自己犠牲、なんていう格好の良いことを考えているわけではない。
けれど、多分私はこの
「◯◯のために」
の◯◯に、「自分」という文字を当てはめることをしないままで
この年令まで生きてきてしまった。
だから、自由にしていいよ、と云われたら、
はてさて
自分は何をしたいんだろう
が見えなくて途方に暮れるのかもしれない。
今は 「子どもの」ため が一番しっくりと来る。
やばい。
「自分のために」何かをすることに励みを感じない私は、
子どもをロスしたら廃人になっちゃいそうだ。
きっとご飯もつくらない、お風呂だって面倒。
そんな人間になってしまう気がする。
けれども、彼らの手を(完全にではないとしても)離さなくてはならない、
離すべきだ、と感じる日は刻々と近づいているのだから
別の「◯◯」を探しておかなくちゃいけないな、って感じている。
この年令でそれに気づけたのは、収穫なんだろう、って思うことにする。
ある意味、気づけたこと自体がチャンス。
けれど、多分私はこの
「◯◯のために」
の◯◯に、「自分」という文字を当てはめることをしないままで
この年令まで生きてきてしまった。
だから、自由にしていいよ、と云われたら、
はてさて
自分は何をしたいんだろう
が見えなくて途方に暮れるのかもしれない。
今は 「子どもの」ため が一番しっくりと来る。
やばい。
「自分のために」何かをすることに励みを感じない私は、
子どもをロスしたら廃人になっちゃいそうだ。
きっとご飯もつくらない、お風呂だって面倒。
そんな人間になってしまう気がする。
けれども、彼らの手を(完全にではないとしても)離さなくてはならない、
離すべきだ、と感じる日は刻々と近づいているのだから
別の「◯◯」を探しておかなくちゃいけないな、って感じている。
この年令でそれに気づけたのは、収穫なんだろう、って思うことにする。
ある意味、気づけたこと自体がチャンス。
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