うけとめる

2016年10月18日 日常
ボブ・ディランにノーベル賞受賞の連絡がつかない、って報道聞いて、
私はディランのことをなーんにも知らない人だけれど、
あの時代に反戦歌(風に吹かれてなんでそうですよね?)を歌うような反骨精神がある人はすべての権威に対する反発をお持ちで、その意思の表れとみてよいの?

で、
レベルは違うけれど、
芥川賞直木賞受賞者で、憮然とした態度で記者会見に挑んだ作家さんいたなぁって思い出して、

憮然とした態度で会見に出るくらいなら、ディランくらいきっぱり無視?したほうが
主義にそぐうのかなぁ、
でもノーベル賞だよ?スケールが違うのねぇ、なんて感じた次第。

でも・・・
なんだかね、逆にケツの穴小さいなぁ、とも思うわけ。

---

この秋はなぜだか、
ご無沙汰だった方々と「ランチしましょ♪」が成立して、
懐かしい方とマンツーマンでお喋りするという
とてもとても貴重かつ大切で楽しい時間がたくさんありました。

で、その中でいくつか、

おぉ!確かにそうだよ!

と思ったコトバがあったので、メモ。


「婚家の母と、実家の母を同一視してはいけないのよ byKちゃん」

私は実家母を敬愛していて、
だからこそ、同居している義母も同等に見ていましたが、
当たり前のことだけれど、彼らは違う人間で、
同じ「母」であっても違うんだ、ということを
何年もの間、心のどこかで理解していなかったように思います。

「母」の示唆にはあまり間違いはなくて、
「えー、そうじゃなくてさぁ?」と違う道を私が示したら、
「んー、それもあるけどさ、こういう理由でこっちだと思う」
ってちゃんと反論してくれて、納得させてくれる(たまに逆もありますが)

ところが「義母」の「こう」という指示には根っこがない。
もちろん、彼女の知恵がとても重要なこともあって、
彼女の持つ生来の愛嬌だとか天然?な面だとか生真面目さとか
スゴイな、と思うところがないとは言わないけれど、

・・・あの人のいうことを真に受けてそれを正解だと単純に受け止めると痛い目にあう。

まぁ・・・想像するという素晴らしい資質が抜け落ちていて、
自分のことしか考えていないから仕方がない。
実母は先を想像するし、身を挺してでも子孫を守ることを考えるタイプだから
違って当たり前なのですが、・・・気づくのが少々遅かったわ。

「母」のいうことなのだから(さらにいうなら先住者のいうことだから)
従っておきましょう、と身を引いて、
自分を縛っていたことのなんと多いことか。

で、ある日「これ、どうしてもこうしたいのですがダメですか?」って聞くと、
逆に「なんで今までこんなことしとったん?」と尋ね返されて
「貴女がそうおっしゃったからですよ?」といえば
「私はそんなこと言ってない」と主張することもしばしば。

・・・やってられねー(苦笑)



「自分の判断で『これはこうしよう』と動けないことって
 ほんの小さなことでも、それが日常だとどんどん積もって
 大きなストレスになるのよね byMさん」

たとえば玄関先に置いてある代物について
こんなところにこんなモノは置きたくないなぁ、と思っていても
それを義父母が置いたものなら動かすことさえも躊躇してしまう。

動かして諍いになるくらいなら、
動かさないでソレがソコにあることをガマンするほうが
よっぽど楽だよね、って判断しちゃう。

人間関係を作るのが下手だからこそ、
自分が引くことで保とうとしているのだけれど、

・・・実はこれが非常にストレスになっているんだな、ということが
ここ数年ではっきりとわかってきた。

つまり義父母ばかりではなく、ダンナに対しても同様なガマンを沢山してきていたのだな、と気づいたわけです(^_^;


自分が「したいこと」ということにたくさんの蓋をしてきたから、
どこにどんな蓋があるのかさえも忘れてしまっているけれど。

たぶん。

本来の私は、あーしたい、こーしたいってわがままもあるような
そんな人間のはずで。

その戒めを一つずつ緩め始めている。

いーじゃん。
素の自分に戻ったって。

だって私は義父母に迷惑なんてかけていない。
経済的にも自立しているんだから、
何をやったって彼らが私を責める理由にはならないんだってば。

自分の命だってあと何年だかわからないんだから、
20年分の縛りを全部解き放って、
自分の「好き」を追求したって、もう誰にも非難なんてされる所以はない。

でもいきなり全開はやっぱり無理だから少しずつね。

ただ・・・一日5時間ピアノの練習し始めたらでも流石に可哀想かな、と思うので
それはしないことにしよう(苦笑)


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そんな風に「押し殺すこと」で、家庭内無風を勝ち取ろうとしてきた私にとって、
自分の主張を通せる人の強さはあこがれです。

ただ・・・

もし来年、村上春樹氏が文学賞受賞したとしてもね、
ご当人、他の医学賞を取った博士のように、嬉々として喜びを表現できない、そんな気もするのよ、どうしたって前年の記憶がありますもんね?
ディラン氏も春樹氏も、格好つけなんて考えない次元の方なのでしょうが。


そうなると、うけとることを無視する、というのは
多少大人げなく恰好悪いのかな、という気がしてくるのですよね。


まぁ。
周囲に配慮、なんてことしていないから
尖がった先端にあり続けることができるのでしょうが。



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