
社会的動物だから人間なのですよね?
そうやって「家族」単位だけで頑なになって殻に閉じこもることで守れるものはあるでしょうが、
それで「社会やコミュニティ」を構築できるのかなぁ・・・?
世の中には確かに悪い人はいるけれど、
素敵な人だってたくさんいらっしゃるのに。
ほんの一部の悪い人のために、善意の人まですべて否定しちゃうの?
かなり極論を言えば、
ニュースを見ていると子どもを殺しちゃう親だっているのよね?
でもだからといって、親子関係全般を否定なんてしないのはなぜ?
いたずらしたら「コラー!」って怒る頑固おやじがいる世の中が
平和だったんだなぁ、って思う社会。
・・・とまぁ、あれこれ空想逃避はやめて、仕事に戻ることにしましょう。
なんだかなー。
☆アミさま
コメに書きそびれたのでこちらに書きます。
お水が苦手な私が、外に出るときにやっている方法その2.
ポッカレモンの一番小さいのを持ち歩いております。
水や微炭酸のペットボトルを買ったときに数滴入れてから飲むのです。
夏場はこの方法、よいですよ♪
時折こういう時期が訪れます。
バイオリズムとでもいうのかもしれません。
頭を低くしてやり過ごすしかありませんが、今回の主因は
現在取り組んでいる仕事が難しいから、です。(´・ω・`)
一応フリーランス(といえば恰好よいけれども、要するに日雇いですね(苦笑))なので
仕事ができないと、お金が頂けません。
今の私は「大黒柱」なので気鬱にもなろうというもの。
一旦仕事ができないというレッテル貼られちゃうと次に仕事来ませんから。
修学児もいることだし、まだまだ頑張って稼がないといけない。
蓄えを大放出した後なだけに、なおのことです(^_^;
原因は明確なのだから、がんばって勉強しなくちゃ、と思いつつ、
こういうときは空回りばかりしますね。
困ったものだわ。
でも、焦っちゃダメ、よけいに泥沼にはまるから(←経験済み 笑)
精神の扱いに困るのは季節のせいもあるのかも。
昨日はやたら暑かったし、かと思うと肌寒い日もあったりするし。
落ち着かない。
安眠できているようでできていないような心持ちです。
しかも季節外の服は先に新居に持ち込んでしまっているものもあり、
ちょっと先走りすぎたかなぁ・・・だって入居がこんなに先延ばしになるなんて
思ってもいなかったのですもの。
薄手のニットを洗ったらそれと交換に長袖のカットソーを何枚かこちらに戻そうっと。
春ですし、少し色目のある服に身を包むのもよいかもしれません。
髪の毛も切りに行きたい。
あぁこうやって「やりたいこと」を書きだしたら少しばかり浮上した気がする(←単純 笑)
たぶん、「必要なものは必要」と割り切って、
買わなくちゃのものをガッツリ買い物したので、その反動もあるのかな。
買った時には高揚するのですが、あとは支払いだけですもんねー(^_^;
それを考えたら落ち込むわ、うん。
とはいえ。
あれこれ倹約もちゃんとやっておりますし。
なんとかなるよ、うん、きっとなんとかなる。
以前何かのニュースで、
「『知らない人』に声をかけるのはいけないことなので、
集合住宅内で挨拶するのはやめましょう」
という話があると聞いたことがありました。
えー?挨拶しないって、それ何?
ってその時はすごくビックリして。
けれど・・・
PTA会長(なの? 今の報道は「保護者会」ってなっているけれども)が
殺人犯になっちゃった事件の報道を見ると、
そんな風に過剰に「他人」を排除することは仕方がないのかな・・・
と少しばかりナットクして、
それでも、やっぱりどこか間違っているような気がするのです。
ということを思ったのは、こんなことがあったからです。
先日、どうしてもな用事があり、いつもと違う時間に転居先に出かけていったら
茶髪ピアスな青年とエレベータが一緒になりました。
あ、こんな人も住んでいるんだ、って思った、次の瞬間、
「・・・ちわっす」って彼のほうから挨拶が。
にこやかに「こんばんは」って返事したのは当然だとはいえ、
なんだか気持ちがほっこりとしたのでした。
いや、知りませんよ?
その青年の人となりだなんて、初対面だし。
分かるのは「茶髪」「ピアス」、入社面接ではほぼ禁忌とされるような
外見を自ら選んで主張をしている若者であることだけ。
でも、その時のあいさつは確かに
「ご近所の人とは上手にやってゆこう」という態度が彼の中にあることの証明です。
少なくともその狭い空間の中に
「ご近所の人」である私にとって心地よい状況を作ってくれたわけです。
その気配りができる、できない、っていうのは人付き合いの基礎なのでは。
「気持ちのよい付き合い方」を学ばない、学ぶ機会を取り上げられた
子どもたちがいるのなら、その子たちはこの先どう育ってゆくのでしょう。
実際「善意の顔」を見せながら、
内側真っ黒だった人間がいる事実が露呈してしまい、
子を愛する親として、心配するのは当然のことです、
でも遠ざけたらOKというのもまた、何か間違っているような、
対策としてそれがヨシとはなかなか言えないような・・・
もどかしい気持ちだけが残ります。
子どもは判断できないから、
だから安全を守れないから、
すべてを排除しちゃえばよいの?
コミュニケーションを否定してしまえば、
今後、「庇護されるべき子ども」でなくなったときに、
他者の善悪、好悪、そういう判断は、どこの何ですれば?
そういう判断の経験も積まないままで?
そして「挨拶をしない人」として成長しちゃった子どもは、
どんなに内面がよかろうと、
「挨拶もしてくれない感じの悪い人」として評価されちゃいはしない?
社会的動物だから人間なのですよね?
そうやって「家族」単位だけで頑なになって殻に閉じこもることで守れるものはあるでしょうが、
それで「社会やコミュニティ」を構築できるのかなぁ・・・?
世の中には確かに悪い人はいるけれど、
素敵な人だってたくさんいらっしゃるのに。
ほんの一部の悪い人のために、善意の人まですべて否定しちゃうの?
かなり極論を言えば、
ニュースを見ていると子どもを殺しちゃう親だっているのよね?
でもだからといって、親子関係全般を否定なんてしないのはなぜ?
いたずらしたら「コラー!」って怒る頑固おやじがいる世の中が
平和だったんだなぁ、って思う社会。
・・・とまぁ、あれこれ空想逃避はやめて、仕事に戻ることにしましょう。
なんだかなー。
☆アミさま
コメに書きそびれたのでこちらに書きます。
お水が苦手な私が、外に出るときにやっている方法その2.
ポッカレモンの一番小さいのを持ち歩いております。
水や微炭酸のペットボトルを買ったときに数滴入れてから飲むのです。
夏場はこの方法、よいですよ♪
コメント
我が家の一階がシェアハウスになってますが、出入りの時顏を合わせれば、最低限の挨拶「おはようございます・こんにちは」。それこそ、一歩ひいてしまうような風体のオニーサンでも返してくれます。
保護者会(?)の会長さんは例外でしょう、と信じたいですよ(-_-;)
落ち込んだ時? 落ちるところまで落ちましょう!!後は浮上のみだから(笑)
コメント、ありがとう~♬
ポッカレモンの小さいのなら、バッグにも負担は無いでしょう。
もっとも、最近は、ずた袋のような大きいバッグにして、何もかも詰め込んでいます。
忘れ物が無くなりました。(笑)
挨拶の話。
マダムMさんに賛同です!
☆www.j-cast.com/2016/11/09282885.html?p=all
☆spotlight-media.jp/article/347227033601880311
こちらにあるような意味で、住民同士のあいさつをしないことを決めた管理組合がある、ということが去年だったかに話題になったのですよ。
URLは記載禁止だったように思いますので、、、興味がおありでしたら
コピーして記事を表示なさってみてください。
集合住宅育ちの私には少しばかり信じられない話だったので記憶に残っていて、
新しい場所がそういうところではなくてよかった、とホッとしています。
今日はとても良いことがあったので、気分はもう浮上中です。
ただ、仕事が難しくて停滞している事実は変わらない・・・
この後勉強、がんばります!
励まし、ありがとうございます。
アミさま
レモン水がお好きでしたら、これが少しは助けになるかもしれないです。
試してみてくださいね。クエン酸も体によいですしね♪